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"静"の一体感を創るエンターテインメント - INSIDE THE FIRST TAKE

THE FIRST TAKEの有観客LIVE「INSIDE THE FIRST TAKE」がヤバかった。

人が集まること、盛り上がること、を寄りどこにしていたエンタメにとって、コロナの世界はとても苦しかったと思う。状況を変えようと様々なトライがあったけれど、正直もの足りなさがあって「コロナじゃなければ」って想いがどうしても消えなかった。

でも「INSIDE THE FIRST TAKE」それがなかったんですよ。すごい。ジャンルこそ違うけれど、クリエイティブに関わる者として「ああ、これが発明されて良かった」って思えたし、制限ばかりだったここ数年を丸ごと肯定しようって思えるくらいの代物でした。

8割はファンとして、1割はプランナーとして、1割はデザイナーとして。この体験をヤバかったの一言で片付けたくないと思って文にしてみます。


"動"でもなく、"静"でもなく、"凝"を共有する

LIVEって基本的にはバイブスやテンションや熱量を共有して"動"の一体感の楽しむ場だと思うんですよ。けれど「INSEIDE THE FIRST TAKE」で共有するものは"静"なわけです。まずそこからいつもと大きく違う。

"静"だけだと表現としては少し補足をする必要があって、ここでの"静"は
何かが始まるのをワクワクしながら待つ"凪"ではないし、
侘び寂びに代表されるような繊細さを楽しむ"寂"でもない、
優雅で伸びやかな時間を楽しむ"閑"も違う。
多分"凝"ってのが言葉が一番近い。

辞書の解説には「凝=じっとして動かない。心が一つのことに注がれて他に動かない」とあります。会場は固唾すら飲めないくらい張り詰めていて、そこにいる全員が一丸となって静寂をつくるんですよね。なかなかに異様な光景です。そして生まれるのが「THE FIRST TAKE」のテーマ「緊張」 です。

日常にない「ポジティブな緊張」

さてここで1つ質問です。みなさん一番直近だといつ緊張をしましたか?
生活を振り返ってみると、緊張する瞬間ってそこまで多くないと思うんですよ。このLIVEを良さを1つ取り上げるなら「緊張できる」に尽きる。

緊張には"ポジティブな緊張"ってのがあると思っていて、例えば、部活動の最後の大会の試合前の高揚感とエモさの混じった緊張みたいなやつのこと。この"ポジティブな緊張"状態っていいですよね。でも大人になると機会が減ってしまうことが多くて、だからこそ久しぶりの緊張体験が貴重なものだったしアドレナリンめっちゃでた。

「動」には最高到達点があるが、「静」には底がない

帰り道にLIVEに参戦してたであろう人達がしきりに「疲れた」って言ってたんだです。でも約2時間の間「ずっと着席、激しい動きなし、叫びなし」なですよ?なのに疲労感があるんです。

それ程の「緊張≒没入」環境が「INSIDE THE FIRST TAKE」にはあった。しかもこれ、はしゃぐのと違って息切れがないから、どこまでも追い込んでいけて、体力の有無にかかわらずあらゆる人が体験できる。緊張や没入には底が見えなくなくて極限の体験をするにはピッタリな仕掛けなんだと思う。

緊張はなによりも共有しやすい感覚なのかも知れない

「あ、今までの状態ってものすごい一体感だったんだ」と気づいた瞬間がある。それは非テイク演奏で手拍子が鳴った時会場で乗り方の差が見えた時。そりゃそうだ、ラップで盛り上がる人とロックで盛り上がる人のノリ方はベクトルが違うししょうがない。

でもどのアーティストのときもテイク演奏はみんな同じベクトルで乗れていたんですよ。そうか。"静"は多様な音楽ファンをジャンルを超えて共有できる感覚なのかと感動した。もしかすると非言葉である"静"は何よりも共有性が高いものなのかもしれなくて、その可能性を感じたLIVEだった。


何もないからこそ僅かにあるものが際立つ

「INSIDE THE FIRST TAKE」には「Less is more」ってあの名言が合う。

色々とつくりこむことができないからこそ、どのパフォーマンスもアーティストそのものが浮き上がってくる。非常時の時にこそ人の本性が現れるとはよく言ったもんで「あ、このアーティストってこういう人なんだ」っていう生っぽい人間味を見れた気がする。ちゃんとINSIDE味があった。8人のパフォーマンスについても少しだけ触れてみます。

ALI
初日のド頭。本当にALIでよかった。会場の異様の雰囲気も受け止めてその時その瞬間の音楽を奏でるってこと地でやってくれた。「このLIVEがどうなるかわからないけど、どうなろうとも音楽って素晴らしい」ってメッセージに痺れたし、参加者だけではなく2人目以降のアーティストにプレッシャーをかけたと思う。このプレッシャーがあったから最高の2日になったと思う。

yama
「これはライブではなくレコーディングである」っていうスタンスがすごく良くて、8人の中で1番「あ、これ、作品として残るんだ」って感じる時間を経験させてくれた。そして、めちゃくちゃ緊張してたし、押し潰されるんじゃないかって感じなのに、あのレコーディングをするのが圧巻すぎる。

Da-iCE
個人的にこの2日間通して一番よかった。選曲も、喉を3日かけて準備したエピソードも、バックヤードの発声も、歌唱前に水を飲みにいくところも、歌い切ったの時の息切れも。その全てから歌唱力を全力をぶつけてやるって想いと、想いがあるからこその緊張がビシビシと伝わってきた。や〜熱い歌唱だった。お疲れ様でした。

