見出し画像

【読書記録】対談集2冊

『脳内異界美術史 幻想と真相のはざま』荒俣 宏 著
『対談集 妖怪大談義』京極 夏彦 著
を読みました。
アラマタ先生も京極先生も「ただ知識豊富なだけじゃなく、自身のスタンスを明確に持っている」人で、あちこちの専門家あるいは作家に自分の主張を述べつつ相手からもしっかり話を引き出しているのがすごかったなと。そもそも、「この人からこういうことを聞きたい」というのがあって対談がセッティングされるのだろうから、当然かもしれないけど。

『脳内異界美術史 幻想と真相のはざま』

こちらの本では、19世紀に「サイコスティック・アート(精神病者のアート)」などと呼ばれ、20世紀半ばには「アール・ブリュット(生の芸術)」、後半には「アウトサイダー・アート(外縁者のアート)」と呼ばれた、交霊術や精神病院での治療の中で関心を集めた不思議なヴィジュアル表現に関わる話が多かったように思います。
幻想と理性のせめぎあい、というか・・・

一般人が見るとギョッとするような、それこそ何かに取り憑かれたような作品も、作者にしてみれば生活の一部というかで黙々と制作し、完成して関心が無くなれば躊躇なくごみ箱に捨てられる場合も、という話もあり。

精神を病み、自分の耳を切り落とし、ピストル自殺で自らの人生に幕を引いたゴッホ。そのゴッホの健常性と異常性。絵かきの目で見ると、ゴッホの絵には絵具の使い方などの技術的な乱れも構図的な乱れも無く、前々から統合失調症だったという説は違うと思えると。

一方、「放浪の画家」「裸の大将」「日本のゴッホ」と呼ばれた山下清が居て(この本に直接的に描かれていたわけではないけど、山下には軽い言語障害・知的障害があり、旅先でスケッチするというよりは帰宅後に記憶を基にちぎり絵を製作したり絵を描いたといい、そこからサヴァン症候群だったとする説もあるとか:Wikipediaにもある情報)。

画家の病歴が進んだ場合、論理的なものが薄れていって、誰かに見せようとかコミュニケーション的な目的が失われるとか。

それにしても、
「創造性は発症によって発露するわけではない」
「創造が生まれてるんではないんだと思います。それまで持っていた教養を、言ってみれば消費するのでしょう」
という画家・イラストレーターの山田維史さんの言葉にはハッとしました。
一度ヒットを飛ばしてしまうと、それを越えられる人がなかなか居ないのは、そのヒット作の名の下で制作を続けなくてはならない呪縛的なものだけが理由じゃない、ということなのかもと…いわば人生経験・「自分の中の引き出し」を消費したら、それ以上のものはもう出ないのかもと(何気に辛辣)。

他にも、
山田さんが過去に、初めて会った人から
初めは大学生に、
「この絵は子どもの頃に私が見た、忘れようと努めてきた光景だ」
それから何年か経ち、今度は40代半ばくらいのサラリーマンに、
「あなたは、なぜ、わたしの悩んでる夢を絵にして暴き立てるんだ」
と、くってかかられた経験がおありで。
更には、たまたま遊びに来た伯母さんが仕事部屋に入ってきて、ある絵を見て、
「小さい頃、これと同じものを見たわ」
「あんたも、あの変なもの見ちょるんだね」
と言った、とか。
アラマタ先生が「画家って、そういう不思議な体験に恵まれますね」と評するのも もっともな話でした。
それと…「注文されない絵なんて描かない」で やってきたはずが、今この年齢になってここまで来ると「あ、ほんとは自分のために描いてたんだ」と思う、と語っていらしたことにも、私なりに色々と感じるところがありました。

それと、この本で初めて知った画家が橘小夢たちばな さゆめ
アラマタ先生の
「こういう特別な妖怪感度を持った画家には、その後日本でお目にかかることもなかった。違うジャンルでいうなら、甲斐荘楠音かいのしょう ただおとの描く妖美で世俗的な舞子の油絵が、唯一これに近い。」
との見解に共感しか無かった。それほどに、この本に掲載された作品における橘の描く人物は、幻想をまといつつ退廃感漂う妖艶さというか…「色っぽい」でも、爽やかな感じではなく、澄みつつも熟れきった重みというか…。
ただ、その橘の子・孫にあたる加藤さん父子は、橘が洋画を黒田清輝に、日本画を川端玉章に学んだ画家であり、「幻想画だけが彼の画業ではなく、その何倍もの正道を行く日本画を発表、頒布している。家に一人閉じこもって幻想にふけるのではなく、同時代をちゃんと生きていた画家」で、「小夢は幻想絵画だけではない」ところを知ってほしい、と。
それでも、正統な画業の一方というかでの幻想画の実験によって生み出された絵に流れ漂う、独自の世界観…一個人の感想ですが衝撃強いめです。
ちなみに、私が甲斐荘楠音を知ったのは東京ステーションギャラリーの企画展チラシをJR駅や電車内で見かけたことによります。あれも相当衝撃だったなと…。
付け加えるなら、高畠華宵や蕗谷虹児の描いた少年少女ほか若い男女にも、妖しげで強い「目力」が見えるものが幾つもあると私個人は感じます。何つうか、それ自体はどこも決して工口くないのに色気むんむん漂ってくる絵というのがあるので、是非見てみてほしいなと。大正から昭和初期の絵葉書・絵封筒ほか大正イマジュリイを支えたのは購入者・受け手たる女学生たちでもあったと思うのですが、「ビジュアル好みの大正」という時代の人たちに刺さったのだろうなと。いや、「映え」がもてはやされる当世でも、この路線はウケるんじゃないかと個人的には思うんですが…まあ実際、他の理由もあるんだろうけど大正・昭和時代のあれこれが一部でブームになってる感じはしますよね。。

