『価値観が同じ人』を見つけた先にある罠
『あ。自分とは違うわ。』
そんな思いがあふれて、急に疎外感を感じることがある。
SNSが普及して、自分と同じ価値観や境遇を持つ人同士が繋がりやすい世の中になった。
アラサー・内向型・HSP・低収入。そんな感じのキーワードで、私もたくさんの人と繋がった。
共通点の多い人たちとの繋がりはとても楽しい。普段心の奥底で隠している叫びを吐いても優しく受け入れてもらえる安心感がある。
でも、その場に依存してのめり込みすぎると 違和感が生まれてくる。
いつの間にか『どこまで自分と同じ人を見つけるかゲーム』になっているのだ。
所得・年齢・貯金額・結婚歴。どこまでも自分と同じ人を追い求める。
『一人暮らしアカウント』として発信していた人が 結婚した瞬間にフォロワー数が減る現象を見たことはないだろうか。
最初は『自分と同じだ!』と思っていた人に、違う点を見つけてしまったなら
『なんだ、自分とは違うじゃないか』と残念に思う気持ちが芽生えてくるのだ。
自分と全く同じ境遇の人が、どう生きているのか知りたい。
SNSにはそういった側面もあると思う。
だからこそ、自分とどこまでも同じであることが重要なのである。
・・・でも、ちょっと立ち止まって考えてみる。
いくら価値観が同じであっても、全く同じ人なんて存在しないのだ。
冷静に考えればわかること。人間なんだもの。全部同じである方が気持ち悪い。
でも、なぜだかSNS上ではそんな『同じ』を探し求めてしまうのだ。
考えれば考えるほど、めちゃくちゃ違和感。
誤解のないように言っておくと、別にここで言いたいのは『SNSやめよう』とか、『同じ人と繋がろうとするな』とか。そういうことではない。
『他人にあって、自分にないもの』に目を向けすぎるな、ということである。
・・・偉そうに言ってしまったけど、これは自分への戒めも込めて書いているので許してほしい。
ついつい人間は、ないものねだりしてしまう生き物だ。
なんだ、この人にはお金があるじゃないか。
なんだ、この人には旦那がいるじゃないか。
なんだ、この人には副業があるじゃないか。
そうやって、他人の『ある』に目を奪われて卑屈になるのをやめなければいけない。
目を向けるべきは『自分の中に すでにあるもの』なんだと思う。
自由な時間。大事な友達。好きな場所に出かけられる体。
人によって違う『自分の中の当たり前』をちゃんと再認識しなければならない。
『当たり前』というのは、普通に過ごしていたら全く見えない無意識の世界だ。
見ようとしなければ見えない。
だからみんな『自分には何もない』なんて言葉を使ってしまうのだろう。
周りの『持っているもの』で打ちのめされてしまうなら。
自分の『持っていないもの』で心が苦しめられてしまうなら。
一旦、『自分は気づいていないだけ』と思うようにしよう。
誰しも、何か持っているはずなのだ。絶対。
でもそれが 今の自分ではわからないのなら
『あるけど、気づいていないだけ』と思おう。
考え方なんて、今日からこうしようと思って変えられるものではないから
こうやって、曖昧にしてしまうところから始めてみるのもアリだと思う。全然。
関西人的に言うならば
『ま、なんかあるやろ。知らんけど』
・・・・・・ということで!
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