2023年に好きになったゲーム

★年末の挨拶

 ああああ時間がねえ! まだ全然書けてないんだからちょっと明けるのは待ってくれないか2024年よ! そこにこたつと茶菓子出しとくからポケモンでもやっててくれないかな。
 ということで年末の挨拶を申し上げます。今年はあんまりNoteが書けませんでしたが皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。私はNoteに限らずオンラインに自分の考えを示した文章を公開すること自体必要最低限になりつつあります。
 自分の2022年の総括は比較的前向きな、希望を抱くものでしたが、2023年は逆に失望を込めた後ろ向きの年でありました。リアルでも慌ただしく、変わりゆくインターネットソサイエティにも対応できず、精神的に参ってしまうことしきり。総括をするのならばインターネット上の他者と、『物語』という概念に対する懐疑に振り回された年です。まあ詳しいことは別場にて。
 
昨年の総括に書いた「眼を離した隙に変わっていった我々の、互いの変わりようを拒絶しすぎず、散り散りになった距離を縮めてゆく年になれば」という願いが叶ったとは残念ながら言い難い。
 とはいえ良いこともたくさんありました。特にリアルで会って知り合った人たちが増えたり、新しいジャンルに足を踏み入れたりできたのは楽しかった。来年はもっと交友関係を広められたら良いなあ。友達って大事だよやっぱ。
 挨拶おしまい。皆様良いお年を。ここから先は自分が感じたことや気に入ったゲーム・本の話などが続きます。
(追記)間に合わないので先に振り返りとゲームの話だけします。本の話や自分が書いた作品の話は来年したい……けど約束はできない。

★今年に対する振り返り一覧(飛ばしていいです)

・太った。
・人間関係を広めようと頑張った。
→継続的な交流に繋げられたかは分からないけれど、初めて喋って楽しい人はたくさんいた。
→友達はいた方がいい。
・マラソンや執筆活動のような中期スパンの苦労への耐性が下がった気がする。
→体力や精神力とは別の、根性値とかやりきりパワーみたいなものの衰えが著しい。目的意識に問題がある気がする。
・慢性的に睡眠が浅いのだけれどこれ洒落にならない気がしてきた。
→来年なんとかしたい。原因は多分労働。
・「物語そのもの」を警戒し、怯えるようになった。特に現実世界で展開される著名人へのインタビューや特定のコンテンツを溺愛する人々の布教の文句に対して。
→自分自身がそういう話を振り撒かなくなったのはもちろん、少なからずアイドルコンテンツを推しておきながら運命や奇跡めいた話に持ち込む語らいを避けるようになった。理由は話すと長くなるのでやるなら別場で。
→これは一種の『棄教』である。現実世界で誰かが面白おかしく語る与太としての『物語』を楽しまないという覚悟を決めた。
→もちろん徹底はできていない。
・本当に都合の悪いことは日記にも書かないという悪癖を発見した。
→気づくのが遅い。
・趣味として楽しめればそれでいいと思っていたことでも、これからの人生で本気で楽しむためには限界を超えなければならない。
→趣味の枠組みで限界を超えるのには特殊な素質がいるっぽい。趣味だから無理のない範囲で〜ってやってると頭打ちになる。
→つまり報酬の多寡に関わらず仕事としての枠組みを構築しなければならないのでは?
→一般的に年を取ると限界は超えるどころかどんどんラインが下がる。だから人は政治や権威という手札を限界の拡張に使うらしい。
→気づくのが遅い。
・発信なくして交友なし。受信なくして交友の継続なし。
→気づくのが遅すぎる。

★このゲームがよかった!

