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こはくらと巨樹巨木⑤~桜・さくら・サクラ

今は秋…紅葉・黄葉シーズンであり、まだ緑葉という場所も多々ある中で、来春を見据えて(?)桜の話とかどうかなと。。
奈良時代頃迄は花見といえば梅だったらしいけど、途中から花といえば桜、花見といえば桜になったんですよね。現在の春の花見文化には、やはり挿し木で増やすクローンであるがゆえに一斉に咲き散るソメイヨシノの登場が無関係ではない気はしますが。
それはさておき、以下に紹介するのは、私が実際に会ってきた、主に「一本桜」といわれる木たちです(まあ、群や品種として天然記念物指定を受けているものもありますが)。
名木であればあるほど、開花時期の周辺の混雑っぷりは尋常ではなく…有名なものはほとんど花期を外して訪ねております(自爆)。でも、葉桜でもその堂々としたたたずまいに背筋が伸びるし、何より観桜客なんて他に誰も居なくて完全貸切、一人静かに向き合えるのが至上の幸福です(更に爆)。

大正時代に国指定天然記念物となった五本の桜の一つであり、山高神代桜(山梨県北杜市)・根尾谷淡墨桜(岐阜県本巣市)と共に日本三大桜と呼ばれ、押しも押されもせぬ日本の桜の一代表、それが三春滝桜(国指定天然記念物)です。
桜の根本さらに手前には祠や小さなお社があり、手前の賽銭箱には「瀧櫻神明宮」の文字。現地案内板には樹齢の記載が無かったのですが、一説に樹齢千年とも言われる枝垂桜の巨樹ですから、「神が宿る」と人が思うのも当然かもしれません。。

三春滝桜(福島県田村郡三春町)

そして、国指定天然記念物という肩書は同一ながら、こちらは当初単木として指定されたらしくその木が枯死し一旦は解除されるも、苗木が複数植え育てられて保存が図られて返り咲いた形の、鹽竈ザクラ。そういう事情からか、現在は単木ではなく品種としての国指定天然記念物のようです(鹽竈しおがま神社ホームページ、国指定文化財等データベースを見るに)。
陸奥一之宮・鹽竈神社の境内に平安時代には既に生育していたとされる桜で、めしべが変化し2~5枚の葉となり花弁が35~50枚あるといい、社紋にもなっています。自分が訪ねたのはまだ花期よりも前だったので、実際の花は見られませんでしたが…「国指定天然記念物なのに木がだいぶん若い気がするな…」と思ったのは、多分そういうことでした。。

鹽竈神社の鹽竈ザクラ(宮城県塩竈市)

水戸黄門こと水戸藩二代藩主・徳川光圀公も鑑賞されたと伝わる、大戸のサクラ。茨城県内で単木として国の天然記念物指定を受けて解除されていない、たぶん唯一の桜樹です(桜川市の「桜川のサクラ」も国指定天然記念物ですが、そちらはおそらく多種多数のヤマザクラとその生育地としての指定であって、単木ではないと;)。
大正時代には約1000平方メートル(ざっくり概算すれば、東西・南北それぞれ約30メートル強ほど?)もの範囲に枝を広げ、幹周は9.4mもあったといいますが、今現在は往時ほどの大きさはありません。それは主幹が既に枯損し、根本から立ち上がり育ったひこばえが現在の樹形をつくっている(たぶん)からであろうと。しかしながら、全枯死することなく確かに命を繋ぎ続け、500年を生き抜いて、天然記念物の国指定を解除されずにここまで来ている(たぶん…)桜樹なのです。Google Mapsのレビューがほんとヒドくて、ここまで偉そうにディスられる意味が分からん、敬意が足りん!と…私が納豆県民であることだけが理由ではなくフツフツしてます(切実)。自分が思うに、もっと評価されていい巨樹巨木の一つです。でも、あんまり観桜客に群がられるのも、周辺の状況を考えると避けねばならないのは事実かなと。。
本当に好きな人、愛でられる心のある人には、是非花の盛りのときに会ってほしい桜樹であり、枯損し背が低く空洞になった主幹(たぶん)も裏に回って見てきてほしい。ヤマザクラなので、周囲のソメイヨシノより花期は遅いめです。

大戸のサクラ(茨城県東茨城郡茨城町)

人気の観光地・金沢にあっても、ひがし茶屋街や兼六園周辺と比べると、寺院が集中する寺町あたりはそこまで混雑しなくて幾分落ち着いた印象を受けました。そんな寺町に建つ松月寺には、国指定天然記念物の大桜があります。塀を突き破り歩道に乗り出すように立つ姿は、非常に迫力があります。「桜は剪定にも病虫害にも弱い」と言われることもあり、だからこそ「桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」になるんだろうけど、やはり植物はしたたかであり、桜もまた美しいだけではなく逞しいものだと思わされる光景です。至岸和尚が加賀藩三代藩主・前田利常公から小松城にあった桜を拝領したものと伝わり、この木もまたヤマザクラの系統で、桜としては大輪の花という印象を受けました。(この記事のヘッダー画像が、こちらの松月寺の大桜の花を撮影した写真です)
余談ですが、同じく寺町エリアの妙法寺には推定樹齢400年以上のドウダンツツジがあり、ツツジ類では想像しえない大きさで驚きます…ドウダンツツジなので一般的なツツジのような大きい花ではなく、アセビにも似た小さな可愛らしい白い花を咲かせます。

