見出し画像

写真のススメ

私心なき遊びで写真を撮り、撮ったものを見て、なぜ撮ったのかを考え、反省し、また撮り、このサイクルで生活に規律をつくることは、寺に通い座禅を組むような感覚である(通ったことはないけれど)
考えることが好きな僕にとって、いま写真を通して考え、考えたことが写真になってしまうという不思議な感覚におちいっている。
世界にたいする自己のかかわり方の結果が「撮られた写真」であり、写真を撮る行為は世界に対する意欲であり、きっとこのまま写真を続けていたら、もっと世界を愛でることができるのではないかという直感がはたらく。
偶然を伴うシャッターチャンスで生まれる写真は、上手くいけば何かを訴え、世界を告発し、撮影者が日々世界へ向ける視点こそ、写真の主題を決めるのだと知る。
ベンヤミンは、カメラが発明される前までの芸術が「意識が支配する」芸術であり、カメラは芸術に「無意識の領域を持ちこんだ」としてそれを評価したが、たしかに写真は、撮影者の意識を裏切り、意識を超えた世界を撮影者につきつけるような気がする。
撮影者は撮影した写真を「再び読む」ことを前提にシャッターを押すが、この「再読」という行為が写真を介し、撮影者を世界に結びつけるような感覚がある(僕はそれを座禅と呼ぶ笑)
無意識の写真を「再読」するのは意識、つまり「言葉」によって成り立つのだから、永遠に続く自問自答の好循環が自分の中で起こり・・・マジでいい趣味みつけたわ!
写真を通して世界の本質をつかむ努力を続けていきたい。
まずは徹底したアマチュアリズムで、欲を出して、さらに徹底したディレッタンティズムで、世界を見つめる〈私〉の視点を客体化してゆく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?