見出し画像

こはくらと巨樹巨木⑥~イチョウ、様々な生きざま

「生きている化石・生きた化石」という表現があります。一般には、昔々から姿かたちを変えずにきた生き物たちを言い、シーラカンスやカブトガニなどが挙げられますが、何より身近なのは街路樹や寺社の御神木としても見かける率の高いイチョウではないかと。イチョウもまた、恐竜が生きていた時代からほぼほぼ構造を変えないまま現在に至るといいます。針葉樹であるカヤと同じように雌雄別株の裸子植物でありながら葉は比較的大きく広く、秋には黄葉し葉を落とすので、自分が巨樹探訪記をまとめる際にどこに挿入するか迷う樹種でもあります(第一巻では金木犀キンモクセイの後・シイの前、第二巻ではカヤの後・竹柏ナギの前、第三巻では杉・広葉杉コウヨウザンタブの間…という具合に流転してる;)。
そして丈夫で寿命が長い樹種というイメージも。
各地、とくに東日本にはイチョウの巨樹巨木が多く(九州とりわけ南部には少ないなぁ…という印象を受けた)、当然のように黄葉の頃には人が集まる名木が幾つもあります。(以下、主に現地案内板情報、付随して自治体や観光協会サイトの記事を基にまとめます)

「日本一の大銀杏」と呼ばれる木が、本州のほぼ北の果て、青森県西津軽郡深浦町にあります。JR五能線の北金ヶ沢きたかねがさわ駅から徒歩10分ほどのところに立つ「北金ヶ沢のイチョウ」(国指定天然記念物)。
樹齢1000年以上、幹周22m、樹高約31m。
大きすぎて、近くなら尚更、距離を置いても全貌が分からない…それくらい巨大。
14世紀に栄えた金井安倍氏の菩提寺の別院が建っていた場所といい、伝説では古代の武将・阿倍比羅夫あべのひらふが建立した神社の跡地で、このイチョウはその時植えられたものと言われている、とのこと。
なんか想定外な歴史上の人物が出てきたことも凄かった…そんな昔の人、みたいな。そういえば苦竹にがたけのイチョウ(宮城県仙台市/国指定天然記念物)には聖武天皇の乳母の遺言により植えられたとの伝説があり、これだって相当なのですが、それよりも時を遡ることになります。これを超えるとなれば、応神天皇御手植え伝説のある宝生院のシンパク(香川県小豆郡土庄町/国指定特別天然記念物)、さらには須佐之男命スサノオノミコトが植えられたと伝わる杉の大杉(高知県長岡郡大豊町/国指定特別天然記念物)とかになりますかね……

北金ヶ沢のイチョウ

茨城県には本願寺初代・親鸞聖人や第二代・如信上人さらに聖人・上人の弟子たちによる浄土真宗布教の足跡ともいえるゆかりの寺院が多くあり、彼らに関わる伝説をもつ巨樹巨木も沢山存在します。
如信上人終焉の地である久慈郡大子町の法龍寺には、上人の十三回忌の法要を修した折に第三代・覚如上人が植えたと伝わるイチョウがあり、これがまた幹周11.1m…充分すぎる貫禄の巨樹ですが、伝説から算出される樹齢は700年強ほど。本『神様の木に会いに行く』で著者の高橋弘さんは「この大きさまで生長したイチョウ、普通なら樹齢1000年と書きそうなところであるが」と述べておられるけれども、本当にその通りだなと。
法龍寺には、他にも如信上人御手植えと伝えられるカヤの巨木があり、こちらは町指定天然記念物となっております。

法龍寺のイチョウ

那珂市の正覚寺。前述の法龍寺は現在お寺として機能していないという印象であり、如信上人の葬儀で導師をつとめた弟子・浄讃房が開基した当寺が今も如信上人の御廟所なのだと。
上人の御廟の後ろには大きなイチョウが立ち、これは上人御手植えの二代目で、さらに手前に門柱のように立つ2本のムクロジは第三代・覚如上人御手植えの二代目なのだという。
市指定天然記念物のムクロジの黄葉した姿に会いたくて詣でたのだけれど、黄葉の盛りのイチョウのほうにばかり目がいってしまった。
如信上人の遺骨は終焉の地・葬送の地である後の法龍寺とこの正覚寺とで分け合い、二つの御廟所となったそうですが、どちらにもすぐ傍に大きなイチョウの木があり、秋には美しく黄金色に染まった姿を見せる。そこで上人はお休みになられているのだなと…祖父にあたる初代・親鸞聖人にも、稲田いなだ恋しのイチョウ(茨城県下妻市)や稲田禅房のお葉付イチョウ(茨城県笠間市/県指定天然記念物)、善福寺のイチョウ(東京都港区/国指定天然記念物)などゆかりのイチョウの木があるけれど、如信上人もまたイチョウと縁深い御方なのかもしれないな…などと感じました。