『対談集 妖怪大談義』

誰がきても上手いこと立ち回り、単なる内輪の意見交換とかじゃなく第三者が読んで楽しいエンタメにまで持っていけるのは、さすが京極先生だと。やろうと思って誰にでも出来ることじゃないので、これは決して悪口ではなくて。
こちらは平成17年刊の単行本が平成20年に文庫版化されたものといい、対談の日付も1997(平成9)年から…。けれども、その内容は全く古くなっていなくて、現在も変わらないと思えます。

京極先生、水木しげる先生を「師匠」と呼んでいるのだけど、水木先生不在のところでは結構言うよねーと…「あの人自身が妖怪なんです」「死んだら負けというのは一番よく知っている」とか(笑)。けど、それらはやっぱり悪口じゃなくて、言葉は悪くても間違ってないし、師弟だからこそ言える部分もあるのかなと。
京極先生の論理の一つとして「妖怪というのはキャラ」というのがあるようで。そして、その「妖怪の『キャラ化』」に重要な役割を果たしたのが「百鬼夜行図」を描いた土佐派ほかの絵師であり、鳥山石燕であり、水木先生であり。「子啼爺こなきじじいにしたって、柳田國男の『妖怪名彙』に ほんの数行書いてあるだけ」、そんな「形なき妖怪」の姿を確実に捉えて描き、時代の流れに消えずに残すに貢献したのが水木先生と。ただ描けばいいんじゃないと。資料を集めるだけでなく、やはり水木先生はあちらの世界とどこかで通じていらしたのではと…だから京極先生いわく「妖怪のほうが俺を描いてくれとねだってくるんです(笑)」「利用されてますね、妖怪に(笑)」になる。
京極先生の水木論といえば、以前読んだシンポジウムのまとめ本というかの『怪異を語る 伝承と創作のあいだで』の中でだったと思うのだけど、「水木先生があれだけの数の作品を残せたのは、それが仕事だったから」といった内容のことをおっしゃっていて。ここだけ抜き出してしまうと、水木しげる大先生と崇める妖怪教・水木教の熱心な信者の中には「生活の為・ゼニの為に、大先生があれだけの数を描いておられただなんて、無礼なことを言うな!」って人も出るんじゃないかと思ったんですよね。無論、水木先生が妖怪が好きで強い関心を持ち続けていらしたからでもありますが、それが仕事だったから時間と労力を注ぐことが出来たのも事実としてあるよなと…それが実際の文脈でもあったかと。本職を持ちつつ、それこそ睡眠時間その他どこかを削って原稿して本を作っている同人作家には正直無理な話ですよ。そこを見ないことにしちゃいかんよなと…オタクたるもの、一歩引いた目で考察出来る冷静さも持たねばならんよなと。言葉狩りの危険さも考えずにおれない話。

養老孟司先生との対談では、養老先生の「ユーモアとホラーは翻訳すると駄目になっちゃう。翻訳すると怖くない。翻訳すると笑えない。」に唸ったんです。言語表現も違うし、文化も違う。ただ字づらからだけ訳しても、中身までは伝わらないんだな、と改めて思ったというか。
そうか、だから以前英国の怪奇小説黄金時代の短編集を読み、自分的にさっぱりおもんなくて、「創作怪談だから自分に刺さらんかったのかなあ」と思ったけど、違う理由だったのかもしれないと。ほんと、マザー・グースなんて訳しちゃったら日本人には謎だらけというか、面白くもないし不気味でもなく、ただただ意味不明に近いよなという。
「日本語は世界に冠たる視覚言語」からの、「筒井康隆がハナモゲラ語(※日本のジャズメン等の間で流行したデタラメ外国語)で書いたポルノは、文章としては意味が通じない。だけど、そういう文字を多用していると、見ただけでこれはポルノだと分かる」「日本語で書くと臓器の名前なんて画数が多くて淫ら」は興味深かったし面白かった。確かに、字づらを見ていると何となく雰囲気が想像できるものが多い気がするので…「鬱」はホントにウツだし、薔薇もただ美しいだけじゃなくて、棘とか魔性の匂いみたいなのも感じられるよなと。

