時間を贈るということ
noteの自主企画、盛り上がっていますよね。
企画をしたことがない人の素朴な疑問として、「なぜ企画を立ち上げるのだろう?」と思うことがあるはずです。企画を立ち上げた人は、その理由を知ってるかもしれません。もしかしたら「なんでだろ? 分からないな、やりたかったからやっただけ」と言う人もいるかもしれませんね。
ぼくは企画の旗持ちになったことがないので、その理由は分かりません。
けど、企画のサポートをしたことがあるので大変さだけは知っています。ほんの少しだけだけど。
noteで同じテーマで書いた作品を紙の本にしようという企画のお手伝いをしたことがあるんです。今まで何度も書いてるから端折るけど、あきらとさんが立ち上げた企画のこと。
軽い気持ちで集まった4人のメンバー。後悔するまで10日もかからなかったですね。「あぁ、これは大変な企画に関わってしまったぞ」、と。
この企画、一言で言うと「70人の作品を一冊の本にまとめて印刷する。総量は約10万字、220頁」というもの。企画開始が2019年の11月で完成したのは4か月後の2020年2月です。
メンバーによって感想は違うかもしれませんが、完成直後ぼくの本音は「やって良かったと心の底から思うけど、二度とやりたくない」です。だってめちゃめちゃ大変なんだもの。何が大変かも端折るけど色々大変なわけです。
リーダーのあきらとさんは、細かいことをメンバーにおろさないから分からないけど一番大変だったはず。身も蓋もないので当時は聞かなかったけど「なんでこんな大変なこと思いついちゃったの?」とあきらとさんに問いただしたい気持ちでいっぱいでした。軽い気持ちで「やるやる~」と言った自分もぶん殴ってやりたい。
でもね、
そんな気持ちがふっとぶ瞬間があるんです。
それは小冊子が届いた人から喜びの声が届いたとき。Twitterのタイムラインに写真と一緒に「届きました!」「大事にします!」「ありがとうございます!」 というコメントが流れてくるとマジで涙が出るんです。その瞬間に二度とやりたくないという気持ちは飛んでってやって良かったなという気持ちだけが残る。
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話変わって、先週フィナーレを迎えたこの企画です。
ぼくの作品が佳作の32選に選ばれました。
「あなたの記事が話題です」という通知が来たとき、嬉しかったんですよ。
うひょぉぉ~って変な声が出るくらい。
喜びの思いをTwitterに書き込もうとした瞬間、躊躇いました。喜びの声を上げると誰かを不快にするかもしれない。
noteの街で企画で盛り上がる様子を不快に思う方がいるのは知っていました。間接的に聞いていたそれは、自分の身近でも起きました。ぼくも個人企画にはよく参加します。参加してない人にとって、はしゃぐ様子は不快に感じる気持ちになるのも分かります。それが直接の原因かは分かりませんが、その方は、僕の記事がタイムラインに流れてくるのが負担になったらしく、丁寧な言葉とともに僕のフォローを外されました。
せっかくの機会なので言及しておきますが、ぼくをフォローしてくれてる方で「思ってたイメージと違うな」とか「最近読む気持ちにならないな」と思ったらそっとフォローを外してください。淋しい気持ちはありますが、ぼくの投稿が負担になってる方が辛いから。
話を賞の発表に戻しますが、結局ぼくはどうしたか?
車で移動中だったので出遅れましたが、Twitterで自分の喜びと入賞、佳作に入られた方へtweetを飛ばしまくりました。
もしかしたら、自分の発言が誰かを不快にさせるかもしれない。でも、それよりも素直な気持ちを表すことが、企画を主催してくれた方々への最大のお礼になるし、大事なことだと思ったからです。
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時間を贈るということ
常々思っていることですが、今の時代、一番貴重な贈り物は「時間」だと思っています。自分の為にどれくらい時間を使ってくれたか、そこに人は感動するのではないでしょうか?
側にいて話を聞いてあげる
勉強を教えてあげる
料理をつくってあげる
時間を感じる手段は色々ありますが、noteの街ではどうでしょう?
自分の文章を読んでくれた時間
これに勝る贈り物があるでしょうか?
更に言えば、自分の文章に言葉が添えられている、こんなに嬉しいことがあるでしょうか?
磨け感情解像度の投稿作品は215本。78文字から25,000文字まで様々なボリュームの作品達。仮に1記事3000字だとして(体感的にはもう少し多いと思う)、645,000文字です。凄くないですか? これ?
しかも一回読んでこれですよ。二回読んだら1,290,000文字ですよ。
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更に今回は、まとめ隊の3人が熱のこもったレビューを書いてくれました。
これvol.11まであるんですけど、多分10万字超えてますよね。
書き手の為に輝く時間を贈り続ける。
その姿勢に感動します。
昼休み潰しながら書いてるけど、今ちょっと泣いてる。
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インターネットのおかげで、場所を超えて時間を贈ることが可能になりました。北海道から沖縄まで、南半球から北半球まで。地球上のどこにでも、時間という輝く贈り物ができる時代なんです。朝起きてスマホを開いたら、とびきりの「時間の贈り物」が届いている。なんて素敵なんだろう!
インターネットで悲しい言葉に出会うこともあります。なんでそんなことをわざわざ言うのだろう?と思うことがあります。
もしも、noteの街の広場でお祭りを見かけて、近づけなくて淋しい気持ちになった人がいたならば、ほんの少しだけ思いを馳せて欲しいんです。
その会場のはじっこでみんなの笑顔を見つめながら、自分の貴重な時間をつぎ込んで「時間の贈り物」を届けている人たちがいることを。
そうしたら、自然とあたたかい言葉や気持ちが湧いてくると思うんです。
最後に
『なんでこんなに特別なんだろう』
カエデさんが最初のまとめタイトルにつけた言葉がずっと心の中心にある1ヶ月でした。いただいた「時間の贈り物」に比べると本当に些細なことですが、自分の作品やシェア文での応援がみなさんに何かを返すことができていればいいな、と思います。ありがとうございました。
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