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Def Jam

Hip Hopの大御所レーベル(レコード会社)
古いレーベル

歴史

キャップを被っているのがRussell Simmonsさん

Russell Simmons(ラッセルシモンズ)さんが70年代末から数多くのパーティーをニューヨークでプロモートしていて、RUN DMCのマネジメントを手掛けていた、マネジメント会社はRAGE Productionと言っていて、それがDef Jamの前身。
RUN DMCの弟とOrange KrushでMCとして関わっていた。

1958年生まれ New York Queens出身。

弟がRUN DMCのジョゼフ"RUN"シモンズ。

ラッセルシモンズさんが1984年の4月に運命的な出会いがあります。

ニューヨーク大学で映像の勉強をしていたリックルービンさんと出会います。

本物のストリートミュージックを作り既成の価値観を覆そうとしたところからDef Jamの歴史が始まる。
ブロードウェイの25番地に事務所を構え、持ち寄った資金は$4000(40万円くらい)
1984年にDef Jam Recordingsがスタート。
最初のアーティストは無名のLL COOL J さん (当時16歳)。
最初の制作費は$700(7万円くらい)。
それがI need a beat。
10万枚のセールスを記録!
大ヒット。

I need a beatの12inchは持っていなかった為、こちらを載せました。LPのRADIOはあります!

そのあともビースティボーイズやJazz Jayなどを手掛ける。
翌年にはメジャーなレコード会社として契約する。
Hip Hopミュージックを世界に発信する巨大一大レーベルへ成長します。
Def Jam作品は2000年頃はPOPチャートのトップ5によくはいっていた。
2000年頃はJay-Zが社長。

Def Jam 代表作品

KURTIS BLOW
Slick RickさんとLL COOL Jさんの作品
EPMD
Hip Hopドキュメント映画のサントラ
Def Jam South
社長はScarfaceさん
So So Def
Def Jam Japan
社長はRIKOさん
RIKOさん
岡村靖幸さん


参考にした資料

伝説のラジオ番組 Da Cypherのプロモーションテープ
映画 ブラウンシュガー
音楽と共に思い出があるように。
Hip Hopに恋に落ちた思い出から始まり主人公がレーベルを立ち上げていくお話

2000年ごろ、メインストリームの新譜を少し買っていた私はRuff Ridersなどが好きでした。あまり詳しくなかったこともあり、オールスター感がよかったとおもいます。NASよりJay-Z派。West Costにハマり、P-funk好きになり、Southを聴いて、古い曲を聴いたら、めちゃくちゃDopeでした。
クラブではミドルスクールのアンダーグラウンドの曲がよく流れていて、それがどうも苦手でした。今でも苦手。
今の私は、さらに古い80年代の方が私には合っているような気がします。

それでは、また!

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