アニメ虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の一期で一番好きな五分間の話をする

 アニメ虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の二期が近いですね。

 私もとても楽しみです。放送まであと数日ありますが、その数日間の間に自分が命を落としたり地球に大規模な磁気嵐が巻き起こされてアニメが見られなくなってしまう確率が「ゼロではない」という事実に緊張しております。頼むよ生かしてくれ。俺はアニメが見たいんだ。あと1話の放送中に飲む酒を考えていたらテンパってしまって欲しい酒全部買っちゃったのでそれがもったいない。
 さて、二期の内容について何度か予想を試みたのですが、正直自分には想像もつかない。一期の時点で脚本の田中仁さんは相当に曲芸めいたことをしていたのに、あらかたのキャラクターの課題が片付いた今、更に三名のキャラクターを追加して、一応は存在する原作を踏襲した(ただし既存のストーリーラインをなぞるだけではいけない)脚本を書かされるというのは、降って湧いた仕事にしても相当に困難だろう。僕には、脚本にどういう軸を立てれば「アニガサキ2期」としてお客さんを満足させられるのか、正直なところほぼ見当がついていない。2期ロングPVを見たところ自分が予想できるのは「かつてスクスタにおける『あなた』のアバターであった高咲侑だが、彼女は『あなた』の代表として夢を見つけ、2期でもめざましく成長していきそう」「『やりたいこと・やりたくないこと』『できること・できないこと』で軸を立てて侑・嵐珠・ミア・栞子の四キャラをそれぞれ象限の代表に置いて、既存のメンバーをその象限上で移動させる話が多そう」くらいかな……個人的にやって欲しい要素は山程あるんだけど、どれもこれも1クールで、全キャラ動かしながらやらせるには難しすぎる。なのでそこは高望みせず妄想で補うつもりです。ただただ1期の調子で普通に進めてくれたらそれだけで幸せ。でもそれすら鬼難しいですよこのコンテンツ……

 さて、そういった事情があるので今回は二期の話ではなくちょっと一期の振り返りをしたい。一期について語りたいところはたくさんあるけれど、今回語りたいのは、自分が一番好きなシーン「1話のラスト五分間」です。
 ここでいう1話のラスト五分間とは、歩夢と侑が放課後お台場に寄った後の帰り道、自宅へ至る階段の前で歩夢が思いを打ち明けてから、EDが流れるまでの一連のシーンを言います。暗唱できる方も多いと思いますが念のため当該シーンの骨子となる歩夢と侑のやり取りを置いておきます。

侑 :あ、そういえば、明日の数学さ……ん、歩夢?
歩夢:……二人で、二人で始めようよ、侑ちゃん!
侑 :え……?
歩夢:私も見てたの、動画。スクールアイドルの……せつ菜さんのだけじゃなくて、たくさん。本当に凄いと思ったよ。自分の気持ちをあんなに真っ直ぐ伝えられるなんて、スクールアイドルって、本当に凄い! 私もあんなふうにできたら、なんて素敵だろうって……!
侑 :歩夢……
歩夢:ごめんね、最初に言えなくて。本当は私もせつ菜ちゃんに会ってみたかった。でも、会っちゃったら自分の気持ちが止まらなくなりそうで怖かったんだ。それでも、動き始めたなら、止めちゃいけない。我慢しちゃいけない……っ私、好きなの! ピンクとか、可愛い服だって、今でも大好きだし、着てみたいって思う。……自分に素直になりたい。だから、見てて欲しい……私は、スクールアイドル、やってみたい!
侑 :!
[Dream with You]
歩夢:今はまだ、勇気も自信も全然だから、これが、精一杯。私の夢を、一緒に見てくれる?
侑 :……ふふ、もちろん! いつだって私は、歩夢の隣りにいるよ。
歩夢:! ……うん。
[NEO SKY NEO MAP!]

