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『鈍感力』を読んで

うちの夫はあまり弱音を吐かない。

数年前まで夫は自宅から下道と高速で2時間の距離を毎日車で往復していた。
後々単身赴任、そしてわたしが仕事を辞め彼の職場近くに引っ越すことになるのだが、それまでの間、彼は平日は毎朝6時前に家を出て、夜の9時以降帰ってくるという生活を送っていた。
しかも土日も仕事なので、平日とはスケジュールは違えどこの2時間にも及ぶ距離の往復を週7でやっていた。

もちろんキツかったと思う。睡眠時間も短ければ運転する時間も長い、ましてや高速道路の運転だ。(しかもカーブとトンネルがいっぱい)
でも、特別文句はいわないし、やらなきゃしょうがないじゃん?という姿勢。「好きなことを仕事にできてるから文句はない。」と。

この人、鉄人なのか?と幾度思ったことか。

(今は夫婦で職場近くに引越したおかげで朝も8時までに家を出て、遅くとも夜7時半までには家に帰ってきます。ご心配なく。本人はいたって健康です。)

昔から体育会系の厳しい部活や学校で揉まれたりと苦労してきた経験もあるからだろうか、屈強というか、忍耐強い人だとは思っていたが、ここでわたしは気づく。

これ、弱音を吐かないんじゃない。
大変だと思ってないんだ。

「他の人なら弱音を吐いてしまうようなことを自分はやっている」という自覚がないんだ。


人から向けられる「悪意」や「好意」

他にもこんなエピソードがある。

職場にやたら嫌味ったらしく小言をいう人がいる。
ある日夫は、その人から些細なことで注意を受け、そのままネチネチと長めの説教を受けたらしい。中には業務に関係のない人格否定するような言葉もあったそうな。
しかし夫は「今日は特に機嫌が悪いんだな」くらいに思いながら話を聞いていた。
説教が終わるやいなや、同僚たちが夫のところに駆け寄ってきて、心配されたり励まされたりとめちゃくちゃ手厚いフォローがあったそうな。
そこで夫は初めて、その人が悪意を持って自分に接していたことに気づいたらしい。


夫は昔から色恋沙汰にも疎い人だった。
誰は誰が好きとか、誰と誰が付き合ってるなんていう話への興味も薄く、他人だけにならまだしも、自分を取り巻く恋愛事情にも疎かった。
学生時代、夫のことが好きだった女の子をわたしは何人か知っているが、本人は恋心を寄せられてるなんて露も知らず。本人はというと、色恋沙汰に首を突っ込むことなく、仲のいい友達とバカやりながら平和で楽しい青春を送れたと満足しているようだ。
明らかに夫を狙っているだろう、と側から見たら思う女の子に対しても「あの子、いつも俺を誘ってくるけど誰?友達いないのかな?」など平気で抜かす男だったなぁ。(女の子が気の毒で仕方ない)
下手したら、わたしからの好意にも気づかなかったのではないかと思うくらい。結構積極的にアピールしたあの頃のわたしに感謝したい。(なんの話?)

うちの夫に備わっているのは「忍耐力」というより「鈍感力」だなと思い始め、そういえばそんな本があったな!と思い出した。

そういうわけで、わたしは夫の鈍感たる所以を探るべく、渡辺淳一著の『鈍感力』を読み始めたのだ。


「鈍感」とは天性の才

読んだ率直な感想としては、鈍感と正反対の位置にいるわたしにはない、できない感覚と思考の話だなと。

一番それを感じたのは、二章に出てくる著者が一番文芸の才能があると感じたO君の話。
O君は才能はあるものの、編集者から良い返事が貰えなかったりするとプライド故か酷く落ち込んでしまう。あまりの落ち込みように編集者も次の声をかけれずに悪循環に陥り、結局彼は文学界から姿を消したというエピソード。

O君の気持ち、めっっっ……ちゃわかる。
わたしはこのO君と違い秀でた才能もないし、ダメ出しを貰うほど挑戦したこともないけれど、めっっっっっちゃわかる。だってわたし、この世で一番ダメ出しが嫌いだもん(笑)
(わかってます。「ダメ出し」って思ってることがそもそもダメだってこと。ダメ出しではなく、「アドバイス」だし、良くなるように言ってくれてるわけで、嫌な思いさせてやろうとかそういうことじゃないってわかってます。)

でも、ダメなところを指摘されると、自分自身を否定されてるような気持ちになる。事象と自分を分離できないのだ。
だからダメ出しされたくなくて、人に見せるときは完璧な状態で見せたい。完璧な状態になるまでなにもできない、先に進めない、悪循環だ!と自分でもわかっている。自分のダメな部分は誰よりも自分がわかっているからこそ、それを人に突きつけられるのが苦手なのだ。

