最近読んだ漫画の話

 本を読む元気がないからせめて漫画を、と言うと漫画に失礼だが、やはり漫画は読むのに使う体力が少なくて助かる。ということで最近読んだ漫画を四本ほどご紹介。気が向いたらまたやります。文中敬称略です。
 大人買いをすると、いつも買った自分を責めながら楽しんでしまう。僕は子供だから……

・ジャンケットバンク/田中一行

 作者が僕の母親の同郷ということで昔実家で読んだダーツ漫画『エンバンメイズ』と同じ作者ということで購入。カイジや嘘喰いのように一風変わったルールのゲームでお金や命を賭けた戦いを描いたギャンブル漫画。
 あらすじ:とある大手銀行の裏に存在する特別部署の社員は、地下ギャンブルを取り仕切っていた。ゲームを考えたり、優秀なギャンブラーを招待したり、負けた人間の取り立てを行ったり、あるいはゲームの見物を盛り上げたりして利益を上げていた。
 主人公の御手洗暉は数字にめっぽう強く、表向きの銀行で優秀な新入社員として頭角を現していたが、優秀故に決まりきった仕事を退屈に感じており、そんなところを今の上司に引き抜かれ地下ギャンブル場に招待される。初めて目にした命がけのギャンブルに魅了された御手洗は、その時の参加者、真経津晨の担当につき、彼が快く勝負する様を見届けるために行内での昇格を目指すのだった。

 この胴元である銀行が嘘喰いで言うところの賭郎のポジションになり、その類似性から連載初期の頃は「ジェネリック嘘喰い」なんて呼ばれてたりもしたが、この漫画がユニークなのは主人公がギャンブラーではなく、彼らをサポートする銀行員という立場であるところだろう。解説兼振り回されポジションという意味では嘘喰いの梶君も同じなんだけど、彼は途中から「ギャンブラーの立場として」成長していったのに対し、御手洗君は「行員として賭場をあるべき姿に盛り上げたい」そして「真経津の勝負を見届けたい」というサポーターの動機を別に持っている。また、行員として出世するシステムも独特で、単にゲームを繰り返すだけでなく、インターバルで描かれる行員同士の社内政治の様子など、盤外のやり取りが斬新だ。嘘喰いでは暴力まで込みにしたルール無用の世界を描いたが、ジャンケットバンクで一番拘束力があるのは社内規則なのである。
 線の綺麗な絵柄で、ここぞという時にアバンギャルドな描写をする作風も痛快で良いし、作者の他の作品にも共通しているのだが出てくるギャンブラーが軒並み逆転裁判の世界から出てきたのかってくらい濃い。肝心のゲームがややクオリティに波のある感じがするが、雛形戦のカードゲームは見事な引っかけだった。伏線込みで素晴らしい。

・本田鹿の子の本棚/佐藤将

 ちょくちょくバズってるのを観測していて、どれも安定して面白かったのでこれは珍しくバズが機能しているなと判断し購入。
 あらすじ:本田鳩作には悩みがあった。最近、高校生の娘である鹿の子が冷たいのだ。昔は懐いてくれた娘のことをもっと知りたいと思った鳩作は、娘の趣味である読書に目をつけ、プロファイリングと称して彼女の留守中に部屋の本棚に目を通すことにした。その結果、鹿の子がなんというか、思いの外癖の強い奇怪な本を好むらしいことを知り、彼女の趣味嗜好に肝を潰した鳩作はその後も彼女の本棚を垣間見ることが日課となるのだった。

 本作は1話完結型で、鳩作が本を開く→その本のあらすじ(大体エログロ怪奇小説)が漫画で展開される→鳩作が引きながら感想を述べる→鹿の子が帰ってくるので部屋を退散する、というテンプレで構成されているギャグ漫画。つまり本作では毎話ごとに濃い絵柄でぶっ飛んだ脚本の謎小説を楽しめる。作中作は真面目に展開していくのだが読者目線からすると突っ込みどころ満載のシュールなギャグに寄っていて、父である鳩作が冷や汗を垂らして娘の将来を案じるのにも頷ける。有害図書とは言えないが、親としてもう少しこう、普通の話ないのか? 自作のしおりとか作っちゃってるし鹿の子。エイリアンとかのイラストめっちゃうまいし鹿の子。
 僕はこういう「型に嵌った中でどこまで発想を生み出せるか」に挑戦した漫画が好きで、多分ルーツはいしいひさいちの4コマ漫画にある。本作も話の流れ自体は全て同じだが、間に挟まれる架空の小説のあらすじが一つ一つクオリティ高く安定していて、職人が凄い勢いで工芸品を作っているのを見ている気分。作中作は一話で毎回ちゃんとオチまでつけるし、読んだ内容や台詞を引用した鳩作と鹿の子のやり取りで二重に落とすところまでそつなくやり切る。フィクションとは嘘をつくことだという基本に立ち返ると、これはもう嘘スキルを最大限まで高めた結果の産物だろう。
 特に好きなエピソードを以下に羅列した。