・ゼルダの伝説 ティアーズ・オブ・ザ・キングダム

 感想→『ゼルダの伝説 ティアーズ・オブ・ザ・キングダム』だった……
 
ついに出たよ。ブレス・オブ・ザ・ワイルドの続編に位置するオープンワールドゼルダの新作が。
 本当に凄いよ。ウルトラハンドを入手してすぐに分かる、このゲームの実現にどれだけの叡智が注がれているか。開発者たちがどれだけ苦労してきたか。
 なんだろうな、もうね、まずは感謝ですよ。
 ティアキンが生まれるまでに携わってくれた全ての人々に感謝。今年のGame of the Yearはバルダーズゲート3に掻っ攫われましたが(そのことについては大いに納得している)、このゲームもまた偉大であることには変わりない。面白い面白くない以前に、偉大な作品って呼ぶのがしっくりくる。
 システム・ストーリー・ビジュアル・ミュージック全てに、関わる人間の魂がみなぎっている。動画で上がっているブレワイのメイキングインタビューと合わせてみると感慨もひとしお。「ゲームはアートなのか?」という議論はたびたび勃発するが、少なくともティアキンはアート以外のなにものでもなかった。
 任天堂のゲームとしてはある種珍しいとは思うんですよね。宮本茂の舵取りもあって顧客志向を突き詰めるゲームが多い任天堂は、独自色を尖らせすぎず、ユーザフレンドリーなものづくりをするゲームメーカーという印象なのだが、ティアキンに関してはそれに加えて作り手のやりたいことへの情熱がはっきりプレイの手応えとして存在する。
 もともと想定していなかったブレワイの続編という位置付けでこんなにすげえもの作れるんだっていうことを知って感動したわけです。
 だからこそもっともったいぶってプレイしとけばよかったとは少し思う。買ってからの空き時間は全部このゲームに使ってたから割とすぐにクリアしてしまった。
 なんというか、この年になると青沼英二みたいなゲームクリエイターの経歴に共感しちゃうんですよね。個人のカリスマが大きい桜井政博や小島秀夫のようなクリエイターではなくて、すごく会社での人付き合いがよさそうで、一見関係ない大学時代の研究をゲーム作りに活かしてそれが評価されて、長年かけて今の立場まで上り詰めた、アーティストにしてサラリーマンみたいなあの人の立場に憧れの念を抱くよ。
 ……なんかゲームの中身についてあんまり語ってないな。
 しかしゼルダの面白さって言語化できる部分が案外少ないんじゃないかな。「ひらめいた瞬間が気持ちいい」みたいなプリミティブな快感は前提としてあるけど、それは普通の謎解きゲームにも言えるわけで、いまだ「ゼルダらしさ」とはなんなのかが分からないでいる。
 そういう、分析できているところが少ないのに、感性に直接訴えかける『良さ』があると確信できるところが、僕がティアキンをアートだと思っている理由の一つではあります。