現在における陰陽師そして安倍晴明のイメージを決定づけたと言えるのが、夢枕獏先生であろうと。
夢枕先生
「でも、信じられたら、これは最高です。幸せですよ。これは本当にいるんだろうと思われて、ザマアミロと思ったことがありますよ(笑)。」
京極先生
「贋作というかフェークを作っていくというのは楽しいですね。その点では僕はまだまだで、一般の人が知らないようなゲテモノを引いてくるから、本当なのに逆に作ったんだろうと言われることがあるんです。」
「こんなのあるはずないから作っただろうという指摘をされることもたまにありまして。でも、そういうのに限って本当だったりするんですよ。」
夢枕先生
「単語一つ出すだけでも、いろいろ調べたあげくにやっと一個発見して書いた時などは、オレはこれだけ苦労したんだということをどこかに書きたくてしょうがないですよね(笑)。」
このくだりが、本当に自分にとっては「わかりみが深い」としか(笑)。
拙作には基本、実在の人物は登場しないし、実際の国・時代を固有名詞として明確に書き込んだりはしません。が、イメージする≒モデルとなる人物や国・時代というのは存在していることが多々あり、実在する言葉や概念等をほぼ定義そのままに引いている場合もあったりします(もちろん、拙作内独自の意味を与えて使っている場合もあるけど;)。でも「ぜんぶフィクション、あんたの妄想なんでしょ」と多分思われる(爆)。それは私も京極先生と同じで「(ココはホントのことで創作とは)違うんだけどなあ、悲しいなあ」になるよなと。
作家同士の対談は、趣味であっても「ものかき」してる人にはとても興味深く面白い。読み専の人はどう思うか知らんけど。

作家同士の対談といえば、宮部みゆき先生との対談も深かったなと。
京極先生の
「魔女というのは『魔法を使える女性』の略じゃない。女性蔑視とか異端審問とか魔女裁判とか、そうした背景抜きに使える言葉じゃない」
宮部先生の
「『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』に出てくる魔女の行為は日本人の感覚からすると怖い魔物のやることで、だから『あれは魔女●●だ』と言われても、ぴんとこない」
言葉の問題として「わからなくなっちゃったから」「別の意味が付加されちゃったから」いいや、というのは沢山ある、の部分に唸ってしまった。
陰陽師についても、平安時代の頃は陰陽道は学問であり陰陽師は官吏だったのが、野に下ったというかでオカルト味をまとってきたというところがあるようで。でも今現在の陰陽師のイメージというと何かかっこいい魔法使い系ヒーローみたいになっている感もある。「魔法使い」はともかく、魔女、魔女っ子というのはどうなのか、と。元をたどれば魔女は悪魔の手先で、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』に出てくるような怖いこと酷いことをする存在とされてきた……確かに、どうなのかなと思えます。
京極先生の、
「今の幽霊、心霊現象の背景には、近代個人主義を背景に持った『人間が一番偉い』的な意識があると思う。」
「僕はこんなに妖怪が好きなのに、心霊ブームには首を傾げちゃう。」
「『人間は偉い』が底流にあると肌に合わないんだなあ、と最近になって気が付いた」
との意見に、宮部先生が、
「私も、お話として楽しむのは別として、そういう(霊の)話が嫌なんです。なぜそれが嫌なのか説明する言葉を持っていなかったのだけど、京極さんが登場したことで初めて『あ、だから嫌だったんだ』とわかった。それを象徴するのが『死後の世界は生きている者のためにある』という言葉なんです。」
と述べる。
そこから、水子供養とは、かのかさねを成仏させたことで知られる祐天上人によって基礎が作られたものだという話へ広がり。当時の社会では「七つまでは神のうち」のごとく、幼児は死んでも供養も葬式もなく、この世に生まれ出ることのなかった胎児なら尚更、人扱いなどされなかった。しかし、我が子を宿していた母親は悲しむ。行き場ない悲しみを救う為に「そんなものは無い。でも必要なら、あると言おう、言い切ろう」をやったのが上人であった、と。更に、そもそもはこのように悲しむ母親という生者の為だった水子が、今では「あなたには水子が憑いている」と人を恐怖せしめ、あるいはお金を取る為に使われる。宮部先生の「システムというのは、真似されて悪用されることだってあるわけですものね」との言葉に現れてます。
私自身も『死後の世界は生きている者のためにある』というのに頷く側であり。それはだいぶ前の話ですが、何かの本で「人間、死んだら終わりというのが怖かったから、終わりじゃないよと『死後の世界』というのを考えて作っちゃった」的な話を見て、何か納得したのが始まりです。水子供養とは方向性が違うけれども、付け加えるなら「生きている間に悪いことをすれば地獄に堕ちる。だから正しく生きよう」という教えもまた「生者の為にある『死後の世界』」と言えるのではないかと思います。
ちなみに落語等でも名高い「累ケ淵」ですが、現在の茨城県常総市羽生町、鬼怒川沿岸で、近くの法蔵寺には累の墓があるとのことです(Wikipedia参照)。私事ながら、数ケ月前に常総市・坂東市をレンタサイクルで駆け抜けつつ寺社巡りしてきたのですが(爆)、弘経寺には詣でたのだから近くまでは行ったんだけども訪ねなかったのですよね累ケ淵と法蔵寺は・・・。

