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【短め読書記録】『海之怪 海釣り師たちが見た異界』高木 道郎 著

これだけの表現にしてしまうと誤解の元となるのかもしれない、でも私にはこの本が『山怪』シリーズの海版のように思われました。それは決して「二番煎じ」的な悪口ではなくて。
山と海、場所は違えど、そこで事故・自死その他様々な理由で命を落とす人が居て、また不思議な体験をする人も少なくない「異界」。時代が変わり、技術や研究が進んでも、なお謎を残したままの世界である、と。
だから、自分自身が高校生の途中まで海のすぐ傍に住んでいて海の様々な表情を見、美しさも怖さも感じていただけに、『山怪』に出会って以降「海版でも、こういう本があっていいはず」と思い続けていました。
そして昨年の夏だったかに、この本の存在を知ったのですが…昨年は読むのを諦めてしまった(自爆)。
今年は梅雨明けどころか梅雨入りを前にして既に真夏のような暑さだった為、早くも自分の中で「夏の怪談読書シーズン」が始まってしまい、この本を手に取ることと相成りました。

『山怪』にもそういうところがあるのだけれども、体験談や知人など体験者からの聞き取りベースであり創作怪談ではないので、「怖がらせよう」「こうだったら怖いでしょ?」という意図は基本無く、結果として「必要以上に怖くない」という、怖いものに興味はあるけどやっぱり苦手な『怖いものダメマニア』たる自分にはちょうど良かったのかもと(自爆)。

ただ、本当に説明などつかない「不思議な話」ばかりだったなと。異界に引き込まれそうになった話、人ならざる存在を海の水面に見た話、波にのまれたが「何か」に救われた話などある中で、「さっき出会って話したあの人は、実在する人間ではなかったのか?」とか、「確かに気配を感じた・確かに押されたのに、振り返ると誰も居ない」とかな話も多かった印象。

従兄弟は少し離れて磯釣りをしていたが、共に幼い女の子のはしゃぎ声を聞いていた。その場を去って車に乗り、立ち寄ったドライブインで、二人はそこがかつて奉公に来たが仕事がつらくて逃げ出した幼い姉妹が逃げきれず飛び降りたという崖の下だったと聞く…
という話のように因果関係というかが語られることもあり。奇妙だったり不思議だったり、背筋が寒くなり振り返って確かめることも出来ないような怖さだったりを体験した場所というのが、遭難者・犠牲者・自殺者が出たとか流れ着いた場所だったと後で分かる、という内容も結構あったように思います。
説明がつくと人間は何だか安心できる、というのも伝わってきたような。

自死でも遭難でも山で命を落とした者が「見付けてくれ」と伝えてきたかのような話は『山怪』に複数出てくるのですが、『海之怪』にもあり、これは場所を問わないものなのかもしれないと思ったり。

海での亡者には、異界に生者を引きずりこもうとする、命をとろうとするほどの意図がありそうな危険な者だけでなく、そこまでではなく自分の存在を知らせたいくらいの雰囲気な者も、そして危険を犯そうとする人に警告し或いは波に呑まれ生命が危うい人を助け、命を守ってくれる者もいるらしい。
幽霊話の多い釣り場で夜釣りをした後、霊感を得た知人に会ったIさんは、「あなたの後ろに二人見える。悪霊ではなく守護霊みたいなものだから、怖がることはない」と言われる。何年か経ち、この話を忘れてしまっていたIさんだが、どうにも奇跡としかいえない状況で二度も命が助かったとき、その「守護霊」の話を思い出したのだと。
「私が二度も生かされたのは、自分の体験をみんなに話して、海の怖さを伝えるためなのだろうと思います。霊は呪ったり恨んだりするのではなく、自分と同じ思いをさせないためにたまに出てくるのかもしれません。そう考えれば怖くはないです」
とIさんは語った。
一般的に、怪談では幽霊=怖いものであり、生者からすると敵対する者・加害者みたいな空気感が多いと思います。しかし、体験者やその知人などからの聞き取りでは、必ずしもそうとも限らない。「聞き手・受け手をただただ怖がらせよう」という意図にない、体験に基づく「実話」だからなのかもしれません。