Creepy Nuts
静を破壊するチャレンジしてくれてありがとう。テイク中に手拍手しかけたけど、そうなったら面白いかもって頭が働いてる自分気づいてやめた。ごめんなさい。でもこのチャレンジがあったから今後の観客とアーティストの駆け引きの幅を広がったと思う。チャレンジ精神イケてる。

崎山蒼志
崎山蒼志の家に招かれて、曲ができる瞬間というか、日常の中でギターを弾いている瞬間というかに立ち会えた気がした。あの緊張感のある会場で、参加者の緊張を解きほぐして安心して聴かせることができる優しさのある演奏は、この人の人間味がなせる技だなって思った。

ReoNa
曲の間はトークではなくナレーションに近くて3曲通しで世界感をつくりにきてた。正直いうとぼくにははまらなかったけど、このコンサートスタイルもありだと思う。2曲目の無の時間が圧巻すぎて、この2日で最も体感時間の長い数秒はあの時間だったと思う。あとピアニストがやばい。エグい。

変態紳士クラブ
煽ることなく自分達のスタイルをただただ魅せつけるのがカッコええの一言に尽きる。2日目の前半戦は歌唱中の手拍子がゼロだったんですよ、その中で3組目として出てきて、自分達のスタイルで一曲ぶっ通し手拍手をさせたパフォーマンスはとんでもないことをしてましたよ。ほんと。

miwa
普段のLIVEからそうなのか知らないんだけど、シンガーソングライターじゃなくてオペラ歌手だった。おいおいいつまで続くんだ?ってロングトーンが凄すぎて拍手したいから早く暗転してくれ!って心の中で叫んでた。誰も音立てないでくれほんとにって一番思ったパフォーマンスでした。

好き勝手かいたけど、初見アーティストばっかりなのでファンの方からしたら的外れもあるかもしれない。でも、たった3曲でここまで深読みできてしまうような空間と時間であったんですよ。改めて良かった。


"何が起こるかわからなさ"を担保し続けられるのか?

さてさて、2日間終わってしまったわけですが、採算厳しいとかって書いてあったけどなんとしても続けてほしいって想いしかない。

ひとまず、続くとして話しをすすめると「INSIDE THE FIRST TAKE」楽しみの1つが緊張である以上、進化は必須になると思う。"何が起こるかわからなさ"をつくるには進化し続けるしかない。ここからはクリエイター脳も入りつつ、何をデザイン対象と捉えるのか?って妄想の話。

アーティストと参加者の関係をどんな形にしていくのか?
テキストを通して、お客さんのことを鑑賞者ではなく"参加者"と書いてるんですが、これは、一発撮りに参加することが音として録音されるからどうのこうのを超えて、パフォーマンスそのものへの影響度合いが高いと感じたからです。"干渉者"って言葉を使っても良いと思うくらい。

こうなると、参加者はどういう存在にするのかってのが大事になってくる。ぼくだったら、テレビ番組のSASUKEのステージ制作者とチャレンジャーの構図のような高め合える関係をつくってみるかもしれない。片方が極限の状況をつくり、もう片方が努力の末に超えていく。すると極限がアップデートされていく。またその繰り返し。

やるなら「THE FIRST TAKE」でやる以外は選択肢が無いんじゃないかな。

参加者に何を求めるのか?
場の為に参加者に何かを求めるのは全然ありだと思った。例えばドレスコードとか。黒い服と黒い縛りにしたらアーティストから参加者は地蔵とは見え方になると思うし、人の居る黒背景を前提とするとカメラの絵作りも進化すると思う。

映像で何をドキュメントするのか?
美味しいご飯を食べる前にお腹を空かせるように、何かを体験する前に準備をすることは体験の質を飛躍的に上げる。「INSIDE THE FIRST TAKE」におけるドキュメンタリー映像はその事前学習を担っていて、間違いなく一発撮り緊張と楽しみを高めていた。

レコーディング曲によって観たいドキュメントは違って、例えば今回のDa-iCEだったら「登壇を伝えられた時」「前日リハーサル」「当日の朝」と準備を重ねていく密着ドキュメンタリーがみたくなったし、yamaだったら学校生活とか子供の頃話しみたいなのが知りたくなった。

会場はどうあるべきか?
予算の都合は想像しつつ、建築家としては、会場でもっとできることがあったというのが正直な感想。没入感のデザインはもっとできる。照度はもっと落としてもいい。バンドの位置や配置を大幅に変えれる。白バックも角を出さない収まりにしたい。映像で見ていたものを形として再現するのではなく、感覚として再現するデザインが突き詰めると面白くなりそう。

何がセットリストなのか?
「INSIDE THE FIRST TAKE」においてセットリストは拡張した概念なのかもと思った。変数としては「1人の3曲」×「4人の起承転結」×「会場の客層」×「箱の大きさ」。今回の2日間もこの組み合わせの妙で全然違う雰囲気になっていた。自分だったらどうする?を考えるのが楽しい。

読後感を何として残すか?
テキストを書いている現在で一発撮られたYouTubeがまだなので、それみてからってのもあるけど、終わった後の感情の持って行き所が難しいな〜と思った。あの緊張感をうまいこと日常に持ち込むような体験の設計ができたら最高なんじゃないかと思ってる。


早くも次が待ち遠しい

もっと書けることがあるけど、時間がかかりすぎちゃうのでひとまずこれくらいにしときます。次回があることを願ってとても楽しみにしてます。

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