あと、
宮部先生の
「『面白がってね、怖がってね』と思って書いてるんだけど、そこに何か、意図している以上の意味をつけられてしまうってことがあって、これは物語を書いていて不幸なことですよね。」
「今、ほら、深読みして意味をつけることが習慣になっちゃってるから。」
には物凄く共感。何昔も前から、心理学系・行動学系の論文や書籍には、何らかの作品を取り上げて、その中でのあれこれに心理学的・行動学的な概念やモデルを当てはめて議論するスタイルはあった気がしてます。学生論文の一部をちょっと読んだことあるけど、「これって深読みじゃないの?…だよねえ、きっと制作者はそこまで考えてないよ」状態じゃないかと(地味に酷評)。言い方変えれば二次創作っぽくもないか、これで学位が貰えるんだ、文系って何かスゴイなーと、コツコツと試料を作り測定にかけデータ積み重ねて卒論まとめた理系人間の自分は素で思ったこと覚えてます(かなり酷評)。人気作・流行作ほど顕著であり、「〇〇の謎」「〇〇に学ぶ■■論」みたいな本も徒花的にバンバン出るし、もう分析・評論・詮索の嵐ですよね(さらに酷評)。受け手には程々に自重してほしいし、そこをビジネスチャンスと見ないでほしいなと(希望)。

京極・宮部対談では、手塚治虫先生の『どろろ』と水木しげる先生の『ゲゲゲの鬼太郎』他作品中における妖怪の違いも語られており。
水木作品に登場する妖怪がいわば「伝統妖怪」ならば、手塚作品のそれは「先生のオリジナル」。妖怪がブレイクするのは江戸時代、つまり色々ありつつも「世界規模でいっても『平和』が長く続いた時代」であり、その点『どろろ』は戦国時代の設定で、「妖怪に馴染まない」。難しいテーマを扱いながら、セオリーを踏みつつも所謂妖怪ものではなく時代設定も反映しての重い物語を生み出した手塚先生を、京極先生は「神話を一から創る人だった」と評しており。
手塚先生といえば、この本には手塚眞さんとの対談も掲載されており、眞さんによる「自分でも妖怪図鑑を作ってみようと沢山描いて作ったら、それを父(手塚治虫先生)が面白がって貸してくれと。そこにあった もぐらのお化けを(父が)鉄鼠のイメージと組み合わせて四化入道が出来た」との『どろろ』秘話が…これは京極先生ならずともウキウキしちゃう内容でしたね。舞台裏系の話、大好き(笑)。

