Jump King表面クリア感想

 難しすぎんだろうが!

 RTAinJapanに触発されて購入したゲーム『Jump King』の表面をクリアしました。配信もせずに一人で。かかった時間はおよそ9時間。おかしい、RTAinJapanでは10分もかかっていなかったのに。
 感想ですが、製作者への憎しみの言葉でいっぱいです。難しすぎるんだよオイ!
 でも、楽しかったよ。

 知らない人向けに説明しておくと、『Jump King』はスウェーデンのデベロッパーが作ったアクションゲーム。美麗なドット絵の世界観で、鎧を着た男を左右キーとジャンプボタンだけで操作して塔を登るというシンプルなルールに反して難易度は非常に高く、狭い足場を乗り継ぐのにはフレーム単位の緻密な操作を要求される。ちなみにチェックポイントなどという優しいものはなく、足場を踏み外すと無慈悲な落下によって数十分、下手をしたら数時間の努力が水の泡になる。いわゆる『Getting Over It with Bennett Foddy(通称:壺男)』に類似した、苦行ゲームと言っていい。ステージは全部で3つあり、僕がこの度クリアした表面のクリア率は購入者のおよそ7%。最終面のクリア率は1%を切っている。
 なおデベロッパーはこのゲームについて、「アンガーマネジメントとかに良いかも」「落ちた時が失敗ではない、諦めた時が失敗なのだ」などと適当なコメントを残している。ふざけんな。動画や配信サイトで検索すると、このゲームの理不尽さにブチ切れてる配信者の罵声や机をぶっ叩く音などを聴くことができる。

 いやあ苦行系のゲームをやったのは初なんだけど辛かったわ。特に孤独にプレイするのが辛い。前述のGetting Over Itは有名な配信者なんかがよくプレイしており、彼らが苦しみのうめき声を上げる様を視聴者が囃し立てるという現代のコロシアム、あるいは汚い100キロマラソンみたいな光景がよく見られていたのだけれど、これを誰も見られていない状態でやると、ただひたすらに「自分は一体何をやってるんだ」という自問が何度も頭をよぎる。
 なにせ、マジで、本当に、全く、自分の行為には意味が無い。こんなゲームをクリアしたから何になるっていうんだ、もう良い年なのにこんなことをしていて良いのか、なんで貴重な休みの時間をこんな一円の価値も生み出さないゲームに浪費しているんだと、プレイする自分を斜め後ろくらいから見つめる冷静な自分が囁いてくるんですよ。
 それを振り払ってジャンプを続けていると、何か悟りそうになる。一体意味ってなんなんだ。このゲームに意味がないというが、では他のゲームに意味はあるのか。他の娯楽はどうだ。スポーツは、勉強は、労働は、恋愛は。そもそも個人の人生に意味などあったか。
 苦行ゲームで時間を無駄遣いすると、日々の人生を見つめ直す一つのきっかけになると思う。無駄な時間を過ごしているのは明白なのに、それでもゲームをやめることができないのはどうしてだろうか。プレイの99%が苦痛なのに、1%の僅かな達成感のために必死になる必要はあるのか。
 あるのだろう。
 やりたくない、もうどうでもいいと思いながらJump Kingを開いてしまうのは、結局の所そういうことだ。
 何百回も失敗することが目に見えている塔。この上の景色を、自分の目で見たいから登るんだ。外から見ているだけの連中には決して見えないものを僕は見ようとしている。たとえ意味なんてなくても。
 このゲームで何度も体感した、「苦しむことは分かりきってるし、実際に苦しいけれど、見せびらかされた褒美を前に率先してバカになれる感覚」はこれからの人生において大事にしたいと思う。2021年から、実に含蓄あるゲーム体験であった。
 裏面? どうしよう……もうやめたい……

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