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【短め読書記録】『怪奇的で不思議なものの人類学』廣田 龍平 著

真夏のような暑さが続き、PCが熱くなりやすく、日々ハラハラしながら過ごしています(汗)。PCクーラーにUSBの卓上扇も回しつつ、手短に読書記録(さらに汗)。
いやもう、こう暑いとあれこれ滞る…絵コンテとかグッズ入稿用データ作成とか以下略…。6月にして、図書館から借りてきた本を読むばかりだなんて…偏った読書癖の持主なのよ自分、真夏に読む本なくなっちゃう(大困)。

「恐怖の村」シリーズという21世紀の都市伝説やネット怪談、そしてその映像化には、
反社会的異界を超自然的異界へと先祖返りさせているところ
儀礼的行為によって異界への参入を果たすところ
など、いくつかの点で21世紀のネット怪談を旧来の民俗的な異界論の枠組みに落ち着かせようと試みている。
という箇所に、「日本には昔から隠れ里やマヨイガ等と呼ばれた異界が語り伝えられており、現代の怪談においてもその中にある『お約束・型』を踏襲し説得力を与えようとする部分があるのかも」と思い。
一方、著者は同じく21世紀のネット怪談でも「きさらぎ駅」は事情が異なり、映画『きさらぎ駅』では寝過ごして電車を乗り過ごし、戻って改めて乗った最終電車が異界に乗り入れて行った、つまり所謂儀礼的行為と呼ぶには足りないままに異界に入ったという。
とはいえ、人間、時代は変われど、変わらない根っこみたいなものがあればこそ、昔からの不思議話に通じる型が見えると安心するということじゃないのかな、、とも思ったり。

あと、「鳥獣戯画はアニミズム的とは言えない」というのにも考えさせられたなと。
鳥獣戯画は良くも悪くも、様々な学問や研究の下でネタにされるというか。
挙げるならば「日本の漫画文化の原点」だとか。これと似た感じで、「鳥獣戯画は、過去の日本人がヒトと同様に動物たちにも霊魂が宿ると見たからこそ云々」な考え方があるんだなぁと知りました。それは考えすぎというか言いすぎではないかと個人的には思うのですがね…自分にはそういう神聖感よりも風刺や皮肉、滑稽なイメージに映り、絵手本みたいな空気感の巻もあるんじゃないかと。今も作者やその意図が断定されてないわけだし。それでも、「日本の漫画文化はですね、こぉんな昔から存在しているんですよぉ!」と歴史の長さや正統系譜的なことの吹聴つか喧伝に使われるんだなぁと(どちらもほぼ同義、そしてあまり好意的ニュアンスではない:苦笑)。
そうやって一度レッテルを貼ってしまうと、剥がすの割と面倒だと思うんですよね…目のすぐ前に在るウロコが、衝撃的あるいは宗教的な出来事でもないとなかなか落ちないのと同じように。
北斎漫画というのもあるけど、今現在の感覚の「漫画」とは思えないかなと…一コマ漫画というか戯画や絵手本の集合体みたいに私には見えるし(正直な感想)、Wikipediaには画集と書いてあったし。。
「今の日本の漫画文化」の原点は、コマ割りに映画的手法を取り入れ始めたという手塚治虫先生。
と、確言しうる範囲で留めるのがいいんじゃないか、と自分は思います(爆)
ちなみに、この「目から鱗が落ちる」の出典は新約聖書「使徒行伝」とのことです(goo辞書にも書いてある)。

それから。この本の第7章で、結構な頁数を使って「ゴリラ女房・ゴリラ婿」について書かれていて…端的に言えば猿や熊、野人、夜叉などとの異類婚姻譚であり、人間のほうは子をもうけた後でも戻ろうと逃げ出すのだが、それに憤慨した異類が生まれた子どもを引き裂いて片割れを逃げる人間へと投げる、と語られるものが意外と多い…これが割と世界のあちこちに類話があるのだなと。異類が自死したり人間により殺害されたりという末路まで語るものもあり。異類は粗暴に描かれることも多い気がするのだけれども、迷い込んだ・漂着した或いは攫ってきた人間に対し食べ物を与えるなど世話をする様子はあり、中には気品と意地をまとって描かれることもあるというか…江戸時代中期の『白猿物語』に登場する白い雌猿は、人間の男との間に生んだ子猿を抱いて「千尋の底」(海のことらしい)へと身を投げた、と。

そして、時代の流れというか、それが時代というものなのかと感じたのが、第11章・恐怖に物語は必要ない
 TikTokにおいて異世界実況系の動画を視聴するとはどういうことか
何というか、「誰もいないはずなのに、何かがいる」「ここは何処なのだろう?」という一点だけでもうお腹いっぱいになれる、ということなのか?と、いい歳の自分は取りました(おおいに自爆)。
実話怪談と肩書を付けているものは、当事者からどうしても許可が下りなかった場合以外は基本実名や実際の地名で書かれているけれども。ネット怪談だと、ネットの匿名性というのもあるし、「友達から聞いた話です。友達はウソをつくような子じゃありませんから、これは本当にあった話なんです。」と書かれても、やはり「所詮作り話ってか、狂言じゃねーの」と疑う気持ちは生じます。正直、私個人は「きさらぎ駅」も書込主は愉快犯に近いものじゃないかと…何せウラが取れない、現場が2ちゃんねらーには見えないわけだから、モニターの向こう側のユーザーたちを巻き込んで一愉快犯がエンタメった…という説も出るだろうと。夢を壊すようで申し訳ないけど、異界から何事もなく電波が届くとも考えにくいし、自分一応理系人間なんで、これに関してはそう思うのです(爆)。
ともあれ、国公立大理系出で文系科目もそれなりにやった自分としては、「何が、どうして、こうなった。そして、こういう事情があった」的な起承転結要素と因果関係、もっと言うと「物語」が欲しい(正直な気持ち)。1枚で完結するはずの心霊写真にしても、見る人が見れば「なぜこのような写真が撮れたのか、なぜこの人物は写り込んでいるのか」が分かり、そこには何らかの理由なり警告なりが―大きく言えば物語が在る、と。
年とったな…と世間ニーズとのズレを改めて感じたりもですね(墓穴)。

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