文学者・高田衛さんとの対談では、『八犬伝』の構図についての箇所に「おぉー、なるほど」となったなと。
馬琴は大風呂敷を広げるだけでなく、一生懸命畳もうとした(笑)。そして二十八年をかけ、『八犬伝』の幕は閉じられる。
高田さんの言う、八字文殊曼荼羅に伏姫・八房と八犬士の構図というのは実に興味深かった。八犬士の持つ霊玉の文字(仁・義・礼・智・忠・孝・信・悌)が儒教の徳であり、「義によって」とよく出てくるところといい、儒教の影響が強いのだと私は思っていたものですから、「え、仏教?曼荼羅?」と。玉梓に『封神演義』の妲己がヒントとしてあったという説も、「えぇ?狐と狸だけど?…うん、まぁ…」で。
馬琴は読者に期待しつつも、反面分かってくれる読者はいないだろうとも思っており、「百年の後の知音に待つ」=「百年の後に私を知ってくれる人、それが初めて私の真意を理解してくれる」と言っていて、「これほど傲慢な作家はいない」。ただ、それが一人よがりの傲慢じゃなかったのが馬琴のすごいところなんだろうと。馬琴は当時の流行というか人気のものを作品に取り込んでおり、人気を意識した面はやはりあっただろうと(例えば、犬士をあちこちに行かせて旅行記めいた雰囲気の箇所もあったり、小文吾と相撲がらみの話とかも相撲人気があったからだろうという。この「当時の人々の人気を意識し取り入れた」のくだりは、こちらの対談集では直接述べられておらず、私が過去に読んだ何かの記事にあった話です;)。更には恋愛・家族愛も御前試合・決闘要素も化物退治・怪談要素もありで(怪談といえば、この本で京極先生は「怪談には美しさが必須」というようなことを述べておられ、実際それこそ『13日の金曜日』など西洋の「迫る殺人鬼の戦慄スプラッタ」的なホラーを見てから日本の四谷怪談とか見ると、殺陣に血しぶきは必須でないし、おどろおどろしくても何処かに美・美学があるのだろうと思える)、見ようによっては義兄弟には衆道・男色の匂いがするものだし、とにかくエンタメ要素が全て在ると言っても過言ではないのかもと。
八犬伝といえば、八つの霊玉をとくに調べず記憶だけを頼りに書いてますが、これで合ってると思います(爆)。『八犬伝』の名づけは因縁で繋がっているというか、名前で色々分かることがあるように組まれているものなようで。八犬士の名が分かれば、誰が何の霊玉の持主か分かるのですよ…本文中ではミドルネーム的な位置?の呼び名で書かれるから、見落としてしまうかもしれないけど。最年少犬士・新兵衛だとまさしであり、仁の霊玉の持主であることとリンクしてますよね。
完全に余談ながら、拙作中には「頼りになりまくる強い最年少者」がよく出てきて、『扶桑奇伝』なら召喚士・賢木さかき、『群雄列伝 下天の章・三 群雄割拠譚』では北胡の軍勢を渡誼橋で単身食い止めて北胡の将軍・フヘデに「童子形の武神が現れたかのよう」と言わしめた驚愕の数え四歳男児・集箑シュウソウ、『六花繚乱ヘキサムライ』『六花稗史』では武部の緑侍・イタル(格之進)がそうですが、彼らは『八犬伝』の新兵衛があって生まれたキャラクターだと筆者自身思ってます(爆)。仁は儒教の徳の中でもおそらくは高位にあり、だから「仁者に敵なし」という言葉にもなるのだろうと。
(何事もなく話を戻し;)
そして、馬琴と山東京伝の比較論も出てくる。京伝評は、高田さんの教え子・ハウザー女史の「(京伝の作品には)テーマが無い。ストーリーも場合によっては無い。しかしそういうふうな文学を初めて見た、しかも面白い」との感想が簡潔かつ要所を衝いているのではないかと。
これに、京極先生は
「現代小説を見ていますとね、ストーリーとテーマ性、この二つに対する比重が余りにも重いように思えちゃうんです。」
「僕は、作者の主義主張なんてものは作品に反映しないほうがいいと思うし、ストーリーなんてものは破綻してようがいまいが構わないと思う。読んでいる途中で面白ければ、それは一つのあり方だろうと思うわけです。」
と述べていて、実際そういう印象は私も持っていて。けれども、現実としては、部分が面白いだけじゃダメで、「貫くもの」が無いと、しかもそれだって受け手に強い共感を得るものじゃないといかん、、みたいな空気があるよなー、と(辛口)。漫画アニメの場合は更に「絵が上手くないと・『見せ方』が上手くないと」が付くでしょ、と(更に辛口)。昔のほうが、ある意味、あっちもこっちも収拾つかんかったとか、打ち切りじゃあるまいし的な急展開からの終わり方とか、などの「破綻作品」にも寛容だった気もします。

ノンフィクション作家・評論家の保阪正康さんとの対談の中では、歴史学と民俗学のスタンスと手法・アプローチの差異について考えさせられ。
そして、保阪さんが取材の中で当事者に会って話を聞き再構成してきたであろう昭和史の闇というんですか・・・その深さとくらさ、しんどさが伝わってきたというか。

漫画家・唐沢なをきさんとの対談は、昭和の妖怪図鑑に子供のようにキャッキャとハイテンションな雰囲気で(笑)。
「スイカの謎」という怪談が…何というか実に謎かつ古典的で良かった。今時の子供たちはこれを何と思うだろう、的な(笑)。
話としては、

スイカを食うと死ぬ……といってうちの家族はだれも食わねえんだ……そういいながら、五郎はむしゃむしゃと音をたてて、スイカにかぶりついていた。
勝はふしぎそうな顔をして首をかしげる。
ハハハ……めいしんさ、オレは食うよ。こんなうまいもん食わないなんて、バカだよ!
ともだちの五郎のいなかに遊びに来ている勝は、わらいながらスイカを食べている五郎のすがたにわるいよかんをかんじた。
二日ごにまたかえってくる……といいのこして町にでかけた勝だったが、かえってきておどろいた。
(太ゴシックで)五郎は、その日の朝に急病で死んでしまっていたのだ。
先祖のおしえをまもらなかった五郎に、いったいバチでもあたったのだろうか……!?
勝はそれから、スイカをうまそうに食べている人をみると、ゾーっと背中にさむけをかんじるようになってしまった……という。さて、君はどうかな?

『図鑑 怪談・奇談』 スイカの謎

これが四谷怪談と並ぶ名作怪談として載っている。京極先生ならずとも、「すごすぎる。」と言いたくなります。
私事ですが、昭和時代に発刊された本が比較的近年復刻されたらしい『悪魔全書』を図書館で見付けて借りて読んだけど、とにかく作りがすごかったなと。赤・緑・黄・紫みたいな、どぎつい色をこれでもかと使い、文字・書体も今みたいにツルスベじゃなくてジャギジャギしてるし…子供向けなのに絵に可愛さは僅少であり、時に劇画っぽくもあったり。「あぁ、でも昭和の雑誌って、こんな感じ・こんな印刷だったんよぉ~」的に、内容自体はほぼ既知で驚かなかったけれども、いやもう懐かしいのと見た目のインパクトにガツンとやられたなと(笑)。
そんなわけで、こちらの対談での空気感も、わかりみが深かったなと。

