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【辛口批評】御朱印と寺社参詣について思うこと

※もとより自分の書く文章では時々毒を吐いてる部分があるというか、ところどころに毒を織り込むのがもはや習性なのですが(爆)、こちらかなりあちこち毒まみれな感じで当たり強めになっておりますので、読むのは自己判断でお願いいたします。

 

昨年12月下旬、『ちいかわ』コミックス第6巻が発売され、今回の特装版の付録は御朱印帳。
それで、護国寺(東京都文京区)での「ちいかわコラボ御朱印」が先日よりスタートしましたが、開始早々フリマアプリでの御朱印転売が見付かったそうで。
X(旧twitter)には、「コラボ自体がそもそも金儲け意図であり、こうなることは分かっていたはず」的な厳しい意見も・・・。
私自身も、その考えに近いかもしれません。以前から寺社オリジナルの御朱印帳が実際の頒布価格の倍以上の値段で転売されていた事例が複数ありました。既に、当事者のモラルにだけ任せていては無理というかダメな時代であり世の中なのだろうと思います。犬の散歩時のフン放置とかも込で(これにも、それこそ憤慨しております。フンだけに:爆)。
 
フリマアプリやオークションサイトでは、売ってはいけないもの・道義的にダメなものも平気で売りに出されている話をたびたび耳にするので、私は最初からメルカリやラクマ等は見ません(爆)。新聞号外など無料で貰ったもんを売ってゼニにしようという件も過去に色々あり、「金銭面より何より心が貧しい…」という感想しか(酷評)。
私自身、自家通販を始めた当初はかなりユルくやっていたのだけど、ある時「無料配布品ばかりゴッソリ貰ってやるぞ。入るだけ入れて送ってもらおうじゃないか」みたいに「がめつさMAX」の注文がきて、これじゃこっちが身を切るばかりというか…「こっちも慈善でやってんじゃねぇよ」と、以降ハードルを高くし、事実上の購入数量制限を設けたり送料自体を上げたりしました……自分の楽しみでやってることとはいえ、見知らぬ強欲人間に搾取されるのは嫌だと(切実)。
フリマアプリの方が安く手に入ると言われても、許可を取得している中古販売業者からか新品で買ってますよね(爆爆)…その方が何かトラブルがあった時にも補償がきくというのもあり。。

御朱印ブームと言われて久しいです。
ブームはビジネス≒金儲けと太いパイプで繋がっております(辛辣)。
本来、御朱印とは「寺社参詣・参拝の証」です。
お寺によっては「御朱印」ではなく「納経」と言い、実際にお経を書写してきて納めるものと。それが難しければ、御本尊の御前でお経を読もうとか…これだって難しい人が多いので、「せめて心静かに御前で合掌する」まで簡略化、になるわけだけども…(困)。
それでも参詣・参拝するのが大前提。
だから、寺社オリジナルの御朱印帳そのもの(御朱印無)の通販というのはまだ理解出来るのだけども、御朱印そのものの通販ってのは本義に反するとしか(バッサリ)。でも御朱印帳を通販するなら、自分の寺社の御朱印は書いて出すことになるよなと…。「ほんとは通販なんてしたくない。ちゃんとお参りに来て授与していってほしい」と思っていても、「高額転売されてしまうなら仕方ない」と苦渋の通販受付を始めたお寺を知っていますのでね自分…。通販でさえ本義に反するわけだから、転売なんてゼニ稼ぎが絡んだらもう論外も論外で、ほんとバチが当たればいいわって話なんですよ。。
 
「参詣・参拝の証」なればこそ、お参りを済ませてから寺務所・社務所へ行って御朱印をいただくのが作法…なのですが。これも、お参りしないで御朱印だけ貰って帰ってしまうとかいうマナー違反もあるらしく。。…まあ、待ちますからね。「御朱印帳を頼んでから、待ってる間に参拝してくるのもアリでしょ」と思う人も居るだろうけど(ウチの家族もそうだった…ガッカリ;;)、それだって「あるべき姿」ではないわけです。。
 
そして、ブームを受けて「期間限定」や凝った・特殊な・個性的な御朱印を幾つも繰り出し、結果的に参詣者をやたら集める寺社もあり(さらに辛辣)。
人気・ブームは「金のなる木」で、いろんな所でいろんな人がその恩恵にあずかろうとし便乗商法みたいな徒花的関連出版物がバンバン発行され、界隈では「売れ線」になって特にファンでもないのに「これ描いたら売れるんじゃないか」で描く人も出る、と(辛口批評)…オリジナルの作者が知らんところで知らん人が儲けてる、なんてことにもなるわけですよね。
それが有名税というか人気者の宿命というか…それが嫌なら商業でやるな、ずぶ趣味のマイナーで・ピコであれ、ということなんでしょう(その締め方…orz)。
 
