第7話 宝塚に感化された先生

チャイムが鳴った。
安藤玲央はため息をついた。これから始まる5時間目は、玲央にとって憂鬱な授業、数学だ。難しいとかよりも、担当の合田先生のモソモソとした喋り方が眠気を誘う。それに、この眠たい数学を越えたらさらに眠たい芸術鑑賞が待っている。何と憂鬱なんだろう。
それにしても、おかしい。今日はなかなか合田先生が来ない。いつもチャイムが鳴るより前に来て、モソモソと授業の準備をするのに。玲央が一つあくびをしようとした時、教室の前の扉がバーンッ!と大きな音を立てて開いた。

「席につけ!」

腹の奥から教室中に響き渡る堂々たる声。
出かかったあくびが消え去ったのは、その大きな声だけのせいじゃない。教室中がざわつく。
「静まれ!そして席につけ!」
真っ赤な中世ヨーロッパの騎士のような服を身につけ、腰には銀の剣、派手なメイクで長い金髪をなびかせて一歩一歩、堂々と教卓に向かうその人物は、
「私は、数学科の合田先生ではない。フランス近衛隊長 オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェである」
合田先生改め、オスカルさん(自称)だそうな。

「アラン、号令だ!」
自称オスカルさんは教室内の戸惑いを他所に、マイペースに進める。
「アラン!アラン・ド・ソワソンよ!」
もちろん誰も返事をしない。自称オスカルさんはため息をついて
「日直!号令!」
数秒の間の後、やっと状況を理解した日直が号令をかけた。
「き…起立。気をつけー。れー。着席」
自称オスカルさんは、日直の号令に合わせて、腰にさした剣を振りかざしたり片膝をついたりしている。
玲央はますます訳が分からない。そんな教室内の空気をようやく察知したのか、自称オスカルさんは咳払いをした。
「順を追って説明しよう」
そうしてくれ。
「いよいよ、今日は我が校の一大イベント芸術鑑賞が行われる。今年は何と、あの宝塚歌劇団の、あの『ベルサイユのばら』を観劇するというのにっ!…お前達は一向に盛り上がらず、挙げ句、興味がないだの寝るだの、寝るだの……。…先生、めっちゃショック。あのね、宝塚を観ましょうってずっと企画書出してて、5年目でやっと、やっと通った。この衣装も手作りで半年かけた一張羅なんですよ…。
なのでっ!お前達の士気を上げるべく、こうして教室の空気を変えることにした。今日、私のことは'合田先生'ではなく'オスカル隊長'と呼ぶように。いいな!」
…はぁ。ま、要は学校行事にかこつけて宝塚が観れるから、普段モソモソしてる合田先生のテンションが上がってらっしゃるのだろう。玲央は一つ気になって手を上げた。
「あの、先生」
「オスカル隊長だ!」
「あ、すみません。オスカル隊長」
面倒くせぇ。
「どうした?出席番号3番 安藤玲央よ。…安藤玲央…あんどうれお…アンドレ!?おぉ、アンドレ・グランディエ!我が友よ!」
差し出された手が怖い。
「…はい?」
「あぁ、すまない、何だ?アンドウよ」
「その感じで、校長先生とか他の先生から何も言われなかったんですか?」
自称オスカルさんは、フッ…と小さく息を吐いて、真っ直ぐな瞳で答えた。
「案ずるな。たかが始末書30枚だ。首は繋がっている。問題ない」
だめじゃん。玲央は思ったが言わなかった。

「さぁ、授業を始めよう。アンドウよ!」
鋭い眼差しにビクッとする。
「書を開き、前の続きから読んでくれたまえ」
「…しょ?え?」
「書を開き、前の続きから…教科書開いて前の続き読んで!」
「え?あ、はい。えっと、(x-3) (x+1) = 0 のときxの解は…」
「アンドウよ!もっと感情を込めるのだ。国王の手紙を読むが如く。そう、この様に!」
そういうと、自称オスカルさんは感情豊かに問題文を読んだ。正直、数式に感情を込めるとかよく分からないが、たぶんそんなことなんだろう。
「さぁ、アンドウよ。この答えはいくつだ?」
また俺かよ。たぶんこの自称オスカルさんは'アンドレ'っぽい名前だからという理由で俺を集中攻撃している。というか、それっぽく'アンドレ'って言いたいだけだ。てか、'アンドレ'って誰?
なんて考えていたので答えが分からない。玲央は正直に答えた。
「分かりません」
最も、未だ教室中が数学どころじゃないのをそろそろ分かってほしい。
「分からない…難しかったか。よし、ならばこう考えるのだ、アンドウよ」
自称オスカルさんはくるりと後ろを向いて板書を始めた。半年かけた一張羅のコスチュームに、チョークの粉が容赦なく振りかかる。
「王妃がリンゴを100箱持っている、アンドウよ。生死をさまよう貧しい市民が100人いる、アンドウよ。一人にいくつずつ分けられるか、山下よ!」
急に当てられて山下がビクッとした。
「私は近衛隊長。一人を集中して鍛えたりはしない。隊員皆の底上げをしたいのだ。さぁ、山下よ」
「えっと、1…?」
おそるおそる答える山下。よくちゃんと自称オスカルさんの話を聞いていたなと、玲央は感心する。
「そうだ、1つだ」
また板書に移る。
「その解をxに代入し、平方根でグラフを3周。面積の二次係数が…」
ものすごいスピードで数式やグラフが書かれていく。
「…で、何だかんだやるとそう、-1と3が現れるのだ!…アンドウよ!」
最後の呼びかけは、もはや声が出ていない口パクだった。クラス中が変な空気で満たされている中、自称オスカルさんは一人余韻を噛み締めている。
と、チャイムが鳴った。自称オスカルさんの表情が厳しくなる。
「バスチーユの鐘の音…。お前達、書を捨て、バスチーユに集うのだ!」
そう叫ぶと、腰の剣を高く掲げて教室から飛び出して行った。そしてすぐ戻って来た。ルンルンの満面の笑みで、足は小さくその場駆け足をしている。
「何をしている!?体育館集合だ!ベルサイユのばらが始まるぞっ!」
そして廊下を走っていった。
玲央はため息をついて、今の授業、ネットで生配信したらバズっただろうなと、どうでもいい後悔をした。

〈END〉
2019年7月30日  U-3 GONG SHOW より

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