【才能の民主化】について思うこと。
創作について勘違いしていませんか?
毎日毎日物議を醸していますね。大変なSNS時代だと思います。
最近こんなnoteばかり書いているような気もしますが書きたいときに書きたいものを書くのが私のnoteなので勘弁してください。
「才能の民主化」先日私が途中で読むのを断念した資料の中に興味深い単語があったようですね。
生成AIはボタン一つで素晴らしいイラストを作ってくれますね。
さて、質問です!
あなたに洗濯物をする才能がなかったとします。
そこであなたは30万円くらいする高性能洗濯機を買ってきました。洗濯物を入れるだけで乾燥までしてくれます。きれいに選択ができるようになりましたね。さて、すごいのはあなたですか?洗濯機ですか?
素晴らしい洗濯機を選ぶことができた目利き力はあったかもしれません。30万円支払うことができる経済力があったのも素晴らしいです。
でも、洗濯機を作ったのも、洗剤を作ったのも他人です。その点において、あなたは何もすごくないですよね?これは自明かと思います。
もう少しデジタル寄りの話にしましょう。
世の中には写真を組み合わせていい感じの動画を作ってくれるアプリがあります。
このアプリを使って素敵な動画を作りました。さて、すごいのはあなたですか?このアプリですか?
アプリを選んだのはあなたですし、テンプレートを選択したのも写真を選択したのもあなたかもしれません。
さて、このアプリが動画で「本当はこのBGMのこのタイミングでこの写真を表示させたいのになぁ」と思ったとします。でも、あなたはそれを修正できません。なぜならあなたは動画を作れないからです。アプリが作ってくれた動画を眺めることしかできません。
「ねぇねぇ、この動画いいけど、ここのタイミングBGMと合わせたらもっとよくなるんじゃない?」と友人に言われました。
「わかってるけど、私が作ってないからできないんだ」と言いますか?「このほうがいいんだよ!わかってないな!」と逆切れしますか?
いろいろな人が言葉巧みに様々なことを言っていますが、私が思うことしては
「それで、生成AIで作品を作ったんですか?」
です。
「嫌がらせしましたか?」については「はい」と答える人が多いように思いますが、「作品」を作った人は思った以上に少ないと思っています。
「生成AIで出力したもの」ではありません。
「あなたがつくった作品」です。
「Novel AIやStable Diffusionが作った作品」ではなく「あなたが作った作品」はありますか?
使い方解説でも、Loraの使い方でも、きれいなイラストでも、「試しに出力してみました」でもなく、「あなたが作った作品」です。
ネットで拾ったpromptをただ入力して出力しただけの作品は「Novel AIやStable Diffusionが作った作品」でしょう。
別に「あなた」でなくても作れます。
そこに「こだわり」がありますか?
「こだわり」を「フェチ」と言い換えても良いかもしれません。
例えば、出力がガチャだったとしても、「足フェチ」の人は1000枚生成して、「足」がきれいに出力できたものに心血を注ぐでしょう。
どうやったらもっと良いものが出力できるのかpromptの試行錯誤もするでしょう。
加筆、修正もするかもしれません。
これはきっと「あなた」の作品です。「こだわり」や「なぜこうしたのか」というものが語れるようになると、きっと「あなたがつくった作品」になるでしょう。
でも、「なんとなくpromptを打ち込んで出力して、なんか良さそうなものを選んだ」というだけなら、「Novel AIやStable Diffusionが作った作品」です。そこにあなたは不要です。
ただ、Novel AIやStable Diffusionに自分の時間とお金を捧げて、Novel AIやStable Diffusionの下働きとして働いたというだけです。
そもそもすでに「情報の民主化」は起きているわけです。
今までも絵について勉強する機会はあったわけです。
紙とペンだけでも、スマホでも、5万円程度のタブレットでも、十分絵はかけるわけです。
「作りたいもの、表現したいもの」があるならいままでだってできたのです。
もし「才能」というものがあるのなら、この「作りたいもの、表現したいもの」を持てるかだと思います。
それなのに、ただ、Novel AIやStable Diffusionの下働き、もっというと奴隷として行動する権利を得ただけで「才能の民主化」とはなかなか笑わせます。
まず「あなた」は何を表現したいんですか?
その表現したいことにAIは必要なんですか?
なんでNovel AIやStable Diffusionを使うんですか?
そこにあなたの主体性はありますか?
そもそも「あなた」が存在する意味がありますか?
そして、きっと絵を書いて「ちやほや」されたいんだと思うんですが、きれいな絵を書けただけでちやほやされる程楽にちやほやされる世界じゃないですよ。
すでに絵がうまい人はたくさんいるわけです。
その人の真似をしても「真似だね」と言われるだけですし、よく創作でもコピーがオリジナルに負けるシーンよくありますよね。
そしてうまい人は「自分で描く」というただでさえ強い武器に「生成AIを使う」という選択肢が加わってしまうわけです。
絵が書けない人は「生成AIを使わない」という選択肢はとれないですが、「自分で描く」人はそれもできます。
さらに「どう魅せるか」みたいなことをずっと突き詰めて考え続けてきた人たちです。
そんな人たちが新しい武器を手に入れた状況で「才能の民主化」などという表現は素晴らしいですね。
生成AIをSNSに投稿していた人たちはそろそろ「なんできれいな絵を投稿しているのにいいねが伸びないんだ」と嘆いているのでしょう。
当たり前です。うまい人は目立たない人もも含めてゴロゴロいるんです。あなたがしらない=有名じゃないうまい人が本当にたくさんいるんです。
そして「なんできれいな絵を投稿しているのにいいねが伸びないんだ」と嘆いている人たちは行うのが足の引っ張り合いと、嫉妬による妨害行為です。
作るものがない人が行う他人の足を引っ張ったり、醜い批判は正直見るに耐えません。
作りたいもの、表現したいものが他人の嫌がらせという、私の価値観としてはカスのような人間が多くSNSにはいるようですが、本当に一部の人間だけであってほしいなぁと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?