 事故物件に残る空手家の幽霊
 グレープフルーツから生まれたグレープフルーツ太郎
 サメ映画の被害者の異世界転生
 不快な漫画を描いた罪で死後裁きにあう漫画家4名VS四大天使
 デスゲームに招待した高校生が男塾みたいな奴らだった
 世紀末のならず者たちを成敗する二人組のプロレスラー
 肩がこりすぎて脳まで凝りに乗っ取られた化け物VS揉みほぐし天下一のうどん屋
 うっかり愛する人の秘孔を突いてしまったので爆発させないように指を突っ込んだまま生活する世紀末拳法家カップル
 キン肉マン理論が絶対の世界で殺人事件が起きたらどうなるか
 垢から生まれて意思を持った人形の怪談
 耳なし芳一が耳を切られた恨みに平家の怨霊へ復讐する話
 毛利家の三兄弟が全員ムキムキだったので講釈のために矢を万単位で用意しなければならなくなった元就
 ヤクザに臆さないサイコパスラーメン屋
 喋る人面瘡がよりによってムエタイ選手の脛にできてしまった
 ある日を境に変な怪物の作品しか作れなくなった彫刻家の話
 トロッコ問題に武士道極めしサムライが挑む
 一人の少女と世界が天秤にかけられた展開なのに主人公以外の集団も一致団結して運命に抗うセカイ系
 5分で終わる低クオリティフリーゲームの世界に転生した男二人

 特に耳なし芳一とトロッコ問題は傑作でした。

・ブルーロック/金城宗幸、ノ村優介 

 外連味溢れるサッカー漫画。しかし本作は通常ルールのサッカーをあまりやらず、もっと少人数で試合することが多い。好きな絵師さんが複数名同時期にオススメしていたので購入。
 あらすじ:日本がサッカーにおいて目立った成績を挙げられないのは、「最強の個人」が生まれないからだ。歴史に名を残したプレイヤーのように点を取りまくるストライカーが日本には必要で、そのための環境としてこの国の空気を読んだり事なかれ主義で進めていく社会は合わない。もっとハングリー精神を! 「自分が目立つことさえできれば良い」の精神を! そんなエゴイストを育むために設立された特別養成施設の名がブルーロックだ。主人公の潔世一も施設に招待された若きサッカー少年の一人。彼は55人のライバルが犇めく監獄で超アグレッシブなサッカーを余儀なくされ、徐々に才能とエゴを開花させていく。

 これはアイディアの勝利でしょう。サッカー漫画+蹴落とし合いのデスゲームと見せかけて、この漫画はテーマを引き算していると思う。
 漫画は、ジャンルによって避けられない課題がある。バトル漫画のインフレーション、味方になると弱体化する敵、ホラーやミステリーがパターンになるとマンネリ化する現象、キャラクターがすぐに死んでしまい愛着を持たれない問題など。その中の一つが「サッカー漫画は関わる人間が多すぎる」という問題だ。自軍の選手だけでも11人いて、彼らそれぞれに名前と異なる役割を与えると作画的にも作劇的にも気苦労が絶えない。そこで、「全員オフェンスって設定で個人主義サッカーやらせようぜ」となった本作だ。これで全員の目的意識が揃うし、連携も無理して取らせる必要がなく、フォーカスしたい人物を取捨選択できる。しかもブルーロック内でのゲームはオリジナルルールだから脚本的にやりたいことに合わせてルールを提示することまで可能。
 もっともらしい理屈をつけてキャラクターを成長させたり挫折させたり新たな友情を芽生えさせたりするのでご都合主義になるかと思いきや、絵が上手で迫力があるのでなんか騙されてしまう。辻褄なんて、面白かったら二の次だということがよく分かるいい漫画。創作の力を信じるってこういうことでもあるよね。