・ブルーアーカイブ

 韓国のゲーム企業、ネクソンとその子会社であるYostarによるスマホ用青春学園RPG。通称ブルアカ。プレイヤーは多数の学校が集まった近未来学園都市キヴォトスにおける『先生』となり、問題児のトラブルや学校間の争いの解決にあたる。そして100人以上いる生徒たちの青春に寄り添っていく。
 男オタク版K-POPことブルーアーカイブ。人生何が起こるかわからないということで、ついに私もがっつりソシャゲをやる身分となってしまいました。最初は今の若者ギークの間で流行っているゲームを観察する目的で始めたのですが、そのうち自分も一緒に踊った方が楽しいことに気付いた。
 二周年の一ヶ月後というおよそ最悪のタイミングで始めましたが、マイペースに楽しくやっとります。今ブルアカに関する雑感や二次創作をまとめたメモ帳見たら9万文字あって笑った。特に好きなキャラクターは錠前サオリと羽沼マコトと連邦生徒会長。面食いがよ。
 さてどこから語るべきかねこのゲームは。
 既に言われていることだがこのゲームには懐かしさと新しさが同居している。00年代の美少女ノベルゲームのような情緒やオタクに優しいパロディネタがありつつ、兵役のある国・激動の政治争いを体験した国らしい設定やストーリー展開は新鮮で面白い。クーデターとかこちらではあまり質感を持てないからねえ。
 そんな、馴染みやすさと新しさを味方につけたストーリーは質が高く、毎度読んでいて面白い。特にエデン条約編の完成度については脱帽の一言。この辺もメモ見返したら三千文字くらいあったので割愛しますが、簡単に言うと「導線を複数用意するのが信じられないほど上手い」「キャラクターを尊重して絶妙にヘイト管理できている」あたりが時代の好みとマッチしているんじゃないかなと。
 昔はソシャゲのストーリーなんて誰も読まないと言われていた時代があった(あったよね?)が、FGO以降のソシャゲはむしろ逆で、ストーリーこそが売り物になっている。もちろん性能やビジュアルも大事だが、メインストーリーでの活躍っぷりやキャラのバックグラウンドを知ることが、「この子を仲間にしたい」「この子のことをもっと知りたい」というモチベーションの源泉になり、ひいてはガチャを回すきっかけになる。そもそも、ビジュアルもストーリーの一部だ。子供っぽく見られるキャラクターのコンプレックスや、不自然なアクセサリーを付けているキャラクターの秘密について語られるのに我々は弱い。
 ソシャゲのストーリーは金脈であり生命線である。誰も読まないのは誰にも読まれない書き方をしていたからに過ぎず、良いものを良いタイミングに良い見せ方で提示すれば読まれるし、逆を行けば批判される。そのことを軽視したソーシャルゲームたちは次々脱落していった。南無三。
 逆に、ブルアカはゲーム部分があまり面白いとは感じないのだが、運営もそのことを自覚しているのか、日々のルーチンがものすごい楽。そのことも継続してプレイできる理由になっているかも知れない。
 そしてブルアカを語る上で外せないのが二次創作の人気だ。イラスト・動画・ミームに至るまで毎日ものすごい量の二次創作がSNSには流れてくる。運営が二次創作に好意的なのもある(韓国の統括プロデューサーがコミケの現地に来て本を買っていくのが恒例になっている)が、他のコンテンツと比べても、若くて熱量のあるオタクにこれほど支持されているのは特異だ。
 個人的には、鍵を握るのはキャラクターというよりも、所属学園や部活など、ゲーム中に多数存在する「勢力」だと睨んでいる。かつて東方というジャンルにいたから分かる。この「活動目的や背景も、シリアスとコメディの配分も、勢力ごとに全く違うのに同列に扱われている」っていうのは、二次創作をするような妄想好きのオタク的には非常に嬉しいことなんです。
 真剣に目的を追い求める部活と、自分のあり方に苦悩する生徒会と、緩く遊んでる仲良し集団。これらの扱いに身分差や優劣をつけておらず、一括りに「生徒」と定義しているブルーアーカイブの世界は、二次創作をする上でも制約が少なく、非常に間口が広い。
 ここも詳しく語ると長くなるので端折るが、つまるところブルアカは『遊び』を提供しているコンテンツじゃなくて、『遊び場』を提供しているコンテンツという点で最強なのだ。情報化社会で最も爆発力のあるコンテンツとしての魅力、『語らせたくなる力』がまあ豊富であること。
 来年は同人小説とか出せたら楽しそうだなー。

・ファイアーエムブレム エンゲージ

 今年発売されたファイアーエムブレム最新作。
 いやもうほんと掛け値なしに好き。FEのプレイ履歴はそんなに多くないが自分が遊んだ中では最高傑作とまで思っている。「砂塵と爛漫」を聴きながらエイリークの指輪を切るタイミングを考えている時間が今年の上半期で一番幸せな時間だったかもしれない。あまりに楽しかったから久々に全ユニットの評定とかやっちゃったもんな。
 風花雪月などと比較すると世間では賛否両論で、まあその批判は全く正当だとは思えるのだが、自分はそういう欠点を補って有り余る美点を感じた。なんというかエンゲージは良い部分と悪い部分が極端なので、「そのプレイヤーがFEシリーズの何に重きを置いているか」で評価が激変するタイトルだと思う。風花雪月のような骨太な雰囲気を好む人からしたら「がっかりする」という意見は当然頷ける。なんかもう作品のノリがペルソナ3とペルソナ4ダンシングオールナイトくらい違う。
 コンセプトも結構ちぐはぐな印象があって、過去作キャラが英霊として登場する展開は従来のファン層に向けたサービスを感じる一方で、ビジュアルやストーリーについては新しい試みが多く、新規を取り入れようという努力を感じる。そして難易度は突き詰めると結構硬派。そんな感じで過去作品の文脈を汲んでいるのでライトユーザー間で話題になりにくいし、賛否両論ゆえに手出しをためらう人も多いのは致し方ない。
 しかしゲーム性は本っ当によくできています。
 特に本作で秀逸なのは、ゲームバランスと派手さの両立ができている点だ。
 ゲームは派手にしようとするとバランスを崩しがちというジレンマを抱えている。攻撃力アップは1.2倍になるよりも3倍になった方が派手で楽しい、でもそうすると強すぎて惰性でクリアできてしまう。このようなジレンマをエンゲージはかなりハイレベルに解消しており、ものすごく派手な技が手持ちにあるが、使い所はシビアでクリアする時はいつもギリギリという、この達成感がたまらない。エンゲージスキルやエンゲージ技がなければ倒せないほど強大な敵、相手もフル活用してくるブレイクシステム、竜の時水晶を消費させるためにあるかのような絶望的な増援と、エピックなゲームシステムが多数あって何度も感嘆したものです。
 最終的にはカムイリュールやパネトネアイクといったバランスブレイカーに近いユニットは存在するものの、初見ハードを攻略を見ずに遊んでいる間は脳汁が止まらない傑作戦略ゲームでした。アイク外伝とか、演出も相まって興奮がとてつもなかった。

