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平将門公ゆかりの寺社を訪ねる~茨城県南・県西

はじめに

平将門たいらのまさかどという人物に、世間の人はどんなイメージを抱いているのでしょうか。
朝廷に刃向かった関東の武士、承平の乱、でしょうか。更に、討たれた後の首が東国へと飛んで落ちた場所が東京大都会のド真ん中に今も建つ首塚という話、あるいは妖術使いの娘・滝夜叉姫…いうなれば怨霊や妖怪に絡む伝説でしょうか。
そこで終わってしまうでしょうか。

私はここ何年も巨樹巨木を訪ねて各地を旅し、人里の巨木は寺社にあることも多いので、必然的に大小多数の寺社にも詣でています。新型コロナ以降、遠出が難しかった時期には近場を積極的に発掘して回りました。そして今もそれを継続しております。地元なのに知らない、というか、地元だから改めて訪ねたり調べたりしようともしない…そういう事物が想像以上に多かったと痛感。
「遠くへ旅行しなくても、こんな近くで十二分に知的好奇心も満たせてしまうのか」
供給が細いなら自家発電すればいい、遠くへ行けないなら身近なところでとことん楽しめばいい――そんな自分は、コロナのステイホームや旅行自粛が実はあんまりツラくなかった側の人種です(爆)。海外旅行が趣味というか生きがいの人は、ここ数年だいぶ渇いて干からびてしまってたんじゃないかと……

それはさておき、ここ数年は居住県内各地も精力的に訪ね歩いており、素敵な所が数多くあるのですよ。
魅力度ランキングなんて所詮いい面ばかり見る「あこがれ指数」だよな…大都会の人間は日本の伝統文化・異国情緒・豊かな自然を抱えた、離れた地域にあこがれを抱くんよ。人口比例形式でそんな大都会から多数の回答を収集するのは公平なようで実は不公平だと気付かないのか。だから毎度北関東が苦戦するんだ、北関東が下位になるのは東京人つか南関東人が原因なんだ…そして郷土愛が足りん人間も少なからず居るのも否定は出来ない、、と私は本気で信じて疑わない(爆)。近場に行くのは、遠出が出来ない・難しいときの埋め合わせだと思ってるだろ、こンの都会人め、、と(酷評:でもホントよ、コロナがひどくて遠出しづらかった時分にはよう足立・練馬・杉並・・と東京ナンバーを県内の道の駅で見たもんですよ…怒)。だから上位に北海道と沖縄と京都が入ってくるんだろ、、北海道の冬の寒さと大雪マジで大変なんだぞ越冬闘争って言うんだぞ、、、と。自分、大学4年間を北海道で過ごしたから、あの「しばれる寒さ」「地吹雪」「ホワイトアウト」の厳しさと恐怖は身に染みているし、そんな地域で風土病・エキノコックス症の正体を突き止めようと戦った人たちの壮絶な歴史を知っているから、軽く「いいよな北海道」とか言えない。。それもこれもひっくるめて、ホント余計なお世話だと。魅力度ランキングみたいな「直感の右脳派」のカタマリな指標で測らんでほしい…もっと「理論の頭脳派」、地に足ついた、実生活的な指標を前に出してほしい。たのむよマスメディア(真剣)。

以上、一茨城県民の心の叫びで脱線しまくりましたが、話を戻して将門公です。
関西ではどうだか知らないけど、関東では人気というか。首塚にお参りする人が絶えないといいますし、自分自身、ツイッタで将門公ゆかりの寺社を詣でた話を呟くと、ほぼ100%「いいね」をくれる将門公ファンの垢が存在してたので、それは実感としてあります。
そんな私自身、やはりかつては逆賊というイメージのほうが強かったのですが。巨樹巨木を訪ねて将門公と縁の深い茨城県南・県西を歩くうちに、「そんな恐れられるような・嫌われるような人物とは思えないけどなあ」に変わっていったのです。その経過を、いくつかの寺社を紹介しながら辿ってみたいと思います。

