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第29話 予告状

美術館の玄関で2人の刑事を待っていた女は「学芸員の小林です」と名乗り、素早く2人を中へ通した。ベージュのジャケットを来たその学芸員…小林は、小柄ながら堂々とした足取りで館内を進む。
「お客さん、少ないんですね」
と、若い刑事が話しかけると、
「今日はもともと休館日なんで誰もいないんですよ」
と答えた。そして、
「刑事さんには誰か見えてるんですか?」
と不思議そうに尋ねた。実際、館内には小林と2人の刑事しかいない。
「あ、いえ…そういうつもりでは…」
「平日の午前中でも常に20人くらいはお客さまがいらっしゃいます。最近は美術館ブームも来てるので、若いお客さまもいらっしゃいますよ。刑事さん達もよかったら一度いらしてくださいな」
「あー…ぜひ、そうさせてもらいますよ」
年配の刑事が応えた。
「こちらです」
小林の足が止まった。たどり着いたのは美術館の中心部の、広さにして50畳はあろうかという広い空間。
「今朝、当美術館に予告状が届きました」

小林は白い手袋をはめて、傍らのベンチに置いていたクリアファイルから一通の封筒を取り出した。
「どうぞ」
受け取った年配の刑事は、丁寧に中身を取り出すとその文面を読み上げた。
「次の新月の夜に 貴美術館所有の名器 "祝いの壺"を頂戴します   怪盗 バード・アイ」
年配の刑事は若い刑事に予告状を手渡しながら尋ねた。
「小林さん。この予告状はいつ頃見つけたんですか?」
「今朝、出勤した時に他の郵便物と一緒に入っていたのを私が見つけました。あ。職業柄、普段から素手で触ってはいけない貴重なものを扱っているので、私たち職員の指紋は付いていません」
「それは、助かります」
若い刑事は、慌てて予告状をハンカチで包んだ。手袋を忘れていたらしい。
「次の新月って…?」
「来週の水曜日です」
「あと一週間ですか…」
「はい」
広い空間に三種類のため息が響く。

「この予告状に書いてある"祝いの壺"っていうのは…?」
小林は、封筒が入っていたクリアファイルから一枚の写真を出した。色も模様も無い、装飾の無いつるんとしたシンプルな壺の写真である。「壺の絵を描いてください」といわれて、10人中9人くらいが描きそうな簡単なフォルム。
「"祝いの壺"、正式名称「那須の踏化器(なすのとうかき)」といいます。江戸時代中期の職人 吉岡番秋(よしおかばんしゅう)最後にして唯一の国宝です。初孫が生まれた喜びを表現しようとしていろいろやってみた結果、一周回って何も手を加えないという斬新な作り方。底面には件の初孫 カン太くんの手型があるとかないとか」
小林の解説に熱が入る。
「番秋の友人である道具商 角谷鶴兵衛(かくたにつるべえ)は「これは、カン太くんが作ったのかな?」と首を捻ったとか捻ってないとか…いやそんなことはどうだっていい!」
ボルテージが最高潮に達して、広い空間に小林の声が反響する。休館日とはいえ、「美術館では静かにしなさい」と教えられてきた刑事2人も、学芸員のこの声量に首を捻ったとか捻ってないとか。
そんなことも構わず、小林は絶叫した。
「もう、37回目なんですよ!予告状が来るのが!!」

広い空間にこだまが響く。
「最初は正直、馬鹿にしてました。怪盗を名乗るくせに“バード·アイ”なんて、鳥目で暗い所よく見えないなら新月だの夜だの、暗い時間は墓穴だよねーとか。予告状なんて今日びまだやってるヤツいたんだーとか」
年配の刑事は黙って頷く。
「でも、毎回見事に盗みやがるから!セキュリティとかもかいくぐるから!暗闇でも仕事しやがるから!…刑事さん。ヤツら、鳥目じゃないんですね」
「…そ、そっすね」
若い刑事は苦し紛れに答えた。
「ウチとしてもこれ以上ヤツらの好きにさせたくないんです。だから私、考えました」
「考えた?」
「えぇ。今回、警察の皆さんにはヤツらを捕まえることだけに専念してほしいんです」
「ふむ。では、壺の警護はどうするんですか?」
「ふふん」
小林は胸を張った。というか、反りまくった。
「私達には、過去36回盗られてるという経験と実績があります。そこから練りに練って編み出した最終手段。館長に今現在も反対されている、いわば奥義です」
「奥義…?」
「刑事さん。実はこの壺は偽物なのですよ」
小林は、壺の置かれたガラスケースをゆっくりと指した。
「えっ!?」
「本物の在り処はあちらです!!」
小林がビシッッ!っと指さした先は、2人の刑事の足元。美術館にしては珍しい、土が剥き出しになった地面である。
「お二人が立っている床…地面。そこに撒かれている土こそが、本物の“祝いの壺”なのです!!」
「「……え?」」

「あらかじめ壺を粉々に割っておいたんです。それを外の土と混ぜて地面に撒けば、盗まれる心配はありません!どれが元壺なのか分かる訳ないからです!」
自慢気に語る小林。2人の刑事は互いの顔を見合わせた。
「そうとも知らずにやって来たバード·アイを刑事さん達が捕まえる。完璧なシナリオですね!」
遠い目をする小林を、さらに遠い目で見つめる2人。意を決して年配の刑事が尋ねた。
「ち…ちなみに小林さんは、どれが壺なのかお分かりですか?」
「それはもちろん!」
答える声には今しがたまで溢れていた自信が微塵もない。若い刑事も問う。
「壊しちゃってるんですよね…?」
「ええ」
「いや、あの…大丈夫なんですか?」
「何がですか?」
「国宝を壊して」
「大丈夫です!」
言い切った目は澄んでいた。
「さあ、これでヤツらは籠の中の鳥ですね。絶対捕まえましょう!打倒!バード·アイ!!」
やる気に満ち溢れた拳が突き上げられた。


<END>
2020年10月24日  UP TO YOU! より

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