 いやほんとこのシーンが何度見ても凄いんですよ。何もかもが初見だったから衝撃も大きかったし。美術館で名画を見た時に、その細部を忘れまいと何度も額縁の前を行き来するみたいな感覚で、このシーンを今でもローテーションしてしまう。
 ということでこの五分間があらゆる意味で好きという話を複数の角度からさせていただきたい。とりあえずピックアップしたら10個ありました。あのシーンで同じように感動した方向けに「ここ良いよねー」と共有し合う記事になっております。

※この記事は100%オタクの妄言でお送りしております。コンテンツやアニメーションに関する知識によって裏打ちされた『まともな解説』については期待しないでください。
僕の中で創作物に対する『まともな解説』の定義とは、『専門知識を用いて創作物の歴史的な奥行きや伝統的な表現技術を紹介することによって読者に新たな作品鑑賞の視点を提供するが、過度に偏向的な解釈を促すことはせず、あくまで読者が主体で作品を楽しむ幅を広げてくれる中立的な解説』くらいの意味です。まともな解説をするのって難しいですよね。なのにどうしてみんな解説に臨むのか。

好きなところ1:ミスディレクションを駆使した作劇演出
 個人的に一番インパクトが大きかったのがここです。初見では、一話前半の流れから、スクールアイドルに触発された「侑の物語が始まる」と思っていた。もちろんそれは間違いではなかったのだけれど、「歩夢の物語も同時に始まっていた」とは思いもしなかった(スクスタの流れもあったしね)。前半のやり取りはゆうぽむの日常を提示するに過ぎないものだとばかり思っていて、自分が初見で引っかかったところといえば朝の登校シーンで歩夢があくびをしていたシーンくらいか。
 端的に言うとあの場で歩夢が思いを打ち明けたことによる、「騙された快感」が自分の胸を打ったんだと思う。僕はアニメでミスディレクションされるのが好きだ。そこにトリックがあるから。スーパースターの一期3話で可可が緊張しているシーンとかもそう。本当に注意を払っておくべきキャラクターとは別のキャラクターが注意を引きつけて、本命の感情を爆発させるやり方が好き。
 だから1話への感動はストーリーへの感動というよりは技巧に対する感動が最初に来ていて、それはオタク的に作品に「乗り切れて」はいない、一歩引いた感動の仕方なんだが、まあ仕方がない。自分はキャラクターの感情を消化する酵素が普通のオタクよりも多くないのだ。逆に、こういう製作の発想や努力を消化する酵素が多い。

好きなところ2:歩夢の気持ちと同時に明らかになるこのアニメの方向性
 もうなんかワクワク感が半端じゃないのよ。
 虹のアニメに関してはもともと予想ができない状態だった。これまでのシリーズアニメとはスタッフが一新しているし、アイドルの立ち位置も全然違うから、ストーリーが見えない。そしてラブライブにおいて予告は基本的に当てにならない。
 だから歩夢のソロ楽曲が始まった時点で軽く絶句したんだよね。「マジで? マジに虹ヶ咲のコンセプト通り個人を尊重して、1クールの間に全キャラの個人回作って新規楽曲とPVを提供するつもり?」って。当時は流石に半信半疑だったけど実際にやったから凄い。
 で、その一発目である歩夢の回がここまでクオリティ高く、丁寧にやってくれたものだから、このアニメへの期待は十分に蓄えられた。

好きなところ3:王道で熱い登場人物の決意と、繊細な物語への予感
 1話のストーリーはアイドルものとして王道ながら熱いですね。いや、王道だから熱いのか。偶然目撃したアイドルのライブに触発されて自分もその場に立ってみたいと思うのはアイドルものの導入として最もあり得る展開と言っていい。それでも上記のようなひっかけを用意したお陰で、全然マンネリを感じないんですよね。
 それに、ファーストインプレッションで衝動的に動いた高咲侑とは対照的に、上原歩夢で描かれたこの感情の「溜め」が、歩夢というキャラクターの歩夢らしさを美しく表現している。あえて「芽生えるきっかけ」と「花開くきっかけ」にタイムラグを用意しているのが丁寧だし、これが2話以降の歩夢の中で育っていく不穏な気持ちを表現するために後々生きてくるわけですよね。
 感情の揺らぎは作劇をする上で大事な登場人物の動機になるわけですが、アニガサキはその感情の「量」ではなく「質」にこだわった繊細な物語になりました。キャラクターの行動がすごく自然だ。そのような物語を綴る秘訣が、各キャラクターの性格を意識した感情の揺らぎを長い時間をかけて描いているところにあるのではないかと思っています。