長禅寺

茨城県取手市取手の寺院。大鹿山長禅寺おおしかさんちょうぜんじと称す。
承平元(931)年に平将門公が勅願所として創建したと伝えられる古刹です。
堂内を上る人と下る人がすれ違わずお参りし戻ってこられる、二重らせん構造のような「さざえ堂」と呼ばれる建物の一つが現存する寺院でもあります。Wikipediaによれば、江戸時代に建てられたさざえ堂で現存するのは、円通三匝堂(福島県会津若松市)、曹源寺本堂(群馬県太田市)、蘭庭院栄螺堂(青森県弘前市)、そしてこちらの長禅寺三世堂、となります。
この長禅寺三世堂は御本尊の十一面観音像と坂東三十三ケ所・秩父三十四ケ所・西国三十三ケ所の各観音霊場の本尊の写しの合計百一の観音像が安置されており、通常は非公開ですが毎年4月18日に御開帳されるとのことです。ここ数年コロナで中止が続きましたが、今年2023年4月18日には公開されたようです(現地案内板、取手市ホームページ内記事参照)。百観音祭りのこの頃、ちょうど里桜が咲き、美しい姿で迎えてくれます。

長禅寺三世堂。こちら昨年(2022)4/18の写真なので…中に入っての拝観は中止でした(悲)

将門公による創建、というだけでも充分なのですが。私はむしろ将門公亡き後の伝承にこそグッときたのです。
将門公の死後、御本尊の十一面観音像を御厨三郎吉秀みくりやさぶろうよしひでなる人物が秘かに守り伝えたものの寺院の荒廃は甚だしかった。そして時が経ち、文歴元(1234)年、「吉秀二十七代後胤織部時平おりべ ときひら」が将門公の守本尊である十一面観音像を安置するために「四間四面御堂」を建立するとともに寺の再興を計った、とも伝えられると。
境内設置の案内板を読み、
吉秀は、いまわの際に子孫に「この観音像は将門様の守本尊。いつか必ずや再び御堂に納め、手厚くお祀りするのだ」と言い残したのではないか。それが代々繰り返され、遂に時平の代に至って再興が叶ったのではないか。
そこに在ったのは、怨霊の祟りへの恐れではなく、亡き主君への敬慕の念、平たく言えば「愛」なのではないか。
そんな想像をしたら涙が出そうになりました。

月読神社

茨城県つくば市樋の沢の神社。別名「三夜様」と呼ばれ、農業・開運の神として広く人々の信仰を集めてきたという。
天慶8(945)年の建立と伝えられ、平将門公の護持仏であった勢至菩薩を本尊とする。社殿は寛永5(1628)年、時の領主・細川氏によって創建されたといわれている。明治の神仏分離令によって月読神社と改め、16か村の村社となった。旧11月23日に行われる三夜祭はとくに賑わいをみせる、とのこと。(つくば市ホームページ内「つくば市の歳時記」より)
この月読神社の境内には巨椎があり、その木に会うのが主目的で詣でたのですが。縁日ではなかったし平日でしたから、参詣者は私一人で完全貸切状態(汗)。どんぐりが手水舎の屋根に落ちる音だけがするような静けさでした…。
御存知のように、明治の神仏分離令により廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、荒廃した寺院は少なくなかった。サイト「人里の巨木たち」の管理人さんは、このスダジイの項で「明治の廃仏毀釈で、本尊の勢至菩薩は、祭神月読命つきよみのみこととなり、三夜様は月読神社となった。当地の人々は名を捨てて実をとったのである。」と書いておられ、「当地の人々は名を捨てて実をとった」というくだりに、私はまたグッときたのです(爆)。民たちも、将門公の護持仏を・それを祀る寺院を、破却などしたくなかった、だから「いえ、ここは神社なんですよ」ということにして残したのではないか。これもまた敬慕の念、「愛」だったのではないか、と。こちらの事例の場合は、長年お祀りしてきた勢至菩薩への信頼と崇敬の念も重なっているのかもしれませんが…。
それにしても、将門公ゆかりの寺社は紋として九曜紋を使っているところが多い印象なのですけど(前述の長禅寺、後述の延命院、私自身まだ未参詣ながら國王神社に関しては直ぐ理解できるのですが…常総市の一言主ひとことぬし神社も九曜紋なんですよね…何なのだろう)、細川氏の家紋も九曜紋ですよね。細川氏は足利氏の祖と同じところから出ているから清和源氏であって平氏ではないし…。江戸時代に現・つくば市谷田部と周辺を治めていたのも細川氏で。ともあれ茨城県南・県西には九曜紋が多く見受けられるというのはホントかもしれない。

