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低評価のレビューをする=承認欲求の自慰行為

レビューには2種類あります。

「本当に素晴らしいものだからもっと広く知ってほしい」というレビューと、タイトルに書いたように「承認欲求の自慰行為」です。

ところで、あなたが野球やサッカーと言ったスポーツ系のコーチをしていて、教えている生徒、Aさんのフォームがおかしいと気づいた時どうしますか?

拡声器をもって町中に「Aさんのフォームがおかしいですよーーー!!!!」と言って回るでしょうか?
もしかしたら、100人コーチがいたら1人くらいはいるかもしれないですが、生徒に教えるつもりのあるコーチであれば直接そのAさんだけに「フォームがおかしいよ」と言うでしょう。

町中に「Aさんのフォームがおかしいですよーーー!!!!」と言って回る頭のおかしいコーチはAさんのフォームを直してほしいわけでは無く、Aさんのフォームがおかしいことに気付いている自分をほめてほしいという全くAさんのためではないことをしてるわけです。

レビューで低評価を付けている人は町中に「Aさんのフォームがおかしいですよーーー!!!!」と言って回っているコーチと同じだと思います。

ただの「悪いところを気づくことができる自分素晴らしい!もっと知ってほしい!」という承認欲求の自慰行為に過ぎないと思っています。

低評価を付けるという行為には何かを改善して欲しいという要素はありません。
本当に修正してほしいのであればAppleストアで低評価で低評価コメントを残すのではなく、開発しているディベロッパーの問い合わせに投稿するでしょう。

そして低評価を付ける必要もないと思っています。
もしかしたら「使いづらいと気づいたからほかの人が使わないように低評価を…!」と思っているのかもしれないですが、なんであなたが使いづらいものが万人に使いづらいと言えるのでしょうか。
もしかしたら使いづらいのはあなただけという事はありませんか?

それに何かを創るというのは必ず制約条件があります。
予算もありますし、技術的な制約(全員が世界最高のエンジニアではない)もありますし、例えばスマホアプリの場合動作する環境(スマホのスペック、画面サイズなどなど。古いスマホをいまだに使っている人も多いですよね)など、そういった制約があります。

検討違いのレビューに制約条件を無視したものも本当に多いです。
サイゼの500円の料理に対して「僕ならこの料理の味付けにはトリュフを使うね!最高級のトリュフを使うだけでもっと料理のランクが上がるはずだよ」という全く見当違いで滑稽なコメントを残している場合も多く散見されます。

初心者のあなたが気づくようなことはたいてい気付いているけどどうしようもなかった事という事もあります。
多くの場合は作り手の方が色々知っていることが多いです。だってアプリを作ろうとしたら何か月もそのことだけ考えて時間を使ってるんですよ?

それに他人が頑張って作成したものに対して低評価、これは価値がないという評論家気取りのあなたはそんなに偉いのでしょうか?すごいのでしょうか?人に評価をするというのは本来結構大変なはずです。

あなたがそんなにすごい人なのであれば教えを請いに来ているのではないでしょうか?
聞かれていないのにわざわざいうのも結構余計なお世話ですし滑稽だなと思います。

始めてレビュー欄を使えるようになった人は他人が作ったものに対して無責任に発言できる神様になったような気分を味わったのかもしれません。でもそういった仕組みができて10年以上たちます。そろそろレビュー欄を承認欲求の自慰行為欄と勘違いしている人は自重してはいかがでしょうか。

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