本章まとめ:モラルの低下と欲深さが止まらないのが現代人(辛辣)。

そして。
御朱印はあくまで「参詣・参拝の証」であって、それこそミニカーやフィギュア等の「コレクション」とは違うのだと。
以前、延命院(茨城県坂東市)に参詣した折に出会った、先客の参詣者さんの言葉を借りれば、「スタンプラリーじゃないんだから!」です。
個人の参拝記録とはなるんだろうけど、見せびらかすものじゃないし、SNS等で共有・拡散するものでもないだろうと。
でも、今時の人は「貰ってきたら見せたい」。いや、「見せたいから貰ってきたい」になってる人も居るよなと(酷評)。
御朱印写真をネットに出して貰った「いいね」は、あーたのものじゃない。授けてくれた寺社が貰うべきものだ、、と私は常々思っておりますよ(毒舌)。
んで、ネットに出ると、御朱印マニアというかコレクターが「これいい!貰いに行こう」と集まる…という流れが生まれてしまう、と。
 
「寺社参り」より「御朱印集め」が先に立ち、それで回って過熱している・・・もちろん敬虔な思いで参詣し御朱印をいただいている人も多数居るのではあろうけれども、どうしても人数が増えるとルール・マナーを守れない不埒ふらちな輩もそれに比例してどんどん混じってくるようになり。バッドマナーの良くない行動ばかりが目立ち、何かと取り上げられることに。。
これが現在の御朱印ブームの一つの実態ではないかと私は思ってます(辛口まとめ)。

かく言う私も、御朱印帳を持っており、寺社に詣でたら御朱印をいただいてきてます。
が。
「御朱印の見た目・内容で寺社を選ぶことはしない」がモットーで(自爆)。
あくまで詣でたい寺社が先にあり、そこで御朱印があったら頂いてくる…というスタイルです。
なので、実際寺社に着いてみて「こんな複数の種類があったとは…」だったり、いただいた御朱印を見て「うわー、こんなんだったんやなぁ」と初めて知ったり(爆)。寺社の情報はそれなりに調べるけど、御朱印の中身まではリサーチしない、と。。
まあ、詣でたい理由というのが主に境内に立つ巨樹巨木なので、そこはあまり偉そうなことは言えない我が身なのですが(墓穴)。
そして、自分の御朱印帳の中身を第三者に見せること自体ごく少ない(爆)。家族旅行の中で訪れた寺社はともかく、私個人で詣でている寺社の御朱印も相当数あるため、おそらく家族でさえ全貌を知りません(爆爆)。離れた西日本在住の文通友だちさん若干名に幾つか縮小写真のプリントアウトでお見せしたことはあるけれど、「たぶん西日本では知られてない寺社だろう」と思えて、自分が実際詣でて「こちらホント素晴らしかった」ってところの紹介文の一部としての位置づけに留めており、ご披露した数だって実際に頂いてきたうちの3割未満だろうと。お見せしてないもののほうがずっと多い。。
とどめは、詣でることが第一目標なので、御朱印が貰えなくても諦めて帰る(爆)。ありますよ、期間限定の書置御朱印が「在庫切れで今ありません。数日中には入りますが」と言われ「いや、来ようと思えば来れますがね数日後。でも次に来るのは何年後だわ!」で帰ったとか(爆)、御朱印待ちの列が長くてなかなか進まないので「巨木の写真は撮ったし、お参りしたし…バスの時間もあるから帰ろうか」の結論に達した、って時も(実話)。それでも、さほど後腐れというか未練もなく、ほどなく忘れてしまう(爆爆)。御朱印が欲しくて行ったわけじゃないというのが大きいのかもしれません。。

あと、今回の一件で思うのは、「どうしてもお参りするのが難しい人の為に郵送対応があってもいいんじゃないか」という意見は、やっぱりおかしいんじゃないかと。
過去記事「ブス論」の中で書いた、「死活問題で真剣に美容整形が必要な人は本当に一握り」と同じで、当初予定の約1ケ月という期間では難しかったろうけど後でそれが約半年間まで延びたのだから、マジで欲しい・どうしても欲しいのだったら「何をか、どうにかしよう」と最大限の努力をすべきではないか、と。何をどうしてもこの半年の間で東京の護国寺に参詣出来ない人ってのも実は一握りであって、甘えの郵送希望もそれなりの数になるんじゃないかと(激辛)。
 
私はですねえ、大学時代、どうしても生で興福寺八部衆像と蓮華王院(三十三間堂)二十八部衆像が見たくて、春休みに一人京都・奈良へ2泊3日旅行しました。北海道から奈良・京都、飛行機利用。冬休みの郵便局バイト代と、親戚から貰った成人祝をつぎ込んで(爆)。だから自分、成人式に振袖を着て撮った写真が無いのです(おおいに自爆)。それでもいい、奈良・京都に行きたかったのです(更に自爆)。…北海道は数え年、本籍では満年齢で成人式への招待状が届くという事情があり、車校(自動車教習所)通いするのに住民票を移したタイミングによりどちらからも招待されなかったのも理由ではある(もっと自爆)。でも「成人の記念に振袖着て写真撮ろう。その為にお金使おう」にはならなかった。他のやりたいことにお金を使ったわけですよ。。
あれもこれも得よう、あっちもこっちも立てよう、というのは虫のいい話じゃないでしょうか。何かを取ったら、他の何かは捨てねばならない、そのくらいの覚悟が常に必要なものじゃないでしょうか。
 