・SEKIRO: Shadows die twice

 時は戦国時代末期。隻腕の忍者「狼」は、自らの主であり、不死の呪いをその身に宿す九郎を救うため、九郎の血を求める刺客から彼を守り、そして不死の呪いを断ち切る秘術を求めて葦名の国を忍ぶ。
 2019年にフロムソフトウェアから発売された大人気和風3Dアクションゲーム。刀と忍具を駆使して剣客や妖怪と危急存亡の戦いを繰り広げる。文字通りの真剣勝負による息が詰まる緊張感と、クリアしたときの達成感はとてつもなく、フロムの最高傑作に挙げる人も多い。
 年々反射神経が衰えているのを感じるため、今を逃したらやらなくなるなと思い購入。
 いやあ最高のゲームでした。面白すぎるというより気持ちよすぎる。ドーパミンが結晶で出る。まぼろしお蝶を初めて倒した時は冗談じゃなく手が震えたし獅子猿の演出を見た時は過呼吸になった。これは自分でやらなきゃ意味がないゲームだった。
 ゲームとしてすごくよくできている本作だが、印象的だったのは、グラフィックや音楽はさておきゲームシステムの整合性や細部の自由度には意外なほどこだわっていないというところ。落ちてるお金は謎の吸引力で回収し、偵察兵は尻に手裏剣が刺さっても異常なしだと言い張って持ち場に帰る。フロム自体がゲーム開発会社としてあまり規模が大きくないのもあるだろうが、この割り切りにも納得するほど、上質な戦闘体験の提供に力を注いでいる。剣聖・葦名一心の箴言『迷えば敗れる』を表現したかのような戦闘システムは、令和のゲームの中でも有数の発明と言っていいでしょう。
 知っている人にはわざわざ語ることではありませんが、今作で最も重要なゲームシステムが、自分や敵に設定された、HPとは別に存在する『体幹ゲージ』という独自のパラメータです。
 これは攻撃したり敵の攻撃を直前でパリィすることで貯まるもので、ゲージがマックスになると、HPに関わらず敵を即死させられます。このシステムによって敵の間合いに積極的に入って、畳み掛けるような戦闘を繰り広げることを促している。ガン逃げして確実に斬りつけられる時だけを狙ったり、遠距離攻撃で勝とうとすることは、禁止されているわけではないが圧倒的に時間が掛かるしつまらない。結果プレイヤーは切っ先が眉を掠める距離で隙を見て斬りかかり、敵の攻撃をギリギリまで引き付けて弾くという危険な戦いを自発的に行うように誘導される。
 リターンを得るためにリスクを取ることがゲームの面白さの真髄であるというのは、桜井政博を始め多くのゲームクリエイターが辿り着いた真実ですが、SEKIROのゲームシステムはその一つの完成形でありました。

