細かいこと抜きにして、やっぱ中受させるかなという話。

こぐまです。Twitterではくま語で活動してますくま。Twitterでも頻繁に話題になる中受、過熱しすぎ、いや不可避だと両サイドの意見が当然あるわけだが私も親として考えの整理はしておこうと思う。私はもう何十年も前の話だけど所謂中受ガチ勢だったので、当然子供も中受した方がいいと考えてたんだけど、良い機会なので対立意見を自分なりに潰していこうと思う。あくまでも個人の意見なので異なる意見が間違ってると思ってるわけではないのでその点は了承頂きたい。

①私立は同じような環境の子どもが集まり同質化が避けられない。公立の方が多様性がある。

Twitterでよく見るやつだ。まず、ここで言う多様性は何なのか。多様性にも色々あろうが、子供の庇護者であり教育者である親から見た場合の多様性とは個性や創造性、考え方といった要素の自由さを想像しているのではないだろうか。そうだった場合、私立だと多様性が損なわれるのか?たとえ親達が同じような考え方をしていたとして、その子供達には個性がないか?考え方が同質化しているだろうか?少なくとも私はそうは思わない。

②様々な家庭環境があることを知った方が視野や考え方が広がる。

これもTwitterでよく見る。考えてみると傲慢な意見だ。自分達は経済的にも子供を私立に通わせることができるけど”多様性”を経験させるために公立を選択ということか。私は公立小学校に通った経験があるので言わんとすることはわかる。小学校には大きなお屋敷に住む開業医の子からお世辞にも綺麗とは言えない公営団地に住む子まで分布の裾は広かった。小学校だとそんな家庭環境の違いも大して意識しなかったが、これが中学以降だと変わるというのだろうか。中学校以降たまに同級生の近況を見聞きするとヤンキーになっただの、不登校になっただのそういった話も多かった。私立に行ったら全く道を外れないかと言うとそんなことはない。繁華街でたむろし、高校時代からイベントしきってパーティー屋やって退学しちゃうようなやつもいるから一概には言えないがダウンサイドの事象が起る確率の問題だと思う。よくない言い方ではあるがDQNやヤンキーと接する機会であれば、バイト先で十分だ。クラフトマンさんのコレが模範解答だと思う。

https://twitter.com/craftmaaaaaan/status/1406766771713892352?s=21

6年間身近で接し続けなくても理解できるし後は想像力でいくらでも補えそうなもんだ。

③公立のジャングルのような環境の方がハングリーさやサバイバルスキルを養える。

これもたまに見る。もうね、アホなの?と言いたい。申し訳ないけどアホなの?と言いたい。大体n=1のご自身の経験を例に挙げるのだが、生存者バイアスゴリゴリ過ぎて意見する気も失せる。仮に公立の方がハングリーさやサバイバルスキルを養えるが真であるとして、それに伴うリスクはどうなのか。ヤンキーになる。いや、まだそれならマシだ。地元で偉そうにできるんだろ。イジメにあったり、不登校になったらどうする。そんな話、身近にいくらでも転がっているだろう。ハングリー精神を養うことを目的にするのであれば、リスクリワード・バランスが悪すぎるように思う。

④教育課金は無駄、地方の公立からでも東大に入れるし、なんだったら米国大学にだって進学できる

うん、そうだね。そういう事例はあるよね。これも確率の話だよ。確かに教育にはお金がかかるし、最後は本人の能力とかやる気に依る部分も大きい。地方公立で真面目に勉強し、ヤンキーに目もつけられず、平和に高校生活を送って東大に行く人も沢山いるだろう。でも、それはマジョリティじゃないでしょう。学ぶことに前向きな子供達が集う環境にせめて我が子を置きたいと思うのは親心として正しいと私は思う。

こう書くと曇りもなく中受肯定派みたいだが、今の特に東京における中受がヘルシーかと問われれば、自分の時代に比べて随分と激化したなとは思っている。我が子をその過酷な競争に放り込みたいかと聞かれればあまり気乗りはしない。

とはいえ多くの家庭が我が子にとってより良い教育環境を求めて中受をさせる現状を考えると、公立に進学する子供達の分布は偏りが出てくる。これは動かし難い。だとすれば、中受は避けられないよなという結論に達する。

ただひとつ、親として常に忘れないでおきたいと思うことがある。それはなぜ我が子を受験させようと考えたかだ。学ぶことに前向きな環境で、興味のままに知りたいことを調べ、考えることに喜びを感じて欲しいからだ。本人は偏差値を上げるゲームに熱狂するかもしれないが、教育者である親は冷静になり、子供の可能性を大きくできるような選択のサポートをしてあげたいと思う。

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