理科教育学研究の方法についての一考察

私がこんなふうにB-612の星の話をして、番号にこだわるのは、実は大人のためなのだ。大人は数字が好きだ。新しくできた友人のことを話すとき、大人はほんとに大切なことは訊かない。「どんな声の人?」「一番好きな遊びは何?」「蝶のコレクションをする人?」などとは絶対に訊かない。「その人はいくつ?」「兄弟は何人?」「体重は?」「お父さんの収入は?」などと訊く。それでどんな人かわかったつもりになる。
『星の王子さま』, サン=テグジュペリ(著), 倉橋由美子(訳), p. 24

本稿の要旨
上記は,『星の王子さま』の一節である。
本稿では,この一節で言われているような,数値に表すことのできない要素を手がかりに他者の理解を目指すという質的研究の視点を念頭に置いて,理科教育学の方法について考えてみたい。
具体的には,まず,理科教育学を社会科学,あるいは,教育学の一領域であるとみなした上で,社会科学,教育学,そして,理科教育学における研究方法上の特性についてみていく。
次に,そこでみられた研究方法上の特性と量的研究についての議論を勘案して,理科教育学の研究方法についての今後の論点を指摘する。
そこで指摘されるのは次の2点である。
①理科教育学では,実証的,実践的アプローチ等にもとづく量的研究が多数派を占めており,規範的アプローチ等にもとづく質的研究があまり行われておらず,多様性に欠けること。
②①の論点を背景として,今後,理科教育学の研究方法についての議論が量的研究を行う研究者を中心に進められていく可能性があること。

本稿の背景
本題に入る前に,本稿の趣旨をよりよく理解していただくために,筆者のこれまでの研究や本稿の執筆の動機について簡単に述べておきたい。

筆者は,博士後期課程の大学院生であり,これまで,アメリカ合衆国における科学教育の現代的な展開や物理教育の歴史について研究してきた。
これらの研究は,質的研究に属するものであり,筆者は量的研究を行って論文等を公表したことはない。
以上のような限られた経験ではあるが,質的研究を行っている大学院生の視点から,思い切って理科教育学の方法について考えてみたい。
その結果,理科教育学の研究方法についての論点を1つでも提供できれば幸いである。

そもそも,駆け出しの未熟な大学院生である筆者が,本稿を執筆しようと思い立ったのには,次の2つの動機がある。
第一は,先日開催された「理科教育学における研究方法論の再検討」と題するシンポジウム(以下,「シンポジウム」とする)に触発されたためである。後に紹介するように,この「シンポジウム」では,量的研究の視点から理科教育学の研究方法が検討されていたため,本稿では質的研究の視点から検討してみようと思い立った。
第二は,理科教育学の研究方法についての議論が,多様な立場の人たちによって行われていくべきであると考えているためである。この点は,本稿の最後で指摘するように,理科教育学研究の多様性にかかわっている。

本稿の目的
本稿では,社会科学,教育学,そして,理科教育学の研究方法上の特性を整理することを通して,理科教育学の研究方法についての今後の議論の論点を提供することを目指す。

本稿の構成
本稿では,理科教育学を社会科学,そして,教育学の一領域であるとみなして論を進めたい。
まず,社会科学,教育学,理科教育学の順にそれぞれの研究方法上の特性やアプローチについてみていく。
最後に,それらを踏まえて,今後の理科教育学の研究方法に関する論点を指摘する。
本稿は,以下のように構成されている。

1.社会科学の研究方法上の特性

ではまず,社会科学の研究方法上の特性についてみていこう。
『人文学及び社会科学の振興について(報告)-「対話」と「実証」を通じた文明基盤形成への道-』(科学技術・学術審議会学術分科会, 2009, 以降『報告』とする)では,人文学及び社会科学の方法上の特性について,以下の3つが挙げられている。

即ち、伝統的な学問観では、人文学及び社会科学の研究方法上の特性は、1.定量的に計測するというよりは、定性的に記述する学問であること、2.外形的、客観的な事実を明らかにするというよりは、解釈を通じた意味づけの学問であること、3.研究対象に再現可能性がないという意味で、非実験系の学問であるということが、しばしば言われる。
(科学技術・学術審議会学術分科会, 2009, 第二章人文学及び社会科学の学問的特性)

上記の3つは,『星の王子さま』でみたような質的研究の特性といってよいであろう。
その一方で,実証的なアプローチにもとづく量的研究について全く触れられていないわけではない。
『報告』では,上記の文章の後に,以下のような文章が続く。

しかし、他方、人文学及び社会科学においても、実証的な研究方法を積極的に活用すべきという考え方がある。この立場からは、自然科学と人文学及び社会科学との差異は質的なものではなく、量的なものであり、人文学及び社会科学においても、1.統計的な方法、2.実験的な方法、3.現地調査等のいわゆる実証的なアプローチに基づいてなされることが望ましいということになる。ここでは、実証的な研究方法による「事実」への接近の努力とともに、研究が、一見実証的な研究方法のみによって成り立っているように見えても、そこには「価値的な前提」があり、「価値的な前提」を取り扱うという意味で、対話的な方法というものに自覚的であることが求められるという考え方に立っている。

