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「その納期は無理ですよぉ」
打合せコーナー、隣のブースから聞き慣れた大声が聞こえた。あっ来てるんだ、と思い携帯にメールする。「隣のブースにいるから声かけてください」
5分後、細縁のメガネにパンチパーマの上岡さんが、どうも~と人懐っこい笑顔でぼくがいるブースに入ってきた。上岡さんは本名じゃなくて、ぼくが付けたあだ名。上岡龍太郎の目をより鋭くしたような、新幹線で隣になったら終点の青森駅まで緊張して寝られないくらいの強面。
「お久しぶりで~す。お元気ですか?」先週も会ったのに、そんなことを言う。上岡さんは懐に入るのがうまい人だ。
「営業は天職ですね」
カレーは旨いですね、と同じトーンで当たり前のことみたく言う。上岡さんは、塗装メーカーの営業だ。仙台にある小さなメーカーに量産をお願いすることが増えたのは、上岡さんの力が大きい。
「こげちゃさん、今度うちに遊びに来て下さいよ。出張しやすい理由作っとくんで」ニヤリと笑う。上岡さんは人の心をつかむのがホントにうまい。
◆
数週間後、上岡さんは約束どおり出張の口実を作ってくれた。「新しい塗料の試作をしており、ぜひデザイナーの意見をお聞きしたい。併せて、いま量産している部品の色確認も現地でおこなって欲しい」ぼくの上司がOKを出しやすい理由を上手に用意してくれた。何度も量産をお願いしていたけど、工場に行くのは初めてだった。いい現場は、建物に入った瞬間に分かる。掃除が行き届いた玄関。キレイに並べられたスリッパ。廊下ですれ違う社員の方々も、こんにちは!と気持ちの良い挨拶ですれ違う。
小さいけどピシっとした空気に包まれた来客室に入るとカラーデザイナーと思われる若者が2名。早く見てください、と二人の目が訴えている。ぼくは脱いだコートを無造作に椅子にかけ、机の上にズラっと並べられたサンプルを端から見た。
面白い塗装だった。正面から見ると普通のホワイトだが、斜めにするとうっすら虹色に光る。ただ、斜視のホワイトが薄暗く見えるのが気になった。そのせいで虹色が僅かに濁って見えると伝えた。
「どうすればいい?」
普段はお茶らけてるけど、スイッチが入ったときの真剣な目。仕事に集中するとタメ語になってしまう上岡さんが好きだ。プロの仕事に惚れる、そんな感じ。色の確認は日が暮れる夕方までが勝負。日が落ちて室内照明だけで色を見てしまうと正しい判断ができなくなる。その日はきっかり夕方4時半で仕事を終えた。
「いよっしゃぁぁ~~、飲むぞぉ」
独り言にしてはやたらでかい声量で上岡さんが叫ぶ。
「こげちゃさんを連れていきたいと、ずっと思ってた店があるんですよ」
◆
煙が立ち込める店内は、会社帰りのサラリーマンでぎゅうぎゅうで、地元の人が多いと一目で分かった。カウンターに並んで座りビールを二つ頼む。
「まずは焼きで!」
上岡さんが嬉々として言う。
「ここはゆでも旨いけど、まずは焼きっしょ?」
思わず、うんと言いそうになる。恋人か。
焼き、焼き、ゆで。もつ煮を挟んで、焼き&ゆで。名物に旨い物なし、なんて言葉があるけど、仙台の牛タンに関してはウソだ。うますぎるし、幸せすぎる。たらふく飲んで食べて。二人ともホクホク顔で店を出た。まだ秋と呼べる季節だったけど、東北の夜は吐く息が白い。
「こげちゃさん、もう一軒行きましょうよ。すっごい、いい子がいる店があるの。オレのお気に入り」
携帯を開くと新幹線の終電まであと1時間。駅まで歩いて15分。そのお店にいったら、多分終電は間に合わなくなる。次の日の朝、会議があったな……それもわりかし大事な会議だ。後ろ髪をひかれながら丁寧にお誘いを断り駅に向かう。
「え~~、つれないなぁ。オレ、一人で行くのつまらないですよ」
セリフとは裏腹に嬉しそうな顔で言う。
新幹線の改札まで見送ってくれた上岡さんにお礼を言った。
「こちらこそ、ありがとうございました!」
上岡さんは、立ったまま、膝におでこがつくくらいに頭を下げる。この緩急が人を惹きつけるんだよな。飲んだお酒以上に温まった気持ちで新幹線に乗り込んだ。
それから数か月が経った、2011年3月11日
東日本大震災が起きた
◆
当時、ぼくの職場は震源地から遠く離れた神奈川にあったけど、立っていられないほどに揺れた。揺れが収まり机から顔を出すと、防火シャッターが幾重にも下りた居室を見て驚く。経験したことがない大きな揺れに、みんな動揺している。防災訓練とは程遠い、乱れた列で階段を降り外に出た。分厚いコンクリにひびが入っていて、ただならぬ地震なんだと壁が語っている。
駐車場に集まった社員は、一様に携帯電話を操作し首を横に振っていた。ぼくもダメもとで妻に電話したが繋がるはずもない。東京に近い場所といえど、3月の空はまだ冷たい。上着も持たず出てきた社員がほとんどで、みんな震えていた。安全確認のため2時間近く外で待機させられ、居室に戻れたのは16時半。乱れた机の上を片付け始めると、離れた席で「うわぁぁ…」という声が聞こえた。テレビ機能がついた携帯電話、その小さい画面に映し出されたニュースにみんなの目が釘付けになる。
「なにこれ…」、「これ今の映像?」、「やばくない…?」
驚きの声はすぐに沈黙に変わった。全員が言葉をなくしてしまう。
仙台港の映像です
携帯電話から聞こえた音声に体がビクっと反応した。無駄だと分かっていたが上岡さんに電話をする。繋がらない。電話回線は沈黙したままだ。社内に速やかに帰宅するよう放送が流れる。慌ててPCのメールを立ち上げ一行だけのメールを打った。
『工場のみなさんのご無事を祈っています』
◆
すべての電車が運休になり同僚と歩いて帰った。停電で明かりが消えた街の中で、赤く連なる車のテールランプだけがギラギラ光っている。アニメで見た世界の終りのシーンと重なり不安がこみ上げてくる。その日、家に着いたのは深夜0時。出迎えてくれた妻と玄関で抱き合った。
翌日、土曜の朝
いつもなら旅番組を見るともなく見て、休みモードに入る土曜日の朝。家族4人一緒がいいだろうと、リビングに敷き詰めて寝た布団の上に座りながらニュースを見る。テレビに流れてくる数字が昨晩とは桁違いになっていた。どの数字も、どの数字も桁違いだ。見るたびに増える。見るたびに怖くなる。子どもたちの目に映らないよう、テレビは消した。ニュースで見た数字の中に上岡さんが入ってないことを祈る。被災地への電話は控えてくださいとアナウンサーが何度も訴えていた。被災地の人同士の連絡もままならない中、遠方のぼくらが電話をかけることは迷惑行為でしかない。
長い週末を過ごした。余震がくるたびに身構えて、泣きじゃくる次男を寝かしつける。電気も水も使える我が家にいても精神的ダメージはあった。被災地の人たちのそれは、とても想像できない。ひたすら祈ることしか、ぼくにできることはない。
◆
月曜日はたしか、臨時休業になったのだと