松月寺の大桜(石川県金沢市)

かつて修験道系の寺院があった場所が今は天満宮となり、その境内に立つ枝垂桜。
推定樹齢500年超という、青森県弘前市の天満宮のシダレザクラ(県指定天然記念物)は、幹に向こうが見えるほどの大きな空洞があります。それでも生き残った北側の半身で今も枝葉を伸ばしているのだといいます。
クスタブの古木には樹洞じゅどう・「ウロ」が生じやすいという話もあり、蒲生かもう八幡神社ホームページによれば、御神木の蒲生の大クス(鹿児島県姶良市/国指定特別天然記念物)には幹の内部に畳8畳敷に相当する広さの空洞があるのだとか。他の樹種でも状況や経緯によっては出来るようで、地蔵ケヤキ(茨城県取手市、高源寺/県指定天然記念物)の場合はかつて本堂が焼失したときに幹の一部が焦げたのが原因で幹の中心が大きな空洞になったと伝えられ、後にそこに地蔵像が祀られることとなるのですが…(『取手市の巨木と名木』参照)。逆に言うと、幹の中心部を失っても生きうる樹木はそれなりの数が存在するようだと。
桜ではそこまで幹に大きな洞が出来たら生きられないんじゃないかと思ってしまうけれども、実際はそうとも限らないと見せられたというか。逞しい…

天満宮のシダレザクラ(青森県弘前市)

自分が初めてその存在を知ったときは「般若院のシダレザクラ」と聞いたのだけど、天然記念物の記載名としては龍ヶ崎のシダレザクラ。茨城県龍ヶ崎市の般若院、御堂の裏に立つ、推定樹齢500年といわれる枝垂桜。
こちらは相応に有名らしくて、やはり花期にはそれなりに花見客が来ていました。

龍ヶ崎のシダレザクラ(茨城県龍ヶ崎市)

今昔の感というか、同じ道を歩んできたはずが途中から明暗が大きく分かれたように思われてならない、茨城県内屈指のソメイヨシノ古木といえる2件のサクラをご紹介したく。
まずは、真鍋のサクラ(県指定天然記念物)。土浦市立真鍋まなべ小学校の校庭を横切るように立つ桜の古木たちは、明治40(1907)年に小学校が当地に移ったときに卒業生が植樹したソメイヨシノなのだといい、5本が天然記念物指定を受けており、樹齢5年の苗木を植えたとのことなので、今現在の樹齢は120年を超えます(現地案内板、本『いつでも見に行ける文化財 茨城の史跡と天然記念物』参照)。ソメイヨシノは江戸時代末期に人間の手で作出された種であり、まだ桜としての歴史は浅く、日本各地に多数植えられている割に100年以上生きている木となるとだいぶ減る、なんて話も(街路樹となれば環境も良くないから長生きは難しいだろうとも…だから寿命60年説とかになったりもするのだろうと)。小学校の校庭の端に植えられた桜は、その後の校庭拡張工事により、校庭の真ん中に立つようになったのだと。伐らずに残した先人たちに感謝しかありません。
花期、ちょうど小学校は春休み。その時期は、一般の見学者も校庭に入ることが出来まして。学童保育や小学校の校庭に遊びに来た児童たちの傍で、桜は花を咲かせていました。

真鍋のサクラ(茨城県土浦市)

一方。
明治36(1903)年、現在のかすみがうら市加茂に下大津しもおおつ尋常高等小学校が開校され、その頃当地に移植されたと伝わるのが、下大津のサクラ(市指定天然記念物)。どこで見たのか忘れてしまい確認がとれない情報なのですが、当時の小学生たちが何人もで運んできた桜の木とも。
時の流れの中で下大津尋常高等小学校は下大津小学校となり、さらには閉校となり。今ではソメイヨシノの古木が一株、跡地にポツンと立っています。
この木に会って、改めて「桜は別に人間を喜ばすために花を咲かせるわけじゃない。季節の流れに粛々と生の営みを繰り返していて、人間が見てようが見ていまいが、褒められようが愛でられようが、そうでなかろうが、時季が来ればただひたすらに花を咲かせるんだ」と痛感したものです。保存会により維持活動が行われているそうで、見学に訪ねて、その場には私一人きりだったわけですけど保存会の方々の愛情と心配りが感じられて、有難いことだと思いました。
来年も、再来年も、十年後も二十年後も…変わらぬ春の景色が、ここに在りますように、と。

下大津のサクラ(茨城県かすみがうら市)