正覚寺

その、稲田禅房のお葉付イチョウにも、黄葉の盛りの時期に訪ねてくることが出来ました。葉先に胞子のうと呼ばれる実をつけるのが「お葉付イチョウ」で、茨城県内には天然記念物指定を受けている木が4本あり(国指定1・県指定3)、こちらはその1本ということになります。稲田禅房・西念寺は親鸞聖人が根本聖典である『教行信証』を著した地で、山門左手には「浄土真宗別格本山」の石碑が立ちます。聖人が実をイチョウの葉に包んで蒔いたところ、やがて成長して実が葉についた…と伝わっているとのことです。

稲田禅房のお葉付イチョウ

イチョウの巨樹巨木は多く、「でかっ!」「すごっ!」という感想が先に立ちがちなのは否めない。
しかしながら、それよりも「綺麗だな、美しいな」が勝り、自分が知る中で一等の美女公孫樹イチョウ(実がなる→雌木)と公言して憚らないのが、東茨城郡大洗町、西光院のお葉付イチョウ。こちらも、県指定天然記念物。
まだ黄緑の葉も残る中で落葉は進み(お葉付でない通常のギンナンもボスッと結構な音を立てて落下してた;)、寂しくなった枝も見える中でも、「あぁ、やっぱり貴女は美しい…」と涙が出そうになりました。
それには、この木にまつわる伝承――大内山西光院の開山・宥祖ゆうそ上人は、海難者の霊をこの木に招き慰霊、冥福を祈ったと伝えられる――も関係しているのかもしれません。潮風の匂いのする港町なればこそなのかもしれないと。
落葉が進んでいるので、地面に落ちた沢山の葉をそれこそ地面を舐め回すように見まくってお葉付の実を探しましたけど…見当たらず。難しいものなのかもです。。

西光院のお葉付イチョウ

茨城県内のお葉付イチョウにあって唯一の国指定天然記念物が、水戸市の水戸八幡宮にある「白旗山八幡宮のオハツキイチョウ」。幹周9m、樹高42m、樹齢800年の堂々たるお葉付公孫樹の巨樹です。
県教育委員会ホームページ内「いばらきの文化財」によると、お葉付になる率は1割程度といいます…
余談ですが、水戸八幡宮は水戸徳川家の崇敬厚く、歴代の藩主が参詣したといい。境内の、九代藩主・徳川斉昭公(烈公)が参詣した際に涼をとったと伝わる場所「烈公御涼所おすずみしょ」には樹齢約400年のケヤキの巨樹が立っており、「八幡宮の大ケヤキ」として市指定天然記念物となっております。

白旗山八幡宮のオハツキイチョウ

水戸市内には寺社も保存樹も多く、いまだに回りきれてない場所が数多くありますが(墓穴)
北関東三十六不動尊霊場の27番札所・神崎寺は、偕楽園そして水戸藩二代藩主・光圀公(義公)と九代藩主・斉昭公(烈公)を祀る常磐神社からそう遠くない場所にあります。境内にはイチョウの巨木。
初めて訪ねたのは、今年の2月。茨城県近代美術館→千波湖畔→偕楽園→常磐神社と徒歩移動し、そこから更に歩いて泉町の京成百貨店へ向かう途中で「うぉ、大きな木があるお寺だな!」とお参りさせていただき、帰宅後調べてみて北関東三十六不動尊霊場の一と知り。ただ、その時にはまだ葉も出ない状態だから、樹形や樹皮の様子から「多分イチョウだろうけど」としか言えなかった(困)。秋に訪ねて「ああ、やっぱりイチョウだったよ!」と。しかもギンナンを沢山つけていたので雌木であることも分かりました。相変わらず寄生植物が色々ついているのが、葉があるこの時期でも分かった。「お母さんは偉大だ」という言葉はイチョウの雌木にも言えるのかもしれない。。

神崎寺のイチョウ

神崎寺から徒歩圏内に、関東三雷神の一・別雷皇太神があります。
その摂末社(と思われる)・電気神社や淡島神社の奥というか裏にも、イチョウの巨木が。見れば案内板があり、推定樹齢300年の水戸市保存樹でした。
こちらもやはりギンナンがなっていたので雌木だなと。
街路樹として植えるとなると、このギンナンの匂いが嫌われるのか、雄木ばかりが選ばれる、という話もあるけれど……寺社に植えられているものは雌木も相当数あるなという印象ですね。食糧的なメリットもあった…のかも。食べ過ぎは良くないみたいですけどね…ギンナン。。
更に言うと、我が母校もまたイチョウ並木が有名な学校の一つであり、時期になると大学・学生関係ない的な近所のおじちゃんおばちゃんがよう拾いに来てました(汗)。んで、彼らに拾われそこねてしまった実が折しも降りだす雪によって天然冷凍保存され、春先になってまたあの匂いが漂うという漫画のような展開に(さらに汗)。今にして思うと、それなりの数の雌木があったってことですね。。
ちなみにですが、関東三雷神とはこの別雷皇太神(茨城県水戸市)・金村別雷神社(茨城県つくば市)・雷電神社(群馬県邑楽郡板倉町)を言うのだそうで、私は他に金村別雷神社にも過去に参詣させていただいてます。エノキの巨樹が、これまた大きなケヤキと並んで立っている姿がありました。。