好きなところ4:メタ目線で見た歩夢の行動に対する衝撃と感謝
 これはある意味ラブライブ的な感動の引き出し方(=アニメコンテンツに普遍的な楽しみ方ではない)かもしれないんですが、一話を見た時は、まだ高咲侑というキャラクターに対して「あなた=視聴者」の代理として2.5次元演出するという役割を仮託していた。いわばアニメのカメラからの視点だけでなく、侑からの視点も意識して視聴していた。
 すると面白いことが起こる。ラスト五分間での歩夢の決意、踏み出したことによる視聴者の驚きはそのまま「侑の驚き」になるんですよね。侑も視聴者も歩夢が言うまで気付いていなかったという感情のシンクロが、「だからこそ歩夢があの場で思いを打ち明けなかったら全ての物語が存在しなかったということへの説得力を帯びていて、「歩夢ありがとう」という感謝の気持ちでいっぱいになる。
 物語が始まった外的なきっかけは確かにあった。二人でせつ菜のステージに足を運んだこと、可愛らしい衣装を侑に勧められたこと、侑のスクールアイドルへの積極的な態度や「夢を追いかけている人を応援できたら」という言葉。けれどもそれらはあくまできっかけにすぎなくて、実際に踏み出したのは歩夢だ。本来こういった決意のシーンって物語上必要不可欠で珍しくはないはずなんですが、「伏線はあったのに本人に言われるまで歩夢の芽生えた思いに全く気付かなった」という視聴者のメタ的な視聴体験が、そのまま侑の驚きとリンクしているのが、このシーンが印象的な理由なのではないか。でないと自分がここまで衝撃を受けた理由が説明できない。歩夢が掴んだ今の自分への違和感と、スクールアイドルへの敬愛を表明するのが間に合って本当によかった……フィクションの話なのに、そういった当事者のような安心をしてしまうのです。

好きなところ5:大西亜玖璃さんの神懸かった演技
※この項目は150%オタクの妄言でお送りしております。
 この存在が本当に大きい。
 アニメ内での台詞がメンバーの中でも多いあぐぽんこと大西亜玖璃さん。その演技力はアニメ前まで着実に上達しておりましたが、このシーンは特に演技が上手い、っていうか、上手いとか下手ではなくて「ただならない」と言ったほうがしっくり来る。不自然なほど自然な演技。アニメ全体を見てもこのシーンは特に異様な一体感を持っていて、現場で何か神秘的な事件が起こったように思える。
 長台詞全体をマクロで見ても、声から読み取れる感情の流れにメリハリがついていて一つの音楽みたいだし、ミクロで見るとどの一文字をとっても不自然さが無い。強いて言うならカットの都合で台詞と台詞の間が詰まって声の余韻が切られてしまっている所(「本当に凄い」→「私もあんなふうにできたら」の区切りとか)はあったけど、個人の技量において引っかかるところが無い。本当に。この完成度のボイスはなかなか見たことないですよ。語り切れ無さそうなので例をいくつか置いておく。あぐぽんの芝居、今後も当たって欲しいなあ。
・「ピンクとか」の発音がマジでヤバい。ここで歩夢にとってピンクとは抑圧していた自己表現の象徴であり、これまで「もう卒業」と目をそらしていた存在だから、対峙するのが怖いもののはずです。その根拠として「私、好きなの!」から入るという倒置法でピンクという単語を遠ざけていますし、「あの時侑と見たあの服」のような具体的な話を持ち出さず対象を曖昧にしようと試みている。つまり「ピンクとか」を発音している間は歩夢は極度に緊張しているはずである。そう考えると、
「ピ」で破裂音を弱く発音し(=言い出しが自信なさげで)
「ン」で鼻を抜けた上擦った声になり(=口にすることに緊張しており)
「ク」や「か」など音節の終わりが非常に短い(=早く言い終わりたいと思っている)
「と」は逆に明瞭に舌を動かして音を切っている(=ピンクという単語を言い終えて安心している)

