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映画<怪物>に潜む光線
怪物、だ〜れだ! 抱える君へ
子どもたちの住む世界には怪物が潜む。その子どもの頃を引きづったまま、生きる大人のなかにも、残り火のように怪物は、潜み、生き続ける。
時に、狂気を演ずる怪物は、いつか誰かによってつくられた、<普通>という、もう一方の怪物と微妙にズレを生じて舞い踊る。
怪物は自分のなかにも眠っている。その狂気を飼い慣らしながら、どうやらここまで生きてきたに過ぎない。
グッバイ怪物といえるのは、ボクが灰になるときまで、待たなければならない気がする。
そもそも生きていることが暴力なのだと。そんなことは、いつしか忘却という暴走にかわるのだから、ボクらは被害者のままではいられない。
映画の最後のシーン、「ここから始まる音がする」と、瞬間に湧きあがる坂本龍一さんのピアノに浄化されながら、生き返りなんてないんだ、につながるさまに号泣。その後の画面いっぱいに飛び散る美しい光線の渦にカタルシスがあふれていた。救われた気がするよ。ありがとう。
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