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小さな過去形はちょっと切ない

────エッセイ

うるう日だった2月29日。メジャーリーガの大谷選手の結婚報道がメディアを駆け巡った。翌朝、日本のワイドショーはお祝いムードに包まれていて、どのチャンネルも喜びの声で溢れていた。

そんな中、気になるインタビューがあった。ドジャーススタジアムの前なのだろうか。大谷選手のニュースを道行く人に教え、驚きの反応を集めたコーナー。ある地元男性がインタビューを受けていた。

60代後半から70代前半に感じる風貌。生きいきとした表情から若く見えるけど、もっと年配の方かもしれない。ニュースに驚きつつ、インタビュイーと楽し気に会話をしていた最後のひとことが耳に残った。

ぼくの結婚生活は47年だったけど、最高に幸せだった。彼にもそんな幸せがくるといいね。

屈託のない笑顔で答えた、“だった” という表現が気になった。意図せず過去形を使ったとは思えない。この人にとって、結婚生活は過去の話しなんだと思った。幸せで溢れるテレビ画面の中で、小さな悲しみを勝手に感じてしまった。

楽しかった修学旅行
嬉しかったプレゼント
幸せだった時間

思い出を語る過去形には、ほんの僅かに切なさが混じる。まるでスイカにまぶした塩のように。スイカが甘いほど、舌に触った塩が辛く感じるように。美しい思い出ほど、それが取り戻せない過去になったときはピリっと辛い。

3月は別れの季節。もうすぐ、卒業式帰りの学生たちを見かけることも増えるだろう。転職、異動、引っ越し、ぼくの身近にも小さな別れがある。

今月、いくつかの送別会がある。どの会でも、懐かしい昔話に花がさくに違いない。

あのときは大変だったね
あのプロジェクトは楽しかった

小さな過去形が出るたびに大笑いして、ちくっと刺す淋しさを紛らわすようにお酒を呑むだろう。別れのお酒は名残惜しくて切なくて、いつまでもあとをひくから困ってしまう。



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