ブックファーストの企画に寄せた、ジョン・ウィンダム『トリフィド時代』の推薦文(2013年春)

『トリフィド時代』ジョン・ウィンダム(創元SF文庫)

ストレートな「人類破滅もの」は、最近ではSFの十八番というわけでもなく、ホラーのほうに秀作傑作が多く見られるようになった気がします。とくにゾンビもの。そして、じつは今回『トリフィド時代』を再読している最中に連想したのは、いま日本でも話題の、アメリカのゾンビTVドラマ・シリーズ 『ウォーキング・デッド』でした(ほんとに真面目に残酷です。すごいです)。

もちろん「視覚を失った人類を襲う、三本足で動く巨大植物」と「甦って人間を喰らう、歩く死者」とでは(物語中での行動はよく似ているのですが)モンスターの性質が異なります。

とはいえ、どちらの作品も大傑作に押し上げているのは、物語の比重が「親しんだ文明が瓦解するパニック」よりも「その後の世界をどう生きていくか」をめぐる、人々の真摯な議論と信念の激突にあるという点です。

もちろん、一世紀近い現代SFの歴史において「破滅SF」に分類される英米の作品は、その大半が「いまの文明をいっかいチャラにして、もういちど新しい世界をやりなおす」ことに主眼を置いていたわけですが、今まで、どうもそれが日本人には受けなかったようです。日本人は「世界の再建」よりも、 「滅ぶこと」のほうに関心があるんじゃないか。

しかし、「いまの文明」がまったく盤石なものではないことを、現在のわれわれは体験として知っています。「つぎなる文明」の選択を迫られるかも知れない。「つぎ」があればですが。そのときには、いま現在は不道徳とされているような考え方を、われわれはあえて選択するかも知れない。

『トリフィド時代』は、その問題に容赦なく迫ります。

そうそう、「緑色の流星雨」を見て視覚を失うなんて荒唐無稽だ、と、もし引っかかる人がいても御安心、ウィンダムは最後にちゃんとフォローを用意しています。

そういえば、ジョージ・A・ロメロ監督・脚本の、あのショッキングな『ゾンビ』(Dawn of the Dead、1978年)の「日本劇場公開版」では、冒頭で死者の蘇る理由を、宇宙から光線が降り注いだと説明していたんですってね。そんなことも思い出したりしました。

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