「才能をさらに伸ばすのは人に怒られたりダメ出しされても折れない鈍感さ」
「人に褒められて図に乗る調子の良さ、鈍感さが才能を引き出してくれる」
とざっくりこんな感じのことが書かれていて、これもごもっともだと思う。
人に褒められた時、「それは本心なのだろうか?」「この褒め言葉はみんなに言ってるんだ」なんて卑屈になる必要はない。人の言葉を勘繰ってしまうのも、敏感あるあるだと思う。

『鈍さ』は精神的な話だけではなく、肉体や健康の面でも大きく影響するという視点が医師でもある作者独特の視点で面白かった。
確かに、同じものを食べてもお腹を壊す人となんともない人がいるし、同じ条件下でも風邪を引く人と引かない人がいる。
ましてや、五感に関しては『鈍い人』(視力が弱い、聴力が弱い、等々)を矯正する術はあるが、『鋭い人』(良すぎる人)は矯正のしようがない。という文を読んでこれも思い当たる節がありすぎる。(わたしは聴覚・嗅覚過敏なので困り事が多い)

「敏感であることが優れている」と評されている世の中に「本当にそうだろうか?」と一石を投じた文献なので、「鈍感さ」の良いところが列挙されていて、敏感・繊細組のわたしは耳が痛い部分が多い。
わたしは敏感であることがいいこととは全く思っていない。鈍感な方が生きやすいと思っているので、作者の主張には賛成。わたしもできることなら鈍感に生きたい。切実に。


女性は果たして本当に つよい のか

それから、やたら女性への偏見が強いなとも感じた。
恋愛における鈍感さについて語られたエピソードも、「女性ならこう思うだろうから、男性はこうすべき…」みたいなのが多かったし、妊娠出産ができる女性は痛みに強い(=鈍感)というエピソードも、うーん?どうなの?とは思った。
ちょうどこの本を読み終えてすぐ、Xで女性の痛みについてのポストがバズっていた。

うまくリンクが貼れなかったので画像で失礼します。

わたしはこの「痛さ」も妊娠出産を躊躇する理由のひとつでして…。女性は耐えられるように身体が作られてるから大丈夫だよ!みたいに言われても「それは人によるのでは…」と思うし、その痛みを経験するか否かの選択もしていいはずだ。

生理痛も同じだと思う。あれ、痛くても不快でも、子宮ごと取り出すか終わりが来る日までやめることも止めることもできない。誰もなりたくてなってるわけじゃないし、好きで毎月血を垂れ流してるわけでもない。
個人的に納得いかないのが、生理痛がないという人も世の中にはいるらしい。それこそ「鈍感さ」なのかもしれないが、痛みや不調を伴う必要があったのかといつも思う。人間のシステム、そこに関してめちゃくちゃ効率悪くて納得できない。

妊娠・出産・生理痛全て、女性にしか伴わないから「女性なら耐えれる」とか「男性があの痛さを経験したら気絶する/死ぬ」とか言われてるけど、男性にもこの痛みが初期設定で備わっていれば耐えられる設定になっているはずだ。
妊娠も出産も生理痛も人類が存続していくために必要な現象なのだから、もっといい感じに、しかも女性限定じゃなくて男性にもできるようにできなかったのかなぁなんて思ってみたり。神様もまさか、人類がこんなに発展して「結婚しない」「子どもを産まない」選択をできる世の中になるとは思ってなかったんだろうなぁ。


鈍感なくらいがちょうどいいはず

正直、「鈍感になるためのhow to本」を期待していたので、期待はずれといえば期待はずれだった。鈍感エピソードを読みながら、「どうやったらその思考になれるんだ」「そう思えたら苦労はしないよ…」となるばかりで、自分が鈍感ではないことを再認識させられた。

でも本当に、心の底から、鈍感なくらいがちょうどいいと思っている。
この敏感・繊細さが活きた場面ももちろんあるけれど、「気づかない方が良かった」とか「傷つく必要がなかった」ことって、めちゃくちゃある。
でも、もうわたしはこれとうまく付き合っていくしかない。
そのために生き方・働き方がみんなとはズレても、それでも自分が疲弊してしまわないのが一番だから。自分の機嫌は自分で取る。自分の身は自分で守るしかないのだ。

夫の鈍感たる所以は結局わからなかったが、楽なマインドで生きたいけどどういう心持ちが正解かわからないという人は読んでみるといいかもしれない。

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