淡島神社奥のイチョウ

茨城県のイチョウ巨樹として、この木を挙げずには終われない。
行方なめがた市、西蓮寺の大イチョウです。
西蓮寺は伝教大師・最澄の弟子である最仙上人により開創され、「常陸高野ひたちこうや」と呼ばれることもある寺院で。境内の2本の大イチョウは上人の御杖銀杏といわれ、県指定天然記念物となっております。こちらは雄木のため、実はつけません。
ちなみに、県内には他にも最仙上人開山の椎尾山薬王院(桜川市)があり、こちらの境内と裏山にはスダジイが群生し日本におけるスダジイ樹叢の北限にあたり、「椎尾山薬王院の樹叢」として県指定天然記念物です。(観光いばらきホームページ、県教育委員会ホームページより)
話を戻して…過去記事というか、つぶやきにも書いてるのですけど、この大イチョウの黄葉がほんと周辺の紅葉・黄葉より遅いんですよ(汗)。「他のとこ、もうだいぶ散ってるよ?」くらいの時に、いやまだ黄緑の葉も相当あるよ、くらいの感じだったり(汗)。

西蓮寺大イチョウ、1号株
西蓮寺大イチョウ、2号株

イチョウといえば、距離を隔てながらも、ほぼ同じ運命を歩んだ2本の大銀杏を紹介したいと思います。
まずは、茨城県水戸市、JR水戸駅の北口を出て、銀杏坂いちょうざかの起点とでも言うべき場所に立つ大銀杏。
太平洋戦争末期、水戸市もまた空襲を受け、街は焦土と化し300人以上の死者を出したといいます。その中で、このイチョウも焼夷弾を浴びて黒焦げになり主幹の樹皮は剥がれ、誰もが「もう枯れてしまった」と思ったそうです。しかし、戦争が終わると、この木は新たな芽を生やしました。その生への力強さは多くの市民に感動を与え、戦後の物不足から生活に困窮する人々を励まし勇気づけたのだと。
私は高校三年間を水戸に通い、毎日のようにこの木の傍を通りかかっていたはずなのですが…この木の痛ましい過去を知ったのは、ここ数年の話です(おおいに自爆)。

水戸駅北口のイチョウ

そして、栃木県宇都宮市、市役所の近くに立つ「旭町の大いちょう」(市指定天然記念物)。宇都宮城の土塁の上にあるこの木もまた、太平洋戦争末期の宇都宮空襲により真っ黒に焼けてしまったと。それでも翌年には新芽を吹いて見事に再生し、戦後の焼け跡に残された宇都宮市民を勇気づけたのだと。
宇都宮の戦後復興のシンボルとなった、大いちょう。現在、いちょうは市の木に制定されているそうです。

旭町の大いちょう

旭町の大いちょうはギンナンがなっており樹下にたくさん落ちていたから雌木なのでしょう(秋は風下に立つとチョットきつい;;)。水戸の大銀杏は、秋にも何度も通りがけては見上げてるはずですが、ギンナンの姿かたちも匂いも全く記憶に無く…あくまで私が知る限り的な話であって断言は出来ませんけど、こちらは雄木なのかもしれません。。

それにしても、広島県広島市の被爆樹木を訪ねて回ったときにも思ったことですが、樹木は逞しいと…。人間ならば生きられないほどの過酷な体験をし大きな傷を負っても生き続けることが出来うるのだと。文字通りの「戦禍と復興の生き証人」なのだと。言葉を発することが出来なくても、戦争というものがいかに凄惨で愚かなものかを雄弁に語っているんじゃないかと。
私自身の体験で恐縮ですが、爆心地から740mの広島城二の丸跡で被爆し黒焦げになるも再生したユーカリの下に立つと、訳も分からないまま涙が溢れて止まらなくなりました。広島は日本国民だけでなく訪日外国人にも人気の観光地ですから、広島城跡にも多くの観光客が来ており賑やかでした。けれども、ユーカリの前で足を止める人は極少で、立ち止まったと思ってもすぐ歩いていってしまう。樹木の声を聞いたことも、木霊の姿を見たこともない自分が、もしかしたらユーカリの木に「会いに来てくれて、気付いてくれて、ありがとう」と言われたのかもしれない、かれが味わった地獄を・すぐ傍で絶命していった人々の無念を伝えられたのかもしれない、とも思える出来事でした。
今なお世界各地で戦争行為は続いており。今もうウクライナよりすっかりガザ情勢ばかりが報道されて「ウクライナだってまだ終わってないのに…これだからマスメディアは…『正しく公平に』じゃなくて結局、大衆が食いつきそうな、どっちかってえと不安と恐怖を煽るようなマイナス要素を集めて流すよなぁ」にならざるをえない(酷評)。「戦争犯罪なんておかしな言葉を使うよな、戦争自体が悪であり大罪だっていうのに…方便感…」と(さらに酷評)。誰かが何処かが欲をかく以上は、争いも惨禍も止まることは無い――分かっているはずなのに出来ないのが人間の悪いところなのだろうと思います。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?