正直なところ、国指定・都道府県指定天然記念物くらいの有名どころとなると、開花時期には混んでしまうので、なかなか近寄れません(切実)。
そこへいくと、市町村指定の天然記念物や保存樹木は、満開の時期ですら余裕をもってじっくり向き合えたり。月日・曜日・時間帯などタイミングによっては完全貸切も可能という、夢のような観桜タイムを満喫できる素敵スポットなのです。ましてや、無指定の桜樹となればもう「私のものよ」とか言い出してしまいたくなるくらい、しばし独占できてしまう(爆)。だからこそ、正直あんまり知られたくないし教えたくない(地)。
なので情報は絞りつつ、この春に会ってきた思い入れの強い桜樹たちのまとめ画像を貼ります(爆)

小波蔵的、桜セレクション。

上段左が、前述の「下大津のサクラ」。
下段右が、これまた前述「大戸のサクラ」の別アングルの写真です。
それ以外のあれですね…
下段中央は、別件の記事(「お寺の掲示板」)に書いた、神宮寺門前の枝垂桜です。上部が倒れて伐られても、春が来れば淡紅色うすべにいろの花々をまとい、「だって私は桜なの。伐られて小さくなったら春が分からなくなるとでも思った?」とツンとしながら、春が訪れた喜びを全身で表している風(笑)。ちなみに、夏はこんな感じでした。↓

神宮寺の枝垂桜(茨城県土浦市)

上段右は、地域に根ざした桜樹だと感じました。秋に一度訪ねていて、「春に花が咲いた姿も是非見たいなあ」と再訪し、ちょうどほぼ満開で感激したものですが…
私が訪ねたとき、おそらく近所の方なのか飲み物・食べ物を準備中というか、これから集まりがありそうな雰囲気だったので、そそくさと帰ってきたのでした。この桜を見ながら地元の人たち集まって食事会つか飲み会なのかなぁ、それはきっと春ならではの贅沢なひとときだろうなあ、と思いつつ。

下段左は、何年かかけて春夏秋冬全ての季節に通い、様々な姿を見たという意味でも思い入れの強い山桜。こちらも、やはり観光化されない「地域の桜」という感じで、近くの神社に地元の人が散歩がてらお参りしていくような場所に立っています。傍の道路に枝がはみ出し、結構ざっくり太枝を切られたようですが、樹勢に今のところ問題は無さそうです。後継木の育成が進められており、この初代のすぐ近くにはまだ小さくて細い三代目の若木があります。幼い木ではありますが、何度も訪ねているとその成長が見えて、年々背が伸びて咲かせる花の数も増えていくことが自分事のように嬉しくなります。

上段中央の枝垂桜、「なんでこんな迫力もあって美しいのに、観桜客少ないんだろ?少ないってか、先客が帰ったから、次に誰か来るまで自分一人の貸切なんだけど!?いや、嬉しいんだけどね!!」と混乱しました(自爆)
満開のピークを過ぎて散り進んではいたけれど、散って地面に積もった花びらが降り敷いた雪のようで、それはそれでまた違う美があったというか。
更に言うと、この木の周囲の柵はだいぶ小さくというか狭い範囲に立てられており、かなり間近に寄れるため、通常の樹齢数百年の枝垂桜ではなかなか難しいと思われる「裏見の桜花滝」、つまり枝垂桜のドームの中に入って内から見る体験が出来るのは貴重じゃないかと。
次は一等美しい瞬間、花の盛りに訪ねたいと熱望する桜樹です(告白:爆)

??のシダレザクラ。ぐるっと何枚も撮影したが、このアングルが一番美しいす

おわりに。
繰り返しにはなりますが、花は人間を喜ばすために咲くわけではなく、結果的に見た人間が喜んでいるということなのだと。一年草の花壇が咲き揃うのは人間の手によるものですけど、何百年と生きてきた花木に関しては、季節を感じれば自ずと花開くもので。
コロナ拡大初期、人々が不要不急の外出を自粛し家に籠らざるをえなかった最中さなかにも、春の花たちはそれこそ粛々と咲いて散っていったのですから……見る人など居なくても。
だからこそ、「見に来てやってんだぞ」なんて態度は論外で。植物もまた、今この時を命の火を燃やして生きていて、「心あらず」と簡単には言い切れないものではないかと。実話怪談集『新耳袋』の第何夜だったでしょうか、(以下、記憶のみを頼りに書きますが;)語り手がふと「あの桜の木…どうしたかな」と思ったときに何処かから誰かが「もう会えないよ」と告げたのを感じ、後日、桜樹は(枯死か伐採かにより)もうそこに無くなってしまったと知る――という…木が自身の命が長くないことを伝えてきたとでもいうような、人と木との心の繋がりを感じうるような話が載っていたこと、今でも忘れられないです。
なので、これは巨樹巨木に限らず観光スポット全般に言えることかもしれませんが、巨樹巨木はこの世で生きてきたことにおいて「命の大先輩」ですから、尚更「会いに来ました、お邪魔します」という謙虚な気持ちで相対するのが礼儀なんじゃないかな、というのが私の思うところです。。

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