 というあぐぽんの演技は満点じゃ足りない。
・「自分に素直になりたい……だから、見てて欲しい」になるにつれてじわっと感情が推移していくここは、3話のせつ菜とは対照的ですよね。せつ菜は「どうなっても知りませんよ」で声色のスイッチを一気に切り替えている。こういう所でキャラクターの個性を見せてもらえるのが好きよ。
・歌う直前の台詞における緊張の塩梅が絶妙「自分に素直になりたい」→「だから見てて欲しい」→「私はスクールアイドルやってみたい」って移っていくにつれて、緊張が解けて決意が強まっていく言い方になっている。
・一番最後の「うん」で声を震わせる演技。泣きの演技って泣き方に幅があるから得意不得意分かれるイメージあるんですけど、「涙を流すわけではなく目尻に溜める程度で、声は震えている。ただしその震えは悲しさではなく嬉しさに振れている」という細かなシチュエーションを短く簡潔に表現できているのが凄い。
・「私の夢を一緒に見てくれる?」の言い方がそれまでよりも少し舌足らずで甘えのニュアンスを含んでいる。
・今までラブライブのアニメで息継ぎの音ってあんまり意識してなかったけど積極的に乗せるものだっけか。このシーンの「我慢しちゃいけない」の前は吸うタイプの息継ぎ、「ピンクとか」前のブレスは鼻で吸ってる。「二人で」の前は短く鋭く。全体で見た時の感情に合わせてうまくブレスを使いこなしている。
・「止めちゃいけない、我慢しちゃいけない」あたりは侑に向けて喋っている以外にも、自分に言い聞かせているような言い方なんですけど、それらしき感覚を演技でトレースできているのがすごい。
・矢野妃菜喜さんの演技によるサポートも凄く良い。全体的にシリアスさがなくて、唐突に切り出されて呆気に取られている様子からちょっとずつ感情が「期待」に転がっているんですよね。

好きなところ6:劇伴によって膨らむ情景
 虹ヶ咲の劇伴「想い、花ひらく時」
→曲を中断し数秒間の無音を挟んで
→……二人で、二人で始めようよ、侑ちゃん!の台詞が終わると
→「大好き!」が流れ始める。
 この流れが美しすぎる。これはもう曲による演出好きとしては大好きと言わざるを得ないし、こういうのみんな好きだよね? UNDERTALEとかやってる人なら分かるでしょ? 「Nyeh Heh Heh!」がフェードアウトして青色演出挟んだ後に流れる「Bonetrousle」で絶頂迎えるでしょ?
 作曲者の遠藤ナオキさん自身かなり気に入っているという「大好き!」が本当に好きでなあ。2期でも流れるのかなあ。ここは感性の話が支配的になってしまうのだけれど、この曲を聞くと夜のイメージが湧いてくる。シンセの音が星の瞬きみたいですよね。でも妙に人工的な音色もしているから、海と都市で構成されているお台場の夜のイメージにぴったりなんですよ。僕の中ではお台場の夜を描写した音画に近い。
 頼むから交響楽団で「大好き!」やってくれ。虹ヶ咲はでかい学校だろ。交響楽団くらいあるだろ。

好きなところ7:侑との関係性の美しさ
※この項目は200%オタクの妄言でお送りしております。
 少し言い方が難しいんですが、ゆうぽむ二人の関係として好きなところは、いわば歩夢が『勝手に救われている』ところなんですよ。好きなところ4で述べたように本当は歩夢が自分の力で成長しているのであって、外部のものは全部きっかけに過ぎないのに、序盤の彼女はそれを踏み出せたのが全部侑(やせつ菜)のお陰だと思っている節がある。一方で侑も、自覚はあまりないだろうけど自分が何気なく打ち明けた自分の気持ちが、アイドルに興味を持った歩夢の背中を押すことになって、結果的に自分の望みも叶えている。二人の動作が噛み合って一話が構成されているんですよね。それは偶然なのか、あるいは幼馴染として過ごした二人の経験が無意識のうちに相手の求めるものを差し出してしまっているのか。
 いずれにせよ、歩夢にとって侑はいてくれるだけで得難い存在なんですよね。ネガティブな人間にとって明るく振る舞う人が身近にいるだけで安心するように、歩夢にとって侑は立ち止まりがちな自分の進むべき道をいつも無自覚に照らしてくれる一つの光なんです。
 そして、勝手に救われている人は、時として勝手に裏切られることもあると、そういうことですね。

好きなところ8:『Dream with You』と『CHASE!』の歌詞
 一話の劇中に登場する二つの楽曲の歌詞。Dream with Youが自分の思いに素直になれなかった歩夢の心情を歌っているのは当然として、個人的に好きなのはCHASE! のCメロ。Twitterとかでもよく主張しているんですが「瞼を閉じれば何度だって出会える」という歌詞が夜眠れずにアイドルの動画を見ていた侑と歩夢の状況に重なるんですよね。
 瞼を閉じてもスクールアイドルの残滓は消えてくれない。若いうちに心揺さぶる表現に出会うことの幸福ってそうやって眠れなくなるところにもあるよね。そういう映像には残っていないシーンが歌詞によってカバーされているのが好き。