オカルトといえば、佐藤健寿さん責任編集の『TRANSIT 奇』を読んで知った『定本 何かが空を飛んでいる』の改訂増補版を見付けたから借りて読んでみたけど、これはUFO・宇宙人の信奉者・肯定派をだいぶケチョンケチョンにぶった切る内容だったなと…まあ人間の記憶とは曖昧なもので時に都合よく書き換えられたりもし、実際「気のせい」「記憶違い」等と言ってしまえば終わりな案件が色々あります。ただ、この本の著者は「多くは懐疑的説明が付せるもの」としつつも完全否定もしない立ち位置というか。自分としても、それでいいと思うのですが…「科学で全て説明出来る」と思ったら、また人間は何か大きな失敗をしでかすでしょうからね…自然との向き合い方っていう過去の痛い経験が色々あるし。
あと、昔も今も超常現象等を肯定派と否定派を呼んで集めて議論する的な番組があるけど、どちらも持論を裏付けうる「ある意味自分に都合のいい」証拠物件を持ち寄るから、正義と正義の戦い、双方が「自分が正しい」と主張して退かない的泥仕合みたいになりがちなのがしんどく感じます…(ズブ正直な思い)。

対談集へと戻ります。
民俗学者であり、現代の妖怪学といってこの人を避けて通れないというか、妖怪関連書を読んでいれば必ずその著書に行き会うはずなのが、小松和彦さんではないかと。
その小松さんとの対談で、私が何より気になったのが「学問の中での言葉」の問題。研究分野・領域が異なれば、ほぼ同じものを指し或いは表現するものであっても使われる用語は違ってくるといい、いやむしろ同じ語を使うんではなく変えねばならない、みたいなのがあるのかなと…。難しいですね。
それと、ものかきとして気になるのは、今普通に使われている言葉の中には想像以上に歴史が浅いものもあり、時代物にそんな言葉が使われると「当時存在しえない言葉」という齟齬そごになる、と。「慰霊」という言葉は新しいもので、戦前にはほとんど使われていなかった、という話には驚いたのでした。つまり広まったのは戦後という言葉を、昔、それこそ古代まで遡って、そこでの議論やらの中で使ったら「あぁ…」になってしまう、と。これは考えさせられたなぁと。
あと、京極先生の
「読者がどんどん厳密さを要求するようになってきている、物語性と同じだけ情報量が求められている」
「知的好奇心も満たして欲しいと強く要求されている気がします。」
との言葉にも共感しましたね。歴史その他を扱った子供向けの学習漫画は勿論、一般向けの商業漫画や小説などでも、病院を舞台にした医療系とか警察や銀行など誰もが内情を知り得ているわけではないところを描きだそうという作品とか、知識量・情報量が多くて何つうか図鑑・マニュアルぽくもあるってか「その世界の紹介」系みたいな作も多いし、その中からは人気をえて映像化されるものも出ていて。
でも、
「これは僕のような小説家に求めることじゃなくて、学者さんに求めることで(笑)」
になるわけですよね…。
娯楽と学習を一挙両得的にやっつけちゃおう、という「一粒で二度おいしい」を狙って期待する受け手が相当数居るということでもあろうと思うのですよね。娯楽は娯楽、勉強は勉強でそれぞれやればいいじゃん、、と私は思うんですけど(酷評)。いや、私はそもそも物語的文章をほとんど読まないから、読書はほぼほぼ脳内知識を増補する作業であり学習と言えますが…こういう人は少数派なのか(爆)。

その後に続くのが、歴史学者・西山克さんとの対談。
民俗学と歴史学の違いが、再度語られたとも言えるかもしれません。
京極先生は
「(歴史学と民俗学とは)目的が違う学問だから、お互いに相容れない部分があるのは当然でしょうし、むしろあるべきだと思います。ただ、通俗的な怪異、通俗的な妖怪という立ち位置から眺めた時、双方の視点は補完関係にあるように思えるわけです。どちらが欠けても理解できない。」
と。
そして、歴史学とリアリティ論。
西山さん
「地獄は想像の世界だから事実としてあるわけではない。でも前近代人にとっては、地獄は生々しい現実としてあるわけです。室町時代の日記に疫病の流行った村で火事があったと書いてある。住民たちが、地獄から死者を迎えにきた火車の火だったんだろう、と解釈を加えているんですね。現代を生きる僕たちが、いやそりゃただの火事だよ、と言ったって何の意味もない。問題なのは、中世人のリアリティ。歴史家にとって大切なのは、当時を生きた人々の五感を、あるいは第六感もふくめて、明らかにしてゆくことじゃないでしょうか。」
京極先生
「それ(怪異)が当時の人にとってリアリティがあったのかどうかをまず問題にするべきなんです。当時にだって鬼が出て人を食ったなんて話、リアリティはなかったはずですよ、間違いなく。リアリティがない話を公式の記録に載せねばならなかった、その事情をこそ考えなくてはならない。」
これもまた考えさせられる話です。

