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【質問】主張の根拠がチェリーピッキングのように思える

2024年10月16日(水)

水曜日はいただいた質問を取り上げて回答しています。

質問

自分の勉強不足だからか、論文や書籍における主張で使われている参考文献がチェリーピッキングのように思えてしまいます。主張の根拠に使う理論や論拠としてたまたま適合しただけであり、その理論や論拠でなければならない必然性が感じられないことが多いです。そもそもこの必然性は、何かを主張する際に必ずしも必要ないのであれば、納得できます。論拠に必然性は不要なのでしょうか。あるいは何かを見落としているのでしょうか。

回答

チェリーピッキングとは「数多くの事例の中から自らの論証に有利な証拠のみを選び、それと矛盾する証拠を隠したり無視する行為」(Wikipedia)です。

さて、質問者は「論文や書籍における主張で使われている参考文献がチェリーピッキングのように思えてしまいます」と言っています。実際、特に厳密な根拠やデータを求められない一般書では、いたるところでチェリーピッキング的な引用によって自説の根拠づけが行われています。

トゥールミンの論証モデルでは、自説の主張の根拠(データ)としてなんらかの引用がされた場合、その引用内容について読者が真実と認めていれば、それ以上の論証は求められません。しかし、対話であればともかく、本の紙上では読者がそれを認めるかどうかは分かりませんので、著者は権威のある引用をすることで勝手に自説の根拠としてしまうわけです。これがチェリーピッキングの背景にあります。だからこそ、著者はその引用の内容について自説の根拠となりうるかどうかを十分吟味すること(トゥールミンのいう「ワラント」)が必要になってきます。しかし、そうした丁寧で公平な吟味は、しばしばなされません。

一方、論文や学術的な文献では、そうした吟味は「研究史」や「レビュー」という形でなされます。そこでは、チェリーピッキングではなく、ある主張(理論)に対して支持するデータと支持しないデータを公平に取り上げて、ある理論に関する議論を展開することになります。そうした上でその議論を解決するためのひとつのデータを生成することが、リサーチクエスチョン(研究上の問い)となり、そこから新たな研究がスタートすることになります。


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