月読神社のスダジイ。サイト「茨城VRツアー」掲載情報によれば推定樹齢は700年。

延命院

茨城県坂東市神田山の寺院。神田山如意輪寺延命院という。
同じ坂東市に延命寺もありますけど(こちらも将門公の守り本尊・薬師如来を祀っていたが今は山門だけが昔の面影を残すといい、将門公ゆかりの寺院ではありますが)、将門公の胴塚があるのは延命院です。
坂東市ホームページ・観光ガイドには、「当時未開の地であった東国で民と共に開拓に取り組んだのが将門公であり、馬牧や製鉄を進め、そういった進歩性が一族との争いを生み、これが国家権力との争いに発展し、豊かな郷土の実現を間近に敗れてしまった」旨が記されており。
地元の人たちはそう感じているんだな、と改めて思いました。
将門公は敵の矢を受けて倒れ、取られた首は藤原秀郷により京都へ送られたが、残された遺骸をひそかに延命院の境内に葬ったのが、こちらの胴塚といわれている、とのこと。塚を抱くように巨大なカヤの木が立っており、私はこのカヤの木にも長いこと会いたい思いを募らせていました。
しかし、平日に一人マイペースに訪ねたいとなれば、自家用車は使えず公共交通に頼るしかない事情(困)。「何をどうしたら、ここまで行けるの…しくしく」と嘆くこと、ン年と数ヶ月。それが唐突に「おおぉ、この道を通るバスがあるじゃないか…」とネット地図をぐりぐりしていて気付き。「駅・バス停から片道30分迄なら歩いて行ける」という自分ルールにも適い、機を窺って更に数ヶ月。そんなこんなで、茨城デスティネーションキャンペーンが始まり、限定御朱印が出るという時期に入り、先日ようやく実現することが出来ました。

延命院のカヤ

自身が塚を守っている、という自負なのでしょうか。それとも、将門公の御分霊を抱き宿しているというのでしょうか。何ともいえない力強さと厳しさ、更に懐の深さが感じられ、背筋が伸びると同時に目がグワッと潤むという不思議な体験をしました。。

御堂にお参りし、胴塚に手を合わせてカヤの木をいろんな方向から撮影し終えて、御朱印をいただくべく寺務所へ。
御朱印の説明書きは外にあって、でも「あれ?キャンペーン限定の特別御朱印ってのはどれだろう…」と、ピンポンチャイムを鳴らすと、内から「どうぞー」の声。
玄関に入ってみると、お坊様と先客の参詣者さんが。
「あのぅ、茨城デスティネーションキャンペーン限定御朱印というのは…」と尋ねると、丁寧に説明いただけまして。
通常期ならば一般サイズ(A6・ハガキサイズくらい?)で御本尊と将門公との2種なのが、限定版だと見開きサイズ(一般サイズをヨコに2枚並べた大きさ)で2種を1枚にまとめている、とのこと。
いやもう、それなら見開き版をいただきますよ!!
先客さんも「私もそれをいただきます」と(笑)
書置かきおきの見開き御朱印は御朱印帳の隣り合う2ページを使って貼ればいいんだけども、折りたくないなぁと…帰宅後に見開きサイズ対応の御朱印ファイルを通販で注文したのでした(爆)

