GEZANというバンドの麓に足を踏み入れてみて。
縁あって、GEZANというバンドのライブに行くことになった。
正確には、行きたい!と言ってしまった。
僕とGEZANにはある因縁がある(やや誇張しすぎな文面)。
フジロック2019、
僕はまだ第一弾出演アーティスト発表のずっとずっと前からチケットを購入していた。
もう、2019年、令和が始まる年のベストデイオブザイヤー最有力候補として楽しみにしていた。
お年玉貰って、1人だけのとこで、こっそり中身を見るあの瞬間くらい(もうすっかりお年玉をあげる年齢になってしまっている)。
その最中、僕らはまず出会った。
今年のフジロック注目アーティストみたいなまとめサイト、GEZANという文字。
即Apple music。
他にもいろんなアーティストを物色していた。
期待を自分の中で精一杯膨らませているのがわかった。
そんな矢先だ。
会社の組織が若干変わった。
そして、部長が変わった。
そして、表敬訪問という名の目的のない海外出張が決まった。
僕のフジロックが無くなった。
フジロックのチケットと引き換えに、
僕の手元に残ったのはシンガポール行きのチケットだった。
さすがにショックだったね、株主総会ってやつはこえぇ。笑
中略
さあ、フジロックの時期も通り過ぎ、傷が癒えてきたところ、近所で酒を飲んでいた。
たまたま、隣に座った人とGEZANの話になり、僕のフジロック愚痴、略してフジロッ痴を聞いてもらっていた。
なんか盛り上がっちゃって、その週のGEZANのライブへ行くことに。
僕は正直に言うと、シャウトが苦手である。
どのくらいかと言われると、グリンピースご飯くらい(まじ、あれ誰考えたんや!!)
だからね、ちょっと肩張って、お尻の穴締めて、力んで聴いていた。
閃光。
違った。
結論からいうと、彼らのシャウトは辛くなかった。むしろ優しく聴こえて。なんか暖かくなって。
きっとああいうスタイルのバンドって、洗脳系に見られがちなんだけど、全感覚祭とか彼らがやろうとしてることって、彼らについてこい!ってことじゃなくて、僕らへの問題提起だし、己で考えろ!ってことなのかなぁと思って。
だから、僕らは同じ方向を向かなくていい、ただ自分で考えて自分で決める、っていう精神性だけは共有してるみたいな。
ざっとこんなことを、ライブハウスの後ろの方からぼんやりと考えていた。
なんか、GEZANというフィルターに自分自身を通してみて、すごく楽になった、スッキリした。
人と比べることなく、自分のままでいよう、と思う。
そんな精神状態が続いている。
僕の操縦士は僕だ。
そんな答えを見つけて、僕はこれからもGEZANを登り続ける。
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