・グノーシア

 人の形をした人類の敵存在「グノーシア」が宇宙船に紛れ込んだ。彼らは外見は普通の人間と変わらないが、夜な夜な生きた人間を殺す。宇宙船の生存者の目的は、グノーシアと疑われる人間を全員コールドスリープすること、グノーシアの目的は生存者の人数を自分たちの同数まで減らすこと。冷たい船上で、個性的なクルーたちによる騙し合いが始まる。
 一言で言えば「一人用人狼ゲーム」。プレイヤーは宇宙船の乗員となって人狼にあたるグノーシアを多数決で吊ることもあれば、自らがグノーシアとなって仲間と協力して乗員を殺していく場合もある。
 日本のインディーズゲームとして多数の賞を受賞している名作ですが、仮に「SFの世界観で、一人用の人狼ゲームみたいなものを作りたいんです」と企画を持ってくる人が眼の前にいたとして、僕にはそのゲームの成功を信じられる自信がない。
 普通に考えたらそうだろう。人狼ゲームというのは人間同士の嘘の上手さと、嘘を見抜く観察力によって成り立っているのだから、自分以外のキャラクターを全部CPUにしてしまったら、その駆け引きは一見スポイルされてしまうように見える。しかしグノーシアは、人狼ゲームの面白さを一人用ゲームとして見事にプログラムに落とし込んで実現した。それも多分、AIのような最新技術はあまり使わずに。
 ポーカーにおけるブラフの巧拙とは、プレイヤーの演技力に左右されることもあるが本質ではなく、ベースとなる考え方は期待値だ。それがどれだけ嘘っぽい演技だとしても、100%断定できることはありえないから、挑発に乗るリスクが莫大である場合は様子見をせざるを得ない。逆に、完璧に嘘を隠し通したつもりでも、「とりあえず疑って当たっていたらラッキーだし外れてもリスクがほぼない」という状況であればあっさり露呈してしまうこともある。損得勘定が観察力を狂わせるのである。だから実際にカジノで繰り広げられるテキサスホールデムはしばしば初心者が考えるよりもずっと緻密な計算で戦う競技になる。
 この「嘘の有効性はリスクリターンで決まる」という考え方は人狼ゲームでも支配的で、実は嘘が通るかどうかって本人の力量よりも設定された場によって決められてるんですよね。
 グノーシアがその仕組みを言語化していたかどうかは分からないが、このゲームは『一人用人狼』という一見破綻したコンセプトを見事にプログラムに落とし込み、個性豊かな14体のNPCが巧みに騙し騙されを演出してくれる。各NPCに対する嘘のバレやすさ、見抜きやすさ、ヘイトの向かい方などの種々のステータスが場にどういう影響を与えているかは殆どマスクされているから、議論の場をコントロールするのは一筋縄ではいかない。CPUが相手なのになかなか完全勝利にはたどり着けないし、時には最初から最後までNPCの手のひらの上で踊らされることもある。完全に疑わないままハニートラップにかかった時の情けなさと言ったらなかった。
 「どれだけ推理に自信を持っていたとしても最後まで結末は分からない」という人狼ならではの面白さはそのままに、ビデオゲームらしい各キャラクターの魅力を盛り込んだグノーシア、傑作ですね。

・One Step from Eden

 ロックマンエグゼの戦闘を意識したタイル上のリアルタイムカード式バトル×Slay the Spireのようなローグライクデッキ構築という、そりゃあ面白いだろといった組み合わせ。
 ただまあ想像の五倍は難しかった。StSやInscryptionでローグライクデッキ構築には慣れたつもりだったが、戦闘のスピードがとにかく速すぎる。本家ロックマンエグゼのような手札をセットする時間はなく、常に山札からランダムでカードが入ってくるし手札も二枚から選ばないといけないしで忙しい。しかもそれを刻一刻と変化する盤面を見て判断しなければいけないわけで慣れるまでは死にまくった。その分、取り回しの難しいカードやコンボが決まった時は非常に楽しい。
 戦闘の難易度や面クリア報酬の絶妙な噛み合わなさなど、全体的に惜しいところを感じることは多かったものの、それでも独特の体験ができたいいゲームであった。

・Faith

 主人公はカトリックの神父。80年代を舞台に、悪魔やカルト教団を神秘の力で退ける。
 発表時から話題になり、2022年に完結したホラーゲームですが、PVを見れば分かる通り、80年代どころか70年代のATARIハードのようなグラフィックと、不気味なロトスコープアニメーションが特徴。世代ではないがこういうグラフィックがかつてあったことは知っているから、存在しないノスタルジーに浸れる。ホラーは苦手なので通常この手のゲームはやらないか、他人のプレイを見ることで楽しむことが多いのだが、このゲームに関しては自分でやった方が臨場感が出そうだと思ったのと、日本語化が長らくされなかったことでプレイする人がいないことから自分でプレイ。
 ゲーム自体は淡白でボリュームも多いとは言えないが、全体を通してこのグラフィックやノイズ混じりのサウンドの雰囲気が素晴らしい。完全に世界観を楽しむゲーム。こんなグラフィックですが、いやこんなグラフィックだからこそホラーの演出も出色で、不可視の魔物がこちらに近づいている様子を草原の揺れ方で表現しているのとか見事。
 この手のゲームはなにが良いか伝えるのは難しい。まずはPVを見てみてください(一応ホラー要素あるのでそこは注意)。ぶつぶつ途切れる賛美歌やぬるりとこちらに迫るエクソシストの映像にゾクッと来たのなら是非。

