村田広平(金平糖)

1957年生れです。65になったら現在の勤めを終えるつもりで自営の生計手段を現在準備中…

村田広平(金平糖)

1957年生れです。65になったら現在の勤めを終えるつもりで自営の生計手段を現在準備中です。絵が好きで一時イラストの仕事をしていた時もありました。安倍政治への抗議がきっかけでギターの弾き語りや歌を学び直し中。歴史好きで、ここには、まず、私の母のことから書いていこうと思います。

最近の記事

1931(昭和6)年生の母の聞き書き回顧(3)

<閲覧者の皆様へ 母は何とか元気です。文章は現在細部を書き換え中。確定後に当説明削除予定>  なお、第1回と第2回は「です、ます」調で書いてきたが「だ、である」調のほうが書きやすいので、とりあえず、今回からはこの形で書いていく予定。今回最初に載せた画像は、1920(大正8)年27歳で亡くなった母の叔父(祖母の兄)の遺稿集の見開きの頁。その3回忌に25歳の若さだった祖母が兄の紀行文を集めて作ったものである。祖母の兄については下記の文章中に※で説明を挿入した。1920年に没して

    • 1931(昭和6)年生の母の聞き書き回顧(2)

      第2回分(10月9日初稿)  初回で、母自身の一番古いと思われる記憶を聞いた話を最後に書きました。それは、波打ちぎわで、足を海水に浸して海に向かって立っていて、引く波によってかかとのあたりの砂が削られるくすぐったいような感覚でしたが、母の4つ下の妹が生まれる前のことなので、母は3つか4つだった頃のことと思われます。  母が幼少期に逗子の借家に住んでいたということも前回の文章に書きました。その借家について、平屋で縁側があったこと、雨戸が家の隅の角で、直角に曲がるようにして移

      • 1931(昭和6)年生の母の聞き書き回顧録

                                    第1回分(2020年9月19日初稿 9月21日 母と姉妹の年齢差記入) <母と私たち子ども、母の世代について>  母は2020年9月現在で88で11月末に89歳になります。現在は東京郊外の弟の住まい近くの老人ホームの居室暮らし。私は1957(昭和32)年に母が25歳の時に初めての子供として生まれ、3年後に弟、9年後に妹が生まれました。  母は昭和の激動期、太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年12月8日を10

      1931(昭和6)年生の母の聞き書き回顧(3)