化学肥料の話

ヨーロッパの主食はパンというのは日本人の勝手な思い込みです。行ったことがある人は分かると思いますが、ヨーロッパ人が一番日常的に摂取している炭水化物はジャガイモです。フランスはグルメの国と思われていますが、パリジャンの食事ってかなり質素です。何しろ物価が高いし。パリジャンが食ってるのも、基本ジャガイモなんです。朝からクロワッサンとか食ってる人はごく一部です。



何が言いたいかというと、ヨーロッパって元々土地が痩せていて、穀物を大量に栽培するなんて出来なかったんです。むしろ肉と乳製品の方が手に入りやすかった。痩せた土地は畑より放牧に向いていますから。



あの痩せた土地でも生える奇跡の炭水化物が、ジャガイモだったのです。それで、南米から持ち込まれたジャガイモはヨーロッパ全土に一斉に広まりました。ジャガイモとキャベツの煮込み。せいぜいジャガイモと乳製品。昔のヨーロッパ人の食い物って、せいぜいそんなものです。



アメリカに多くのヨーロッパ人が移住したのも、食い詰めたからです。イタリア系、アイルランド系、ドイツ系と多くのヨーロッパ人がアメリカを目指したのは、簡単に言うと食うものが無かったからです。



そのヨーロッパが今のような穀倉地帯になったのは、皮肉にも化学肥料のおかげです。ハーバー・ボッシュ法と言うものが20世紀初頭ドイツで開発されました。窒素と水素からアンモニアを作る方法です。私も化学式って苦手なんですが、



N2+3H2=2NH3



を実現させたってことです。それで何が起きたかというと、褐炭から肥料が作れるようになったのです。褐炭というのは石炭の中で一番安い奴です。石炭としては最低ランクですが、世界中の石炭の半分は褐炭で、これはヨーロッパでも豊富に採掘出来ました。土地は痩せていたんですが褐炭は採れたんです。クズが宝石に化けました。そのおかげでヨーロッパは今のような穀倉地帯になり、フランス、イタリア、スペインのワインは世界最高と言われるようになったのです。



今では褐炭ではなく、メタン(CH4)と空気中の窒素(N2)を反応させます。面倒な過程は省きますが(私もよく分かってない)、ともかく空気には窒素が含まれるので、それをメタンでとっ捕まえてアンモニアNH3を作るのです。これが肥料になります。



小麦を始め穀物を育てるには窒素、リン、カリウムが最低限必要なのです。ヨーロッパの土地が痩せていたというのは、このうち窒素が非常に少なかったという事です。その窒素は空気中に含まれているので、この空気中の窒素をメタンで捕まえアンモニアにして肥料にする、と言うのが「化学肥料」です・・・ざっくり言えば。



それで世界中、「飯が食えるようになった」んです。それまで人間が飯とかパンとか、要するに穀物を豊富に栽培するのはものすごく困難で、従って世界中が慢性的に食糧難でした。ところがこの方法で、「水と空気と石炭からパンが作れるようになった」訳。


もっともこのハーバーボッシュ法ではアンモニアの他に硝酸も大量に出来ます。硝酸は爆薬の原料ですから、平時には肥料を、戦時には爆薬が空気から作れるようになったというのが本当の話です。



ともかくこれで世界の農業が養える人口が爆発的に増えました。永劫の昔から食糧難に悩まされてきた人類がたらふく食えるようになったのは、誰がどう否定してもこの化学肥料のおかげなのです。ハーバーとボッシュはこの功績で二人ともノーベル化学賞を取っています。



化学肥料誕生以前はマルサスの原理という奴で、人間がせっせとセックスして人口を増やしても、食糧不足という限界に達するからそれ以上は増えないという事になっていました。と言うか実際そうだったのです。しかし化学肥料のおかげで、人間はいくらせっせと子孫を増やしても、食糧の限界に悩むことがなくなったのです。それで、20世紀になって何回も大戦争があったにもかかわらず、世界人口は信じられないスピードで増えました。



化学肥料が出来る直前、20世紀初頭の世界人口は16億人でした。それが今では80億人です。80億人に膨れ上がってしまった今、化学肥料をやめようというのは無理です。単純に引き算して64億人が即座に餓死します。それをそっくり有機農業に切り替えるってのは、まあ無茶なんです。



化学肥料はダメだ、有機農業にしようというのは、趣味でやる分には全然構わないんですが、世界の食糧というのを考えると、こう言うことになってるのです。何度も言うんですが、社会問題を単純な耳障りの良いワンフレーズで語ってはいけないのです。

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