一方で、日本は狭い国であり、地域によっては海と山が近くに並び存在する場所もあり、そうなると山同様に「狸などの動物に化かされたような話」も入ってくる。

異界なればこそ人外・異形の姿がちらつくこともある。
著者が韓国へ行った時、現地の漁師に「日本の海にも半分魚で半分人間の女という妖怪は居るのか」と話しかけられた。(通訳を通して)話を聞くと、漁師が目撃したのはアンデルセン童話やディズニー作品に登場する美しい人魚などではなく、むしろ半魚人というような怖ろしいものだったと。そして、漁師はこの話を周囲の人にしたが誰も信じてくれず、頭がおかしくなった的な扱いになり、「化け物を見てしまった自分はいつか食い殺されるかもしれない、あの化け物に遭ったせいで自分はこんな辛い目に遭っている」…と不安な様子だったという。
著者が日本の人魚について「人魚を見ると長生きできて幸福になる」と、日本における人魚伝説のプラス面を語ると、漁師は不安げな顔から笑顔に変わり、何度も頭を下げて去って行ったのだとか。
…そうなんです、これはプラス面というか、良い点だけを部分的に集めたもので。長生きするには人魚の肉を食らわねばならず、出現が大漁の予兆だったこともあれば凶事の前触れだったこともあったのが人魚という生き物です。にしても「美しい人魚だったら取って食おうとはならないんじゃないか」というのは同感であり…いやでも逆に「美しいからこそ取って食いたい」と考える人間も居るのかも、とも思ったり(恐)。。

そして考えさせられたのは、あとがきを除けば最終話にあたる「日本海中部地震で起きたこと」。
1983(昭和58)年5月26日11時59分、秋田県能代市西方沖80キロで逆断層型地震が発生し、地震の規模はM7.7。これが日本海中部地震であり、揺れによる被害のほか、秋田県・青森県・山形県の日本海側では10メートルを超える津波によって大きな被害が出た。死者104人のうち、100人が津波による犠牲者だったという。
「このあたりでは、それまで大きな津波も地震もなかったものだから、大きな揺れを感じたみんなは広い海辺に集まった。今では揺れを感じたら海に近づくなというのが常識だけども、当時はそういう知識もなかったから、よけい犠牲が大きくなった」
秋田県の男鹿半島で宿と渡船業を営む親父さんは、こんなことを話した。
津波犠牲者の中には、その時男鹿水族館を訪れていたスイス人夫婦の妻も在り、周りの人が「日本海では地震はきても津波はこない」と言うのを聞いて夫妻は駐車場に向かって途中で津波に呑まれ、夫のほうは岩礁にしがみつくことが出来たが妻は遠く流されてしまったのだと。
これこそ、「災害には親も子もなくて、知っているほうが強く、知らないほうが弱い」「自然は人間の想定など軽く超えてくる。これまで起こったことが無かろうと、その過去は今後も決して起こらないことを保証するものではない」ではないかと。
津波の犠牲者の中には、その日北秋田市から遠足に来ていた小学生も居たのだと。津波に呑まれた児童と引率教師たち43人のうち、30人は浜の人たちに助けられたが、児童13人は帰らぬ人となったという。当地の船の船長は危険を顧みずに船を出し救助にあたった。船長の奥さんも、近所の奥さんたちと力を合わせ、護岸から板やロープなどを投げて子供たちを救助したのだと。
「それでも助けきれない子どももいたの。赤い運動帽、青いトレパン、リュックを背負った子どもたちが引き波で沖へ流され、白い渦のなかに浮いたリンゴみたいな赤い運動帽が沖へ沖へ流されていく光景は、白昼に悪夢を見ているようだった」
「今でもあのときの子どもたちの声が聞こえる気がするの。そのあとの、赤いリンゴみたいに沖へ流されていった叫びも」
と、奥さんは言う。奥さんたちは、地震のあとでやって来て停まったバスから子供たちが勢いよく降りてきて、海岸へ散らばっていく姿を目にしていた。
助けるのが間に合わなかった、助けられなかった子供たちが沖へ流されていくのを思い出すたび、目を閉じてただただ手を合わせるしかなかったこと。逝った者も無論辛かったろうけれども、残された者・ただ見ていることしか出来なかった者も辛かった、災害とはそういうものだと思わされました。
津波災害の後で釣りに訪れた山形からの釣り師は、夜に子供たちのはしゃぐ声を耳にし、声は大きくなり近づいてくる。煙草の煙が線香の代わりになると聞いていたので震える手で煙草に火をつけ、道具を背負うと煙草の煙を吐き念仏を唱えつつその場を離れたが、後で声が聞こえたあたりが子どもの遺体が見付かった場所と知ったのだと。
災害などで犠牲者が出た場所では、「声が聞こえた」「背後に気配を感じた」「声を掛けられて振り向いても誰もいない」「人魂のような光を見た」「白い影が歩いているのを見た」などの話が、それこそ日本各地で聞かれるのだという。そして共通しているのは、実際に危害を加えられたり、それを境に不幸になったり、それがトラウマになり心を病んだ人はほとんど居なくて、長い年月が経てば起こらなくなっていくものなのだと。これにもまた色々なことを考えさせられます。

海は幾多の命を宿らせ養うものであると同時に、一方で陸に生きる命を時に容赦なく飲み込み、その命の糸を断ち切るものでもある。
それを改めて感じたのでした。

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