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(128) 愚直な練習から目的のある「限界的練習」へ

2021年4月1日(木)

2020年度の「教える技術オンライン研究会(OGOK)」(全10回)から、研究トピックや研究スキルを紹介するシリーズの第5回目です。今回は研究トピックとして「限界的練習」を取り上げます。最後には、そのレクチャービデオ(22分)を紹介しています。

・限界的練習/究極の鍛錬とは何か

本当に上達するためには、Deliberate Practice(限界的練習)をしなければならない、ということを明らかにしたのが、アンダース・エリクソンの『超一流になるのは才能か努力か?』(文藝春秋, 2016)です。

また同様のことを書いたジェフ・コルヴァンの『究極の鍛錬』(サンマーク出版, 2010)という本もあります。Deliberate Practiceの訳語として「究極の鍛錬」というのも個人的には好きです。

・時間をかけても全員が一流になるわけではない

何事でも一流レベルに熟達するためには、1万時間のトレーニングが必要だということが研究で明らかにされてきました。研究者によっては5,000時間という場合もあります。また「10年修行の法則」を提示する研究者もいます。しかし、この主張がいっていることは、一流になるには少なくともそれくらいの時間をトレーニングにかけなくてはならないということであって、どんなトレーニングであってもその時間をかければ一流になれるということではありません。

そのトレーニングは、よく考えられた究極の鍛錬でなくてはならないのです。それを、アンダース・エリクソンは「Deliberate Practice(限界的練習)」と名づけました。

ただ経験を積むだけでは、高度な専門的知識やスキルは身につきません。私はテニススクールに通い始めて10年以上になりますけれども、やはり遊びでゲームができる程度を超えることがありません。また、経験豊富な看護師は、看護学校を卒業して数年の新人看護師と治療の質は変わらないという研究もあります。これが示唆することは、長く経験を積んだベテランであっても、日々トレーニングをしなければそれ以上のスキルを身につけることはないんだということです。

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・愚直な練習、目的のある練習、そして限界的練習

練習のパターンには、愚直な練習、目的のある練習、限界的練習の3つの種類があります。愚直な練習というのは、ただ練習するだけです。しかし、目的のある練習は、はっきりと定義された具体的な目標があり、それに向かって集中して行うものです。そのために、自分の居心地のいい領域(コンフォートゾーン)から一歩踏み出して挑戦し、それに対してフィードバックを受けることが必要です。

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