上記では,まず,人文学及び社会科学では,実証的なアプローチにもとづく研究を求める立場もみられることが述べられている。
そのことと併せて,その実証的なアプローチにおいても,「価値的な前提」があることに自覚的であることが求められることも述べられている。

以上より,社会科学は,定性的な記述,解釈と意味づけ,非実験系の学問であり,実証的な研究方法を用いる研究においても「価値的な前提」があることを自覚することが求められていることがわかる。

2.教育学の研究アプローチ

では,次に,より理科教育学に接近して,教育学で求められる研究アプローチについてみてみよう。
そのために,『(第二次案)報告大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準 教育学分野』(教育学分野の参照基準検討分科会, 2019,以降,『参照基準』とする)をみてみる。
『参照基準』(p. 4)では,教育学が多様なアプローチから教育という営みを考察することが述べられたうえで,その多様なアプローチが,①規範的アプローチ,②実証的アプローチ,そして,③実践的アプローチの3つに大きく分けられることが示されている。
各アプローチの概要は以下に示した通りである。

①規範的アプローチ
「教育を通して、何が、どのように実現されるべきかを考察するもの」
②実証的アプローチ
「教育が、事実として、どのように行われてきたか、行われているか、行われていくかを、実証的に記述・説明しようとするもの」
③実践的アプローチ
「教育の対象となる人間、あるいは教育という行為(行動)・活動・制度を、その可変性への信頼のもとに、いかにして、現在の状態からより望ましい状態に変えていくかを検討・構想するもの」
(教育学分野の参照基準検討分科会, 2019, p. 4)

以上より,教育学では,規範的,実証的,そして,実践的アプローチといった多様なアプローチから教育学の研究が行われることが求められていることがわかる。

3.理科教育学の研究アプローチ

では,いよいよ,理科教育学の研究アプローチについてみてみよう。
ここで参照するのは,大髙(2017)である。
大髙(2017)は,理科教育事象の特質を明確にした上で,理科教育研究の問いの現状を把握し,問いの狭隘化・単一化を指摘している。
大髙(2017, pp. 12-13)は,2001~2010年の理科教育学に関する論文の問いを分類して,「授業・指導法」(50%)や「子どもの認識・理科」(16%),「教材・教具」(12%)に比べて,「教育的意義・目的・目標」(0%)や「歴史・思想」(5%)が少ないことを指摘している。

大髙(2017, p. 16-17)は,この「授業・指導法」(50%)や「子どもの認識・理科」(16%)等に関する研究が経験科学的・心理学的アプローチを採用していることを指摘した上で,以下のように述べている。

理科教育研究を一つの科学として成立させるためには,経験科学的研究のはたす役割が大きいことは言うまでもない。しかしながら,先ず,理科教育事象はその要素が相互制約関係にある歴史的社会的な事象であり,しかも価値に規定された事象である。それを解明する理科教育研究の問いも相互制約関係の中におかれる一つの構造体を成していること。次に,理科教育研究の実際においては,その問いが分離・限定されるにせよ,それは研究上の他の問いを切り離しているだけであって,そこで得られた知見はそうした前提付きものであること,これらの点が忘れられてはいないであろうか。
(大髙, 2017, pp. 16-17)

上記の引用では,先に見た社会科学の研究方法上の特性と同様のことが述べられている。
すなわち,理科教育学研究における実証的なアプローチにおいても,「価値的な前提」があることに自覚的であることが求められることが述べられている。
大髙(2017, p. 19)は,上記の考察の結論として,理科教育研究においては,多様な問いが多様なアプローチから探究される必要性を指摘している。

以上から,理科教育学研究では,多様なアプローチにもとづく研究が求められていることがわかるだろう。加えて,現在,理科教育研究で多数派を占める実証的なアプローチにもとづく研究であっても,理科教育事象が相互制約関係にある歴史的社会的な事象で,さらに,価値に規定される事象であることに留意することが求められている。

以上の1~3.までの社会科学,教育学,そして,理科教育学の研究アプローチについての考察をまとめると,以下の2点が指摘できるだろう。
①多様なアプローチが求められること。
②実証的なアプローチでは価値的な前提があることを自覚することが求められること。

4.理科教育学の研究方法に関する2つの論点

では最後に,上記の考察①②と,「シンポジウム」の発表内容とを適宜対比させつつ,今後の理科教育学の研究方法についての論点を指摘する。

まず,簡単に「シンポジウム」について紹介する。
2019年11月9日,日本体育大学において,「理科教育学における研究方法論の再検討」と題するシンポジウムが開催され,筆者も参加した。
この「シンポジウム」は,「理科教育学における研究方法論を再考し,エビデンスや再現可能性の視点から国内の理科教育学領域,ひいてはより一般的な教科教育学領域に新たな論点を提供すること」を目的としていた。
シンポジストは,理科教育学者や大学院生,現場の理科教師で構成され,
再現性の危機を中心に,専ら量的研究の視点から,理科教育学の研究方法論について活発な議論がなされた。
なお,「シンポジウム」の詳細な内容については,こちらを参照されたい。

