善と悪の優越?それを超越するものとは
※本書は森絵都さん著「最後には臼が笑う」のネタバレを含みます。
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この文章は、森絵都さん著「最後には臼が笑う」の一説だ。
本書の女性主人公である「桜子」が、所謂「悪い男たち」に酷い目に遭わせられながらも、そんな男たちに惹かれ、付き合ってしまう理由として、友人たちに語ったセリフがこれである。
要は、悪い男たちに酷い目に遭わせられながらも、『そのつど一点の「愛しいところ」を彼らの中に見出し、憎まれへんねん、の一語ですべてを水に流して』しまうらしい。
本書は冒頭で、所謂「善」は遠くにあっても近くにあってもその印象はさほど変わらないけれど、所謂「悪」は見る視点によってその形状がめざましく変わり、近付くほどに思わぬ側面を覗かせる、ということも書いてあった。
「悪い人」に惹かれる。
一昔前まではそんなことあるのかな〜、と思っていたが、まあそんなこともあるんだろう、と考える今の自分もいる。
マーベルの「ヴィラン」が人気なのも、きっとそんな「悪」の側面があってのことだろう。
ほほ〜
本書では、そんな「桜子」でもまったく擁護できない「悪い男」と出会い、その男に復讐するため友人と結託をする、という展開に進む。
そのときに、「桜子」の友人がこんなことを思った。
桜子の友人さん、お友達になりましょう。
と、言いたいところだが、そのように感じられる場合もある、というのが世の中の真理なのだろう。
そして、本書は「桜子」とその友人が「悪い男」にいよいよ復讐をする!というクライマックスに突き進む
が、
いよいよ復讐をする!という段階になって、何も知らないおばさんという第三者の行動によって、予定外の成敗が「悪い男」にくだる、、
というのが結末だった。
(詳細は本編をぜひ!)
善とか悪。
そんなことは考えずに、ただ自分が思うままに行動する人が、結果的に幸せになる。
、、?
結末を見るとそんなことを考えそうだけど、その行動が吉とでるか凶と出るかは、そのときの運次第なのかもしれない。
しかしながら、このどっちつかずともとれる結末は、ちょっともやもやするな、という印象を受けた。完全な勧善懲悪はまれということか。
森絵都さん、ずるいです。
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