・ファミレスを享受せよ

 1時間程度でクリアできる個人制作のWebフリーアドベンチャーゲーム。有料の完全版がSteamやSwitchなどでもプレイできる。
 主人公はある日、深夜のファミレス『ムーンパレス』を訪れたが、やがて意識が混濁し、ふと気がつくと店内の様子がおかしい。『ムーンパレス』の自席でメニューの表示は消え、窓の向こうには満月が出ているが出入り口は開かず店員もいない。あるのは聞いたこともない飲み物の名前が羅列されたドリンクバーと、同じように閉じ込められた四人だけ。彼らは何百年以上も前からここに閉じ込められているらしい。退屈で仕方がない主人公は彼らと雑談を試みる。あなたは何者なのか、どうしてここに閉じ込められたのか、抜け出す方法は本当にないのか。会話は弾んだ。何しろここは深夜のファミレスで、ドリンクバーまでついている。
 今年一番の掘り出し物だったかもしれない。安いガラスのコップで乾杯したような音と共に開発者のロゴが表示され、タイトル画面からスタートすると穏やかな音楽とともに手に乗った一錠の錠剤のグラフィック。その裏には満月。「友よ……」というメッセージウインドウ。もうこの時点でこのゲームを見つけられてよかったと思った。
 とにかくゲームの隅から隅までに満たされた『深夜の空気』がたまらない。それ単体では深夜を直接表現しているわけではないはずなのに、線の薄いイラストとメロディアスなチップチューン、窓の外は黒一色なのに過剰に明るく感じる店内の色使い。そして登場人物たちのどこか疲れたような言葉のやり取りが素晴らしい。不思議なことに、深夜にしか口にできない言葉、馳せられない思いというものは存在して、それをこのゲームをやっていると思い出した。
 作者の表現力と、個人制作ゆえの熱意を感じられて終始ワクワクした。若い時に出会うと深く刺さるタイプのゲームだ。深夜にたまたま見つけてプレイしていたんだがエンディング後はいい意味で眠くなった。夜中にこういう風にまどろんだのってすごい久しぶりだ。
 これからの時代、こういうゲームはどんどん増えると思う。すなわち、独特のグラフィックやサウンド、テキストを前面に押し出したアーティスティックなゲーム。「UNDERTALE」がその代表格だが、他の作品で言えば上で挙げたFaithや、伊藤潤二風の絵柄をした海外のホラーゲーム「恐怖の世界」など。今年の作品なら90年代のセルアニメのようなグラフィックをした「little goody two shoes」とかも印象的だった。
 若者は自分の溢れる気持ちや感情をなにかにぶつけたい、表現したいという気持ちに突き動かされることが多々あるが、ゲームはそのための媒体として美術や音楽、文学と同じように採用されるものになりつつあるのを感じる。プログラミングを勉強したりチームメンバーを集めないといけないのはハードルが高いが、ゲームにしかできない表現方法や仕掛けはいくつになっても魅力を感じる。どんどんこういう独特の雰囲気を持ったゲームに浸らせて欲しい。
 なお、作者がこの後に作ったゲーム「いるかにうろこがないわけ」は雰囲気こそ似通っているがジャンルはゴリゴリの2Dシューティング。普通に難しくて驚いたわ。

  遊んだゲームはまだまだあるけど、衝撃を受けたゲームについてはとりあえず以上! 今年は流行りゲームをあんまりできなかったなあ。Steamの統計によると、ユーザーの多くは最新のゲームを買うのではなく、一、二年後にセールになったタイミングで買い漁るのだそうで、私もそのグループの一人のようです。
 「欲しい夏服は夏が終わったセールで買って来年買う」というオシャレさんの行動が僕には真似できないなと思ったものですが、ゲームだったら普通にできるという。結局は性格でなくて興味の問題なんだな。数年経っても気にかけていられる程度にはゲームに興味があるんだ僕は。

 それでは皆様良いお年を。本や漫画についてはまたそのうち〜。

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