自分の話で恐縮ですが、私は学生時代までは歴史が大好きで、好きだから勉強もするし、勉強すれば試験でいい点がとれるから得意でした。ただ、その後の「歴史ブーム」で、当時の現場を直接見届けたわけでもない現代人たちが、さらには史料を直にではなく現代のエンタメに焼き直されてあちこち現代人の想像と美学で組み直された歴史絵巻を見て盛り上がってるのを見て、正直冷めてしまったんですね…「自分が今まで信じてきたものって何だったのかな」とか。
以降、広く知れ渡っていない、ローカルな地域伝承に惹かれるようになりました。荒唐無稽というか、もはやファンタジーな伝説もあり、正直それ全てが実話だったとは思えない。けれども、そんな話が生まれて現代まで消えることなく語り継がれてきたのには、何らかの事情や意図、そして必然があったのだと。その事情・意図、必然とは一体何なのか――を考えることのほうが楽しくなったのです。
要するに、現代エンタメとして作り直された歴史物語を「あ、これも現代の創作かな、演出かな」とマユツバ気分で見るよりも、これもう作り話じゃないかと思える地域伝承の中に何らかのリアルの欠片かけらを探すほうに喜びを見出した、ということになろうかと(何気に酷評)。

(話は京極・西山対談へと戻り)
さらには、「妖怪と差別問題は表裏一体」ということが語られます。
『新耳袋』ほか実話怪談集を手掛けている木原浩勝さんはクダン(人面牛身の予言獣)を調査し、イメージ生成の起源を追跡していったが、そこに立ち現れてきたのが差別問題であった。「妖怪と差別問題は切り離せない」し民俗学はこの差別問題に関し明確な言及を避けるように柳田國男も妖怪という言葉を一時期使わなくなった、とのことで。
現在では多分「妖怪=零落した神」一辺倒の思想ではなくなっていると思うけれども、やはり妖怪には様々な発生事情があると考えたほうが良くて、それが中央権力に従わない「まつろわぬ民」だったり、大衆が忌むことを職務とされた被差別民であったりしたのではないか、と。そうなると、「どこそこで、こんなことがあった。これは国にとって凶事だから祈祷しよう」的にも使われた「怪異」と同じように、国家は統治のために「妖怪」を利用していた、とも言える。だとすれば深い問題だなと。。

