KOHEI NAKATSU

1987年生まれ。 京都工芸繊維大学にて建築・デザインを履修したのちに2023年にイギ…

KOHEI NAKATSU

1987年生まれ。 京都工芸繊維大学にて建築・デザインを履修したのちに2023年にイギリスのトリニティラバン大学院でContemporary danceのCreative分野でMFAを取得。現在スペインにてダンスカンパニーに所属してコンテンポラリーダンスについて研究をしています。

最近の記事

コンテンポラリーダンスの定義の難しさについて(Chat GPTとの会話) -1

私は現在、コンテンポラリーダンスの研究をヨーロッパ圏(スペイン)でダンスカンパニーのメンバーの一員として研究しています。その中でコンテンポラリーダンスの定義をどう定義できるかは私の一つのテーマでもあります、 1. 現状 現状として日本の中では"コンテンポラリーダンスおよびアートの有効性や影響力はなんとなくは理解できるが、社会として支援という必要性が具体的にわからない、見えにくい"という傾向にあると思います。 しかしこの思考自体がヨーロッパにはなくて、ヨーロッパでは"アー

    • チャネリング(2024年6月30日)

      以下は6月30日におそらく、私のハイアーセルフからチャネリングにより受け取った内容を共有します。 感情について 光の存在から分断された個人(ツインレイなどにより別れてしまった魂)の経験で重要なものは、あくまで過程にあり、本質にあるものは私たちの感情、体感により引き起こされ、推し進められている行動にあります。 その過程により生み出されたエネルギーはあなたの世界を創造するのにとても必要なエネルギーです。結論を急ぐ必要はありません。 しかしながら過程により得られる結果とうい

      • 現代アートで最低限これだけ知っておくと良い、と思う -1 (キュビズムをベースとして)

        現代アートでこれだけ知っておくと見方が変わる、と思うことを簡単に、端的に、書いてみようと思います。 「抽象度の高さ」 まず、現代アートを難しくさせる一番の理由は表現の「抽象度の高さ」にあると思っています。例えばマーク・ロスコの作品が高値で落札されましたがどこにそんな価値があるのかと思う人は少なくないでしょう。 単純に「色彩と構成が素晴らしい」では片付けられないはず。 なぜ表現として抽象度を高くする必要性があったのか。 そのまず手掛かりの一つとしてパブロ・ピカソがなぜ有名

        • アートを守るのは一体誰の役割なのか

          少なくとも建築自体はカリフォルニアの土地のようなので日本の価値観で全てを抑えることはできないだろう。 私は記事の内容はともかくとして、アメリカのセレブが安藤忠雄の建築に興味を持つことが面白いと思っている。記事の中にあるが安藤忠雄の建築が現代アートの巨匠の延長上として名前を挙げられており、アートのコレクションに勤しんでいるとのこと。 難解であるはずのアートを、人を喜ばせることを生業とするポップスターの行くところまで行き着いた人が作品に多額の出資をすることはある種の安心を覚える

        コンテンポラリーダンスの定義の難しさについて(Chat GPTとの会話) -1

          コンテンポラリーダンスの定義(Chat-GPTと自分との会話)

          ここではコンテンポラリーダンスの”コンテンポラリー”という意味について多角的に考えてみたいと思います。 歴史的なコンテンポラリーダンス自体の話もありますがダンス以外のアートという人間表現の媒体を参照してコンテンポラリーダンスについて考えてみます。 デザイン大学を出身した私にとってアートやダンス自体は自由度が高く思てて、非常に難しい表現でした。しかし多くのアートやダンスを触れるにつれて参照(リファレンス:アート表現が影響し合うこと)が重要な意味を占めていて、制作された年代や時代

          コンテンポラリーダンスの定義(Chat-GPTと自分との会話)

          学術的な視点でのコンテンポラリーダンス考察2(Chat-GPTと自分との会話)

          こちらではコンテンポラリーダンスにおける”研究”という学術的なフレームワークと哲学の分野がどのようにお互いに発展してきたか、の会話で前回の投稿の続きです。 デジタルと存在論についての会話です。 例えば、コンテンポラリーダンスのタスクベースの振付・ムーブメントリサーチを行う際にBody-ownership、すなわち私たちの体はBody-Mindの視点からどこまでをコントロールすることができるのか、という論議になる時があります。 このような視点を考える際に存在論的な視点は有効なの

          学術的な視点でのコンテンポラリーダンス考察2(Chat-GPTと自分との会話)

          学術的な視点でのコンテンポラリーダンス考察(Chat-GPTと自分との会話)

          これは自分とChat-GPTとの会話の記録です。 コンテンポラリーダンスの定義は非常に多義的です。私は2024年にロンドンでコンテンポラリーダンスの大学院を修了したのち、現在スペインでコンテンポラリーダンスカンパニーに所属して個人的に研究を行っています。Chat-GPTで改めて学術的なフレームワークとコンテンポラリーダンスの考察について会話してみました。 こちらが非常に興味深いものですのでこちらに共有しました。 こちらではコンテンポラリーダンスにおける”研究”という学術的な

          学術的な視点でのコンテンポラリーダンス考察(Chat-GPTと自分との会話)

          アートと自己表現における西洋と東洋の違い、バイアスなど

          普段の生活で東洋と西洋のコミュニケーションの違いのようなものに興味をふつふつと持っていて、なんとなく感じていることをざっと書いてみました。 アートを含む自己表現の中で面白いのが、日本において「アートの意味」、「アートの価値」言い換えれば「自己表現の価値」についてヨーロッパとは微妙に異なるコンテクストで論議されることが非常に多くあることにある。 私はヨーロッパ圏にきて5年目であるが私の感覚では自己表現において、曖昧だが明確な差が西洋と東洋の文化にあり、コミュニケーションプロ

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