あえてハダカを見せていく、そうあえて。


詐欺師は言う。バカには見えない布で服を仕立てました。

えっ。そうなの、、、、へー見えないだ。バカに見えない方のやつか。そっちね!まあ僕には見えるけどね

違和感がある。このやり取りには違和感がある。いや違和感だらけだ。だって服だよ。むしろバカには見えててもらわなくてはいけない。そもそも服って利口な人だけではなく全ての人に見えててもらわなくてはいけないものであるはずだ。何でバカに見せちゃうのか?それで良いわけがないだろう?

かの有名なアンデルセンの裸の王様の話であるが、この童話が示す問題はおそらく馬鹿に見えるか見えないかではない。そんな物で服を作ること自体が問題なんだ。そう、冷静なあなただったらわかるだろう。この話は自分が馬鹿に見られたくないという虚栄心から見栄を張ってしまった王様の話ではないかもしれないことを。だっておかしいではないか。通常の感覚でいえばバカに裸を見せていいわけないのだから。だってバカは結構いうよ。忖度なくいうよ、王様は裸だって。これが本当のストリーキングだってね。そうバカはたまにうまいこともいうから侮れない。そんな容易に想像がつくことを王様が本当に安易に実施するだろうか?

もしもだ。バカには裸が見えることを王様が認識したうえでパレードしていたとすればどうなのか?王様はおしゃれで有名だったから。金に物言わせてましたから。バカに見えないってそれって斬新!攻めてる!ってなったのかもしれない。つまりは王様をバカと決めつけるのは尚早であり、この物語からおしゃれとは何かを考える必要があるのではないのかと、おしゃれを知らない私はとても不安になるのだ。この気持ちわかるだろうか?

たとえば世の中には見せてもいい下着と見せてはいけない下着があるらしい。見せてもいい下着とは多分おしゃれなんだろう。生地の厚さに関係あるのだろうか?そういう問題でもないらしいその下着の存在を知ったのは私が後の妻となる女性と付き合ったときで、見せブラがどうとか全くしらずに小声で見えていることを彼女に確認したら半笑いでバカにされた経験が実は今でもトラウマだ。

ではTバックについてはあれに関してはどうなんだ?はく意味があるのかあれは。おしりのラインがきれいに見えるらしいがまったく理解できない。極め付けは玉パンだ。あれはもはやパンツではなく、誰の何のニーズかなのかもわからない。おしゃれやセクシーなどを極めていくということはそういうことなのであろうか。

話を戻そう。つまりおしゃれというものから結構距離置かせてもらって生活している私がもしかしたら気が付いていないだけかもしれない、逆にバカだと思われているかもしれないことに恐怖を覚える。王様があえてバカに裸を見せていくをコンセプトにパレードをしていたのなら、いったいどっちがバカといわれるべきなのであろうかと考えてしまうのである。

パリコレだってね、あなた。裸の王様みたいなもんだし。オッパイ出てるんですけど。あの人たちほぼ裸ですけどって正直思ってましたから。おしゃれと裸は紙一重であり、裸の王様をバカでだまされた王様ととらえるのか、おしゃれが過ぎた王様ととらえるのか、バカといったものがバカなのか?おしゃれを知らない無知ととらえるべきなのか?実に奥が深い。ソクラテスはいう「無知は罪なり」と。

そんなことを考えながら妻と飲みながら無知の怖さについて長々と説明した後に妻は言う。

なんかそんな話聞いていたらニュースの小池都知事のマスクが下着に見えてきた。

。。。うん、そうだね。






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