木原さんといえば。本『霊はどこにいるのか』中で、日本の怪談の流れに『新耳袋』の登場で新スタイルが入った的な話が出ていて…これまでの歴史の中では『日本霊異記』ほか、そうなった因果や神仏の功徳という説明がつく基本構造だったのが、そこをカットして体験の部分にフォーカスしたというか。実際、怪奇体験をする人は詳しい背景など知らない場合も多くて、それが「怪奇体験者のリアリティ」に近いこともあって受け入れられ広まった感もあろう、という感じの内容だったと私は受け取ったけど(でもまあ文系目指すほど国語が出来たわけじゃないので自分:墓穴)。
確かに、『新耳袋』より前の、たとえば田中貢太郎による戦前の怪談実話を読んだときなんかは、私自身「なんだ、時代が変わって因果や功徳を示す『モノ』は観音様から明治天皇の御影みたいに時代の流れで変化したけど、『日本霊異記』や『今昔物語』的な空気感は変わってないな」と感じたのですよね。そして『新耳袋』には、なるほどそういう考察がなく、あっても少なくて、体験を冷静かつ鋭く、とはいえ熱を帯びずに淡々と描写することに努められているように思ったんだよなと。これはこれで読者に体験者が感じた恐怖なり不思議なりを追体験させるに効果を上げているとは言えるのかも。かと言って、TikTokでの「今、何かが通った?」「ここは異世界なの?」的な中継動画までくると、情報としては「面」ではなく「線」ですらなくなって、すっかり「点」なんじゃないかと…これだけ見て満足するってのも大丈夫かな、と思わずにはおれない昭和の遺物ですが、何か?(自爆)
他にも、『霊はどこにいるのか』では、かなり圧縮すると(←予防線)「昨今のスピリチュアルブームや新興宗教はこれまでの寄せ集めで、知識があれば・勉強すれば『あぁ、これは何処そこから持ってきたな』とか出所・典拠が分かるのに、あまり勉強したくない・してない人たちが楽してご利益を得よう的にハマる」って話もあり、これ手厳しいけどその通りだと思いましたね。前述の佐藤健寿さん特別編集『TRANSIT 奇』でも「降霊術会の主な顧客は暇な主婦で、現代においてスピリチュアルを信じるのも多分同じ層」とありましたよね・・・いやいや、女性だけじゃなくて、勉強嫌いで楽していい思いしたい老若問わずの男性にも見られますよ、この傾向(しれっと毒吐き)。「暇なんかじゃない、忙しいのよ!」という意見もあるだろうけど、家庭・家族・仕事関係の愚痴や文句、ゴシップやドラマ等の話を近い仲間で集まって飲み食いしながらダベるなんてのは、或る意味暇だから出来ることじゃないですかね(さらに毒)。まあアメリカの降霊術会に主婦が集まったのには当時の「男が・父親が偉い的な家父長制に肩身が狭い女性」という構図もあったようで、あんまり雑な話も出来ないけど、降霊術会も主婦ランチ会も要するに「はけ口・給水所・リセット装置」ではあるんだろうなと(毒の一旦打ち止め)。マスコミと寺社によるマーケティング戦略、ビジネス=お金の問題も見え隠れしてると思います。
『霊はどこにいるのか』の対談の中での、加門七海さんの「神社って、もっと怖いところ」といった言葉もあったし(本は返却してしまったので一字一句そのままとは言いがたいけど)、本『あたらしい時代の開運大全』の中で著者の谷口令さんは「願いを叶えてください、お願いします」と一方的に頼むものではなくて「こんな願いを叶えるために私はこういう努力をしますから(見守ってください・力を貸してください)」という、一種の宣言的な姿勢でお参りするのがあるべき姿、みたいなことを書かれてましたよね…でもそれ本当だと思います。努力するから叶う部分も大きい。だからね、七夕飾りの短冊に「地球温暖化が止まりますように」って書くだけじゃ駄目だと思うんですよね…どんなに小さくても、願う者自身が先ずは何らかのアクションを起こし継続していかねばならんのだろうと…そしてその輪を広げていくものじゃないかと。辞書等には、七夕さまの起源は中国の乞巧奠きっこうでんにあるといい、それは陰暦七月七日に「女子が手芸・裁縫などの上達を祈ったもの」とあります。余計なお世話だろうけど、環境問題解決を願い事に書くには、ちょっと違うんでないかな…とも思う次第です。
私自身、巨樹巨木を訪ねて、寺社所有の巨樹巨木も多いために日常的に寺社詣でもしているような状況ですが(爆)、『あたらしい時代の開運大全』を読んで以降、「一方的にお願いだけする」参拝はしなくなりました。むしろ自己紹介とご挨拶に近くなり(爆笑)。巨樹巨木に会いたいという以外の願望を持って寺社に参ることが少ないから余計かもしれませんが…でもこういうのはきっと少数派なのかなとも(困)。
補足というより蛇足な個人的所感ですけど…大河はともかく朝ドラに関しては、やはり放送時間に基本家に居るような「この辺の層(主にF2~F3層にあたると推測)」の共感と人気を得ないとしんどい部分が大きいんでしょうね…だからきっと現代劇よりむしろ戦前・戦後くらいの昭和が舞台のほうが熱心に観る中高年女性が多く、しかも主人公が男性ってのは難しくて女性ばかりになってしまうんだろうと(男主人公一人ってのもなかなか無くて「夫婦」前提になってるのではと)。更に言うと、割と近年の朝ドラうちでも二元視点のような手法でやった作品は「崩壊してる」とか不評だったらしいけど(あくまで伝聞)、それは一代記=主人公視点メインで話が進むスタイルに慣れすぎてる視聴者のほうにも問題があったのではないかというのが私個人の見解で…だとすれば、現在と過去、親の時代と子の時代という二つの時間を行き来する形で物語が進む「仮面ライダーキバ」とかもだいぶ難しかったろうなと思うわけですよね。読み解き力の不足(激辛)。

(そしてまた何事もないように対談集の話に戻り)
文庫版では、単行本の内容に歌舞伎俳優・五代目尾上菊之助さんとの対談が加わったとのことで。
江戸から続く歌舞伎役者の家庭、「和の雰囲気」が本人の無意識下にもあるような尾上さんが対談相手なればこその内容だったなと。
「日本の幽霊話の基本は怨恨や憎悪ではなく情念や執着」
「祟られて死んだ被害者が化けて出ないのは執着がないからですよ。『なんでアタシが死ななきゃならないの?』という気持ちだけじゃ化けて出られない」
「貞子は日本の伝統的な幽霊像を踏襲したキャラクターだが、通り魔のように出会いがしらに祟りまくるわけで、『リング』は怪談というよりホラー寄り」
という京極先生の見解には、なるほどなあと思わされました。

* * *

そういえば。妖怪繋がりで、ここでこんな話を挟ませていただきますが。
茨城県天心記念五浦美術館・平成27年夏の企画展『異界へのいざない――妖怪大集合』の図録を借り読みし、
「ええぇ、那波多目なばため先生のお父様って、こんな画風だったの」という驚きがあったのですよね;
茨城県近代美術館に何度も行って観ていると、必ず出会うことになるであろう那波多目巧一こういち先生の日本画。花や風景など、格調高くリアルでありつつ何処かファンタジーというか、「写実の中の幻想」とでもいった印象に残る作風で。
先生のお父様・煌星こうせい画伯は、より幻想的というか、神仏や妖怪変化などの絵を何枚も残しておられるのだなと知りました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?