エチオピアの成り上がりムスリム社長の元で働いて学んだこと その3

その3「喜捨の精神」

ボスの家に出入りする中で気になることがあった。
定期的に家の庭の芝生の上にテントが立てられ、イスラム教徒の年配の方々がたむろしているのだ。

そして、定期的にヤギの解体など行いご飯をふるまっている。

なんか、イスラム教の偉い地位の方々をもてなしているのだろうか?などと思っていたのだが、後日聞いたところによるとその地域の年配の方や収入が充分でない方(?)を招いて定期的にごはん等を提供しているとのこと。

これはボス曰く成功者の証みたいなものらしいです。

これとは全然違うときに、エチオピア東部の古城壁都市ハラルへ行った際も
(ハラルはソマリランドへの交易の起点、その周辺のチャット市場の中心地、イスラム教第4の聖地とエチオピアでは言われている。エチオピア聖教の重要な教会もあるが、イスラム教文化が強いイメージ。アディスに比べて暑いのですが、ハラルビールもおいしく個人的にはとても好きな街です。)毎朝、物乞いの人たちが各商店やレストランを回って施しを受ける姿をよく目にした。店の人も嫌がるわけではなく、当然のように限られたお金や残り物を上げる。それをもらうと隣の店へ。というキャラバン隊のような状態になっていた。

また、アディスにいるときも、友人含めエチオピア聖教の人たちも教会の近くやバスターミナルなどにいる物乞いの人たちに結構な頻度でお金をあげている。
(エチオピアの大学の講師と収入を予想して盛り上がったこともありますが、アディスの物乞いの人は結構な日銭を稼いでいると思います。)

エチオピアに行ったばかりのころは絶対あげないし、何もせずにお金だけもらう人がいるのはよくない。と頑なに思っていたのだけど、宗教や文化絡まっていろいろと社会の貧しい人を救う仕組みに気づくうちにこれは大切なことなのだな。と思うようになりました。

その視点で見ていくとただ外国人の目で見ているだけではよく見えないいろいろな相互扶助の仕組みが見えてきたりもしてまた面白いのですが、この辺はきちんと解明・理解できていない部分もまだまだ多いのでネタとして書けるほどではない。。ので文化人類学等の研究者の方がいろいろと調べていらっしゃったりするのでそんな人を探したりするのをお勧めします。笑

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