・あの頃の増田こうすけ劇場 ギャグマンガ家めざし日和/増田こうすけ

 ギャグマンガ日和でおなじみ、増田こうすけが漫画家になろうと思い立ってからデビューまでの数年を描いた自伝。最近こういう自伝風の漫画やエッセイが増えてきたよね。少し話が逸れるが図書館行ったら『演劇』の欄に声優の著書がずらっと並んでいて驚いた。有名なのは大塚明夫の『声優だけはやめておけ』ですけれど、日髙のり子、中尾隆聖なんかも本書いてるんですよ。知ってました?
 ということで、ジャンプ陣の中でも異色な漫画家である増田こうすけが、あえて普段の作風から外れて自分のことを描くというのに興味を持って買ってみた。
 しかし、増田こうすけの漫画家デビューストーリーには大きな問題があった!
 マジでこの人の背景には物語がなかったのである!

 漫画を読んで衝撃を受け自分もああなりたいと思った志、芽が出ない時期やスランプ、編集からの理不尽な扱い、並行して繰り広げられる家族や恋人とのいざこざ、それでも夢を諦めない強い意志、起死回生のキャラクターやタイトルの誕生秘話――なんてものが一切出て来ない。
 工場勤務に疲れたある日近所の文房具屋でボロボロの漫画家セットを見つけて、よくわからんまま漫画を描いて送ってみたら月刊ジャンプの最終選考に残るも落選。「あー残念だな……待てよ、あれで最終選考……?」ってんでもう一回応募したら受賞。その後編集から連絡が来ないので念のためもう一回応募したらそれも受賞。編集会議で「なんか月刊ジャンプの紙面余ってるんだけどいい感じの連載入れられないかな」と言われて担当編集が増田こうすけを推したらトントン拍子でギャグマンガ日和の連載決定。そして今に至る。本人も「見切り発車で始めたけどマジで何もないな……」と自伝の途中から焦り始めている始末。
 しかし、ある意味でこの人の人柄が出ているとも感じられる自伝だった。多分書こうと思ったら編集のことをもっと露悪的に書くこともできただろうし、賞金の使い道とか上京エピソードとかも盛れたと思うんですよ(本当の本当に無かった可能性もあるが)。作中の本人はいかにも真面目な、それゆえに冴えない漫画家として描かれており、ジャンプ漫画家らしい華々しさは伺えない。普段はあんな嘘まみれなギャグ漫画ばかり描いているというのに、この漫画は増田こうすけの味のある絵柄そのままの頼りなさだ。
 「エッセイ漫画」というジャンルはSNSで人気ですが、本人が描いている以上バイアスがかかることは避けられないと思っています。作者は意識してようがしていまいが、読者が望む自分の姿や、逆に自分が読者に見てもらいたい姿を自然と演出する。だから編集との喧嘩は誇張されると編集が愚痴るトラブルが起こったりするし、逆に必要以上にみじめに、怠惰に描いて共感を誘っていることもあるだろう。そもそも週に何本もエッセイ漫画描いている時点で相当のバイタリティよあの人達。そしてきっと優秀で、野心がある。
 僕はこのようにエッセイ漫画に対して疑り深い方だ。辻褄なんて面白かったら二の次と前述したが、それはフィクションの発想力に基づいたものに限る話で、現実の話をしておきながら演出・面白さを優先して周囲を歪めてしまうのはフィクションの力にフリーライドしていると感じてしまうし、最近問題視された子育てエッセイ漫画のように明確に傷付く人も出てくる。創作実話に人気が出たときから僕はこの辺りをずっと憂いているのだが長くなるのでここでは割愛。
 しかし、だからこそ僕は増田こうすけが描いたこの「何もなさ」「物語っぽくなさ」に少し安心したのである。ああこの人は自分の話を面白く披露するのはあんまり得意ではないのだな(それでも随所の言語センスとかはやっぱすげえなと思ったけど)、フィクションのギャグでしか自分を表現できない領域があるのだな、と。そう思うと、増田こうすけの才能が天に選ばれたことに妙な納得感がある。
 増田こうすけは本作の中身の薄さに焦り、最後「ギャグ漫画家としての自分」を最大限活かしためちゃかっこいい演出に走るのだが、それは読んでのお楽しみということで。

 以上四本でした。こうして書くと自分が漫画に何を求めているのかが分かってきていいですね。ちなみに最近一番気に入っているのは阿部共実の『潮が舞い子が舞い』なのですが、これは書く時には個別で記事を書きたい。

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