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【劣等感は人間としての武器】 ダサさを活かす

久々に公園に行って
鉄棒にぶら下がったら
逆上がりに失敗しました。

30年前には当たり前にできていたことも
出来なくなる日はくるのだなと
少しセンチな気持ちになる前に
利用者の方から頭を4回叩かれて
元気になりました。

今日は、

思い切ってダサい部分を出せるとキャラチェンジに成功するというお話です。

キャラチェンジしなくても別に生きていけるわけですが、そうは言っても愛されるキャラって常に世の中にいますよね。

なぜあの人は許されるのに、私は怒られるんだろう。

そんなことに一つの生きるヒントが隠されているように思います。

・めちゃくちゃ地頭悪いのに、人に恵まれている。
・もはやその人の行動は失敗が当たり前になっていて、
たまにヒットを打つと称賛される。

こんな人を私はダサかっこいいと定義しています。

皆で共有された『個人の劣等感』は、
実は周りを救っていたりするというわけです。

その個人の劣等感のお陰で
空間のハードルが大きく下がる

そうすると、ちょっと無茶が出来たり(少々の失敗は彼がしてくれている)
冒険心が育まれチャレンジャーが出てきたり
修羅場を迎えそうなタイミングでも、
なんか和ませるような場の空気感ができてきたり
一人の失敗が、実は、『みんなの成功の元』になっていたりするんですよね。

メチャメチャにダサいと思っている
自分の劣等感の一つや二つって
ありますよね。

私は走るのはとても早いのですが
走る姿はとてもダサいそうです。
(自分では見たことがない)

学生時代はバスケットボール部でしたが、
レイアップシュートがえげつなくダサかったそうです。
(自分の中のイメージでは部活メンバー1、キレイなフォームだと思っていた)

どうやら私は全体的に”モーションがダサい”ということに
やんわりとですが、察知するようになりました。

最初はカッコよく早く走りたいと思っていましたが、
今ではいじられて良かったと思えるようになりました。

いじられることって
実は人間として強みだなと感じるようになりました。

・人間とAIの決定的な違い

やっぱり「感情の動物か否か」だと思うんです。
こういう”至らなさ”や
正論では論破しきれない
許される、愛されるゾーンって人間世界だからこそあるんですね。

極論を言えば、
何度失敗をしても
ご愛嬌で人生乗り切っている方
つまり、人から愛されるような性格で生まれてきた人には
正直敵わないなと思っちゃいます。

・遅刻したのに言い訳がダサすぎて、面白すぎて、許しちゃう
・もう2度と同じミスはしません!宣言からの〜同じミス
(私は2度としません!がもはや”フリ”になってしまっているケース)

これAIだったら許されないですけど
人間だったら許される場合もあるんですね。

『笑い』というのは”緊張と緩和の緩急”をつけることで生じるそうです。

ということで、今回は
劣等感は悪いものばかりじゃないよ
劣等感も武器にしちゃえば、ダサさで尖れるよ

ダサいって結構人に好かれる要素
何故なら周りを優越感にひたすことができるから。

そう思えると、やっぱり、
生きている人みんな素晴らしいんだなと

そんなことを改めて感じた1日でした。

お読みいただきありがとうございました。

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