他者への発信は極力避けたい「私は正しい」のひとこと

週末、自宅付近をウォーキングしていて、久しぶりに通りかかった本願寺系のお寺の支坊で「おっ」と思う言葉に出会った。

「私は正しい」
争いの根は
ここにある

ニュースで話題になる色々な争いの元になっていることだな、と納得する一方で、この「私は正しい」ということ自体は、必ずしも否定されるべき考え方とは限らないのでは?とも思った。

「私は正しい」が肯定される場面、いつがあるだろう。
私が思い浮かんだのは、ひとつ。
自分が決めた道を進んでいこうとするとき、その選択に自信を持たせるために、背中を押す言葉として自分に言い聞かせる「私は正しい」だ。

自分に対して発するときには力になる「私は正しい」。
これを、他者に対して発すると、凶器になってしまう。
言葉の裏に、「あなたは正しくない」というメッセージを含んでしまうことが多いからだ。

今、これを書いている時点では、あくまでも自分の内にとどめておく言葉として捉えておくことにする。そして、時の経過とともに考えることも変わってくるだろうから、折に触れて考察することにしよう。

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