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30年前にYouTubeがあったなら

いまどきの大学生にはYouTubeなどで自己表現している人が多いですね。高校生にもいます。高校生はTikTokが多い印象。なかには実名や顔出しの人もいて、やりたいことをやっている。

彼らを見ているとひとつの仮定が浮かびます。もし、自分が高校生や大学生のころにYouTubeやTikTokがあったなら、活動していただろうか。

意外とむずかしい自問自答です。とりあえず、かつての自分に近い高校生・大学生が、いま何を発信しているか調べてみました。


まずは高校生。甥っ子が私と同じ高校の3年生なので、YouTubeやTikTokをやっているクラスメイトがいるか質問してみました。すると、過去に鉄道系のユーチューバーがひとりいただけで、あとはまったく聞いたことがないという。

そうなんだ。もっとみんなガンガンやってるのかと思った。匿名でTwitterをやってる人が多いのかな。

つづいて大学生。私が所属していたサークル「東大音感」のYouTubeチャンネルを見ると、かなりの数の演奏動画が上がっています。なるほど、サークル単位でこれをやっているなら、個人で自作曲をあげている人が絶対に何人もいるな。ボカロPもいそう。

なんとなくイメージがわいてきました。たぶん私も同じような感じだと思います。高校時代は匿名でTwitterをやるていどで、大学に入ったらYouTubeで自作曲の発表や、音楽批評などをやっていたのではないか。

高校生のころは語れる趣味もなかったし、一芸もないので、ユーチューバーはちょっと難しい。TikTokならダンスとか何かのチャレンジとかできそうだけど、わりと陰キャというか、そういう感じではなかったんですよね。

Twitterはやってたと思う。私は厨二っぽくて哲学かぶれの青年だったから、コムズカシイわりに浅いツイートを連投して、暑苦しかったかもしれない。

今でも中途半端にこじらせた男子高校生はいると思うけど、そういう子たちがTwitterという道具を手にして、どんな言葉をつむいでいるのだろうか。何十個もスレッドを伸ばして、「永遠が存在しないことの証明」とかを書き連ねている青年がいるのかな。


大学生になると語りのレベルがマシになってきたので、きっとYouTubeかブログを始めたと思います。音楽が好きだったから、たぶん音楽に特化した何かしらをやっていた。

もしそこで腕を磨いていたら、宇野維正さんや柴那典さんみたいな音楽ジャーナリストになっていただろうか。ちなみに宇野さんは中学・高校の先輩。

うーんどうだろう。目指して、失敗したかもしれないなあ。ロッキンオンとか受験しても落ちたと思います。大学時代は何もかもが中途半端だったから、うまくいかなかったのではないか。

アーティストを目指していたらどうなっただろう。それもダメだったでしょう。いやでも、DTMとボカロがあったら違っていたかもしれない。想像はふくらみますが、まあ、ダメだったかな。


けっきょく私がインターネットで情報発信を始めたのはずっと後のことで、2002年4月、30歳になったタイミングでホームページを開設しました。

会社をやめていろいろあって、このとき大学院の博士課程1年で、ホームページでCM史に関する文章を書くようになりました。当時の私は業績もなく、まったくの無名です。そんな私に、記事を見たある先生が声をかけてくださり、そこから少しずつネットワークが広がって現在にいたります。

このときホームページを開設していなかったら今の自分はありません。ネットでの情報発信は、ときに人生を決める。これは若い人たちに力説したい。

もし20歳くらいのときにネットがあったら、その頃はCM史に興味がなかったから別のテーマでやっていたはずで、そこから別の人生がひらけていたでしょう。それが何かは分かりません。音楽かもしれないし、そうでないかもしれない。

はたしてその人生が今よりも面白くて、今よりも幸せかどうかは分からないけれど、少なくとも、今ここにいなかったことだけは確かです。茨城大学教授にはなっていなかった。そんなもうひとりの自分に興味があります。

まあ、インターネットはなかったわけだから、それはパラレルワールドにすぎないのだけれども。


世界に向けて情報発信を続けている2022年の若者たちにも、きっと何かが起こるはずです。自分を信じてほしいと思います。

フォロワー数やいいね数を増やすのは結果であって、目的ではない。自分が納得できるコンテンツを、どれだけこだわりをもって追究できるかがいちばん大事です。それがないと将来、絶対に伸びないし、一生モノにはなりません。それだけは忘れないでください。

みなさんの幸運を祈っています。

※見出し画像は大学1年生の筆者(1990年)