好きなところ9:NEO SKY NEO MAP!
 歩夢が歌い終わり、侑が歩夢の夢に伴われることを受け入れた直後、壮大で豊かなこの曲が始まります。アニガサキの曲の中でも一二を争うくらい好き。好きすぎておいそれと聞けないタイプの曲。映像も好き。
 作曲家は「勇気はどこに? 君の胸に!」や「未体験HORIZON」でおなじみの小高光太郎さん。個人的にラブライブ楽曲に携わった作曲家の中では一番お気に入りの方で、ストリングスを始めとする細かい音作りや、ユニークながらしっくりくるリズムの作り方が聞いてて惚れ惚れする。この曲の好きなところもたくさんありますが、個人的にこだわりを感じていて特に好きな所は2番の後のCメロ。もう全トラック好き。「こんな時にも君がいればほっとする」の部分のスネアドラムが三連でマーチしてるのにシンバルがドラムセットのシンバルではなく、クラシック向けの合わせシンバルで二拍子に刻んでいるとことかヤバすぎ。これ以上好きにさせないでくれって思う。勇君の時も思ったんですけど小高光太郎はリズム隊を巧みに使って「グループが前に進んでいく速度や歩幅」を表現するのが異常に上手い。これによってNSNMという曲が壮大な行進曲になっていて、EDの映像ラストの雰囲気を更に一段回膨らませたような情景が浮かんでくるんですよね。頼むから交響楽団でやってくれ。

好きなところ10:言葉にできない(2022/03/30の夜追記)
 ここまで散々語ってきたけれど、本当に良いところが何もかも言語によって説明することはできない。できないからこそ僕は映像によって抽象的な「良さ」を感じることができる。昨今では物語のこだわりや細部に対して製作者が逐一解説を入れてくれているケースも多いですが、僕はアートワークを目にした時の感動に正解なんてほとんどないと思っていて、感動の言語化はむしろ「ここまで言葉を尽くしてもなお語りきれない良さがどこにあるのか」を探るための彫刻作業の意味を帯びるという立場の人間です。音楽も映像も、初めて会った時の感動は今口にしている言葉よりもっと響いていたはずだ。
 自分が1話のラスト五分間で感じた良さは、上に挙げた9つよりもっと直感的なものかもしれないという予感は常にある。
 例えばあの五分間の天候。僕は絵に疎いから、いわゆるアニガサキの作画や美術に関してはうまく解説できないけれど、僕はあの時二人が会話を交わしたシーンから、四月特有の麗らかな空気と、まだ春になり切れてない夜風の冷たさを感じる。そしてその風は乾燥した中に少しだけ湾岸の湿りを含んでいる。歩夢はこの風に不安を覚えたはずだ。なぜなら春というのは出会いや別れ、不安と期待を連れてやってくる季節だから。温度も湿度も示されていないけれど、それくらいリアルな空気を持って自分の中に落ちてきた。
 僕はとにかく1話ラスト五分間のあの空気感が好きだ。そしてそれは、全体として好きだ。美術、音響、背景、演出、脚本、百合のどの角度から見ても言葉によって覆いきれない。一つ一つの台詞やカットで論じても意味は半減する。語りやすいように切り分けた分だけ生の感動を表す言葉からはかけ離れていく。
 だから僕は、本当は感動を言語化するのではなく感動の『再現』がしたい。「あの時あなたが与えてくれたものを自分も誰かに与えたい」が僕にとっての創作の動機だ。僕はそうすることで初めて全体としての感動を理解したと言える。で、その手段として自分に馴染むやり方がたまたま小説だったので小説を書いています。そろそろ二次創作小説の続き書かねえとなあ。

 ひとまずこれくらいにしておきます。長々と書きましたが、この五分間にキャストやスタッフがかけた時間、想いはこの記事とは比較にならないほど大きいので、だからこそ彼ら彼女らが費やした熱量をできるだけ内にとどめておきたいし、その熱を形で示したい。
 また時間があれば一話以外の話もしたいし、他のキャラの抱えるものやキャストの演技の話もしたいですね……虹のキャストの子達ってみんな本当に面白い演技をする。
 とりあえず語りたいことを一部外に出せてスッキリした。こうしている間も二期へのタイムリミットは刻一刻と近づいている。
 今また一期1話を見返してるんですけど本当に良いな……春先に一話を見ると特に、作中の季節と合致するのもあってテンションが上がる。これから春が来る度に、夏の最後の花火のようにカナルシティの夜景を思い出すのだろう。

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