こちらで出会った先客の参詣者さんは、自分よりいくぶん年下とおぼしきアツい女性で。将門さん推しが、愛が強い!「もっと多くの人に知って欲しい、広めたい!」という熱が…「國王神社さんとコラボしないんですか?」「グッズとか作って販売しちゃいましょうよ!」と、アイデアが止まらない!愛って…素敵だ…✨
自分、最近SNSであんまし熱心に発信してなくて、果てはアカウント忘れちゃうくらいなので名乗れもせず(爆)…ただ、「それならば、取手の長禅寺とつくば市樋の沢の神社(月読神社のこと…社名ド忘れ、嗚呼ぁ)もゆかりの寺社なのでお勧めですヨ、是非詣でてくださいね☆」とお伝えしてお別れしました…取手といえば本『取手市の巨木と名木』(取手市緑化推進委員会発行)に将門公が植えたと代々言い伝えられてきた個人邸のタラヨウの木の話もあるけど、個人所有だから一介の庶民が急に行って見せてもらえるものではないよなと(どこかの過去記事で書いてると思ったけど…書いてなかったかも;)。バスの本数が少なくて、帰りのバスの時間がほぼ決まってしまっているので、あまり長居も出来ないと思いつつも、気さくなご住職と先の参詣者さんとの会話が弾んでしまって楽しくて楽しくて・・・何分くらい話し込んでいたのかしら(汗)。
御朱印の裏事情っていうんですか、はんこの入手方法つか発注先・発注様式やら、はんこのこだわりとか(笑)。ご住職が「これいいな、ウチでも使いたい」と導入されたはんこ、押されてます☆
「最近じゃ、以前まで300円だったところでも500円に上がったりもしてますしー。凝った御朱印は1000円オーバーですよねー;」とか、「私はあくまで『参拝の記念』と思ってるんで、詣でたい寺社が先にあって、行った先にあったらいただいてくる感じでユルく集めてるんですよねー」「それ同感ですヨ!スタンプラリーじゃないんだから!!っていう人も居ますよねー」とか(苦笑)。

歴史上の人物は各人いろんなイメージを持つものですから、なかなか皆の理想に沿うことは難しいですよね。きっと彼女には坂東市マスコットキャラクター・「将門くん」ではギャグまんが調の可愛い系ゆるキャラだから違うと思うのです…きっと、どこまでもおとこらしくて雄々しくて、どちらかというと武骨な感じ、それでいて優美さや人格者感も滲むみたいな風なんじゃないかなと。今時のゲームの作り込まれた3DCGのスベスベなイケメンでもなかろうし(スベスベって言うな←いやでもポリゴンから入った世代としてはもうスベスベに見えて…←延々と自己ツッコミ)、ゲームでもK〇EIというか「信長の野望」風もちょっと違うかなぁと…
※念のため断っておきますが、ギャグまんが調の可愛い系ゆるキャラとか、3DCGのゲームキャラとか、K〇EIの画風とかがダメと言ってる訳じゃないし、悪口でもありません!こういうテイストが好みの人も相応の数が居るはずなんで…
私自身はシンプルに「将門煎餅」のパッケージに描かれた武者絵のイメージなんですけどね、と話したら共感していただけたので嬉しかったですが(爆)
それにしても「今のこういう時代だからこそ将門公を大河ドラマでやってほしい!って話を、以前郷土史にお詳しいおじさんにしたら、『やってたよ?昔。加藤剛とかが出ててさ』って言われてー。。」「いや私、まだ生まれてないー(泣)」「私、生まれて間もなくて記憶なんてあるはず無いー(泣)」と……この時代この件の大河が1970年代に存在したことを知ってる非リアタイ世代人が2人同時に参詣してしまっているのが、ちょっとした奇跡じゃありませんか??(爆)

「(寺社には)『呼ばれる』時がある」「(その寺社には)呼ばれないと行けない」と言われることがありますが、これを踏まえると、他のどの日でもなくあの日に延命院に参詣したのは、やはり「呼ばれた」結果なんじゃないかと思えます。。
余談ながら、時間的には帰りのバスに余裕をもって間に合うはずが、茨城県自然博物館の休館日は散策路が通り抜け出来ず、「うわあぁぁ」と叫びながら来た道を戻って、予定とは別のバス停まで歩いて歩いて、どうにか乗りたいバス・乗りたい電車に間に合わせることが出来て、無事に帰宅しましたが…。そういえば、延命院のあとにお参りした一言主神社で引いたお守り付おみくじに入ってたのは「蛙(帰る・返る/『無事かえる』)」でしたね……。

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