うつ病悪化

2020.11
うつ病診断からしばらく、毎週通院が2,3週間に1度と通院の間隔も広くなり、認知行動療法も順調だった。

2021.2 
実習1週間目
初めて患者さんを受け持つ実習が2週間。始まった。
コロナにより病院に行けず、学内での実施となった。
自分のことで精一杯なのにクジでグループのリーダーに。初めて受け持つ患者さん。電子カルテと実技時間からしか得られない患者情報。初めてで何が必要か分からず全てをメモすることに必死な自分と絞って情報収集できているグループの賢い子。授業で1例分しか経験していない記録物。授業や普段よりも冷たく厳しい担当教員。時間の割には進まない記録物。毎日真っ赤になって返ってくる記録物。1週間目の水曜日、仲がそれなりによかった子が休んだ。木金も来なかった。ゼミ担や担当教員と話し合って大学を辞めたとLINEが来た。引っ張られそうになった。
毎日帰って泣いていた。最低限の記録を終わらせ、眠剤で眠り、朝食も喉を通らず目眩と闘い大学に向かう。周りとの差が悔しくて実習中も泣く。毎日頓服のお世話になった。

なんとか1週間乗り越えた土曜日。朝起きて発作が出て、頓服を飲んでまた寝た。
目が覚めたら動けなかった。喉は乾くしお腹も空く、ただただ身体が縛り付けられたように沼に嵌ったように動けなかった。近くに住む伯母から様子を見に行くというLINEが来ていたらしい。何度もインターホンが鳴った。ドアの外から伯母と従姉妹と同アパートの友達の声がする。
声が出ない動けない。朝覚醒してから寝返りさえうてていない。なんかもうどうでもよかった。
このまま沈んで溶けてしまえばいいと思った。
やっと死ねる。大嫌いな自分や世界からバイバイできる。そう思った。
何時間経ったか分からない。伯母が部屋に入ってきた。不動産の人に鍵を開けてもらったらしい。霞んでよく見えなかった。気づいたら救急隊員に意識レベル、自傷・ODの有無確認をされていた。ストレッチャーで救急車内に運ばれ、服用した薬と量を聞かれ、そのまま総合病院へ運ばれた。
採血と点滴、救急でバイトをしている院生の何気ない話で少し落ち着いた。 血液検査・バイタル異常なしで、点滴2本で帰れることになった。
伯母は泣いていた。従姉妹は不思議そうな不満そうな顔をしていた。あとから話したことだが、どうやなぜら「消えたい」のかが分からなかったみたいだった。
帰り際、看護師に実習担当の先生にはこのことを話すようにと言われた。
日曜日はゆっくり過ごした。

実習2週間目
月曜の朝、担当教員に土曜のことを時系列で伝えた。今日かかりつけを受診するよう言われた。早退してもいいからと。午後診は実習終わる時間帯から開始のため、1日参加し、伯母に付き添われ受診し、土曜日のことを伝えた。頓服は4,5時間空けたら飲んでもいいと言われ、死なないことと、実習を乗り切って来週また会うことを約束した。
2週間目はよく覚えていない。ただ、実技の時間に、急な腰痛と胸痛に襲われて動けなくなったことは覚えている。

なんとか実習を終え、落ち着いた頃、友人が外出に誘ってくれた。電車も苦ではなく、すごく楽しかった。

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