では,この「シンポジウム」の内容も踏まえて,理科教育学の研究方法について以下の2つの論点を指摘したい。

論点①理科教育学の研究アプローチの多様性

論点①
理科教育学では,実証的,あるいは実践的アプローチにもとづく量的研究が多数派を占めており,規範的アプローチにもとづく質的研究があまり行われておらず,多様性に欠けること。

本稿でみたように,(社会科学と教育学も含めて)理科教育学では,多様なアプローチにもとづく研究が求められているにもかかわらず,実証的,あるいは,実践的アプローチにもとづく研究が多数派を占めている。
もちろん,すべてのアプローチにもとづく研究が量的に等しく行われる必要はないが,特定のアプローチが採用されず,特定の理科教育事象が解明されないことは避けられるべきであろう。
この点からみると,「シンポジウム」では,多数派を占める実証的,あるいは,実践的アプローチにもとづく量的研究に焦点が当てられており,規範的なアプローチ等にもとづく質的研究についての検討が行われていなかった。
そのため,今後,規範的なアプローチ等を含めた多様な研究アプローチにもとづく理科教育学研究を可能にする方策について検討することも必要ではないだろうか。
それと同時に,実証的,あるいは,実践的アプローチにもとづく量的研究について検討する際には,その「価値的な前提」を自覚して,議論を進めていく必要があるのではないだろうか。

論点②理科教師の視点を尊重した議論の必要性

論点②
1点目の論点を背景として,理科教育学の研究方法についての議論が,量的研究を行う研究者を中心に進められていく可能性があること。

論点①でみたように,量的研究が多数派を占めている結果,今後,量的研究を行う研究者を中心に,理科教育学の研究方法についての議論が進められていく可能性がある。
「シンポジウム」は,その一つの具体であるとみなすこともできるだろう。
「理科教育学における研究方法論の再検討」と題するシンポジウムが,量的研究を中心に行ってきた理科教育学者や大学院生,理科教師によって開催されること自体が,理科教育学研究において量的研究が多数派であることを反映したものであったのではないだろうか。
「誰が理科教育学の研究方法について議論していく(べき)か」ということ自体も併せて議論していかなければ,理科教育学研究のアプローチが狭隘化・単一化していくことになりかねない。
よって,「誰が議論するのか」ということも,今後の議論の論点の一つになり得るのではないだろうか。

では,「誰が」理科教育学の研究方法について議論するべきなのだろうか。
本稿では,特に,理科教師の視点の重要性を強調しておきたい。
以下に引用した大島(1920)の一節は,1世紀経った2019年の私たちにとっても一考に値する。なお,読みやすいように,新字体で示した。

理科教授改革の第一歩として,一に優良なる教師,二に完全なる設備,三に適切なる制度を調ふるにあることは論ずるまでもないのであるが,就中其の中心点は教師の素養にあることに重きを置かねばならぬ。理科室が理科を教授するのではなく,実験室が実験を指導するのではない。専ら理科に関する豊富なる知識と,教授法の研究に熱心なる教師とを得て初めてそこに価値ある理科教授ができるのであるから理科教授革新の中心点は一に教師の素質にありといつてよいのである。
(大島鎮治, 1920, 序言, pp. 3-4)

上記の引用にみられるように,理科教育学研究の方法について今後議論していくときにも,理科教師の視点は無視することはできない。
理科教育学の研究方法が議論されるとき,理科教育学者を中心に議論が進められ,ややもすれば,その議論の結果が理科教師独自の視点にもとづく研究を阻害する可能性をはらんでいる。
理科教師が日頃から培ってきた実践知や反省知を生かし,ボトムアップで研究方法について議論していくことが今後も必要なのではないだろうか。

ご批判のお願い
本稿は,未熟な筆者の限られた経験から,理科教育学の研究方法という大きなテーマについて考察したものです。
本稿についてご批判などがありましたら,是非ご指摘いただきたいです。
どうぞよろしくお願いいたします。

引用文献
大島鎮治(1920)『理科教授の原理』, 同文館.
大髙泉(2017)「理科教育事象の特質と理科教育研究の問題設定」.大髙泉(編)『理科教育基礎論研究』, 2-21, 協同出版.
科学技術・学術審議会学術分科会(2009)『人文学及び社会科学の振興について(報告)-「対話」と「実証」を通じた文明基盤形成への道-』 「第二章 人文学及び社会科学の学問的特性」. Retrieved November 29, 2019 from http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/toushin/1246351.htm
教育学分野の参照基準検討分科会(2019)『(第二次案)報告大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準 教育学分野』. Retrieved November 29, 2019 from http://ed-asso.jp/news_main/448/
サン=テグジュペリ(著)(2019)倉橋由美子(訳)『星の王子さま』, 文春文庫.



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