もう一つ私事を述べるなら、蒲生かもう八幡神社ですね…。どうにも「蒲生の大クス」(「日本一の巨樹」、国指定特別天然記念物)に会いたくて会いたくて、その為には鹿児島県姶良市の蒲生八幡神社に参らねばならなくて。しかしン年前、搭乗した飛行機が強風でなかなか着陸出来ず上空で旋回を続けた結果、酔って酔いまくって誇張ではなくリバースした黒歴史から、飛行機なんて怖くて乗れなくて・・・でも北関東から鹿児島まで陸路というのは現実的でなく、やはり空路を使うほかなく。泣くような思いで「それでも飛行機に乗って鹿児島まで行くんだ」と決意し、家族も言いくるめて旅行の目的地に据え、「私の希望で選んだ行先だからさあ」と自分のたかが知れてるパート収入から旅費の何割かは出し、手配も私が全てやり、鹿児島へ飛びましたよ。鹿児島中央駅から路線バスで片道約1時間、往復2時間。時間かかるけどもバスの本数・ダイヤの都合上、あまり現地での滞在時間もとれず、それでも「どうしても行きたい、どうしても会いたい」を通し…2日目の午後ほぼまるっと使いきって行って戻って来た感じです。
バスのダイヤといえば、昨年春に大戸のサクラ(茨城県東茨城郡茨城町、国指定天然記念物)を訪ねたときも、やはりバスの本数が限られており、現地滞在時間は何と7分(爆)。片道1時間以上かけて行って、7分。なんつうせわしさ(自分で言った!)。それでも会いたいんだと……はたから見ればアホでしょうが、熱い想いはあったわけです。。
 
昔は、旅・巡礼となれば、自らの足で歩くのが主でした。馬や駕篭かごを使えない庶民なら尚のこと。それこそ何日も歩いて歩いて、幾日もかけて目的地へ向かったのです。それでも人々は伊勢や熊野などへ向かったのです。自分で行くことが叶わない人は、そこへ向かうという知人に代参を頼みました。人でなく犬に託され、犬が旅人や街道沿いの人々に世話になりながら立派にその願いと務めを果たしたのが、伊勢神宮の「おかげ犬」であり、金刀比羅宮の「こんぴらいぬ」だったのだろうと。
今は自転車も自動車も鉄道も飛行機もあります。言うまでもなく時間も消費する体力もだいぶ少なくなっているのです。自分が大学生の時代にも、北海道~東京の日帰り就活をやってる同輩が幾らでも居ました。「難しい。つうか、出来ない」というのは、やはりまだ甘えがあるんじゃないかと思うのです。
費用と時間を何としてもひねり出し、お参りする。それが無理なら、「お参りに行く」という人を見付けて直接お願いする。
そのくらいの覚悟が持てない、それが出来ないのなら、「本当に今の自分に必要なもの」ではないんじゃないかと(酷評)。
「死ぬこと以外は、かすり傷」というように、コラボ御朱印が入手できないのも「かすり傷」、死活問題じゃないということじゃないかと(猛辛)。

言ってしまえば、「推し活」とはポジティブに表現すれば生きがい・元気の源となり対象の応援や経済効果へと結びつく一方で、飽くなき欲と煩悩とに囚われて道を踏み外す危険も孕んでおり。
ほんと、正規ルートでなくても・定価より高額になっても「どうしても入手したい」と欲しがる人が居るかぎり、人気・ブームが勃興し続けるかぎり、転売は無くならないと思うのです。ゼニを稼ぐ目的で転売するほうも勿論悪いが、必要以上に「推しにまつわるものなら、あれもこれも欲しい。手に入れないと気が済まない」的に欲深で、あるいは転売ヤーにそう見られ「これは売れる」と思わせてる愛好者側も悪い(さらりと酷評)。それを認識しないとアカンだろうと。。
付け加えるならば、神仏との御縁を結ぶなら、なにも護国寺でなくても良いわけです。居住地の近くに大小いくらでも寺社がおありでしょう?と思うのです。私自身、たとえば地区集会所の敷地内などにこぢんまりと鎮座する神社も好きで、そういう小さな「マイ推し神社」にお参りするのも密かな楽しみです。そういう所ですから、御朱印も御守もありません。でも良いのです。
寺社には『呼ばれる』時がある、と言います。自分自身、たびたびこれをヒシヒシ感じます。いま、『呼ばれて』いますか?と問いたい気持ちです。

まとめると、宗教・信仰に関わる分野とはコラボしない方が得策だったろうな、そういう意味で「やっちまったなぁ」だったんではないかな…な、今回の一件では。。。

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