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チャップリンの「街の灯」におけるラストシーンの解釈

私はチャップリンの中編長編は全作観ているチャップリンファンですが、屈指の傑作が「街の灯」であることに異存のある方は少ないでしょう。

あらすじを簡単に説明すると、盲目の花売り娘に恋した浮浪者が金持ち紳士のふりをして、お金をあちこちから工面して手術代を渡してやる。
花売り娘は目が見えるようになって、自分の店を構える。そこに浮浪者が通りがかって…という話です。

この話、ラストの受け止め方がさまざまで、ハッピーエンドと取る人もいればほろ苦いエンドと取る人もいる。
私は断然後者です。その理由を説明します。

少女は店頭で彼女をちらちら見つめる浮浪者を見て同僚と笑い合います。
そして、お金を恵んでほしいのかなと思って硬貨を握らせます。
このときに手の感触で恩人だとわかるのです。

浮浪者は「Can you see now?(見えるようになった?)」と尋ねます。

少女は「Yes, I can.(ええ、見えますわ)」と答えます。

この「見える」には「あなたがお金持ちではなく本当は浮浪者だったというシビアな現実もまた見えた」という意味が込められているはずなのに、戸田奈津子の字幕では「あなたのおかげですわ」になっていました。出てきた涙が引っ込みました。

いい加減にしろと思いましたね。字幕翻訳家が解釈の幅を狭めてよいはずがありません。

チャップリンはハッピーエンドならハッピーに描くのです(モダン・タイムスや黄金狂時代、キッド)。
浮浪者と結ばれると思ってる人は時代背景がわかってないし、非現実的な気がします。自分が同じ状況に直面してホームレスと結婚するでしょうか。

ホームレスの人が結婚に値しないと言いたいわけではなく、そんなに単純な話ではないと私は思うのです。

実際、少女の顔には笑みはなく、困惑がありありと浮かんでいます。
「You?(あなたでしたの?)」とは言ったものの、お礼の言葉や笑顔は一切ないままfin.を迎えます。

ほろ苦いラストですが、バッドエンドかというとそうは思いません。
浮浪者の愛はしっかり描かれていますし、成就しないからこそ無償の愛としていっそう価値を増すのです。

チャップリンの映画はあまり観られていません。
ドタバタコントとしか思ってない方も多いでしょう。

そんなことはありません。チャップリンの映画は笑いあり涙あり、笑わせて泣かせる最高のドラマです。どの作品も深い愛情が描かれています。

私は「サーカス」「偽牧師」「ニューヨークの王様」といったややマイナーな作品も好きですね。

ぜひ多くの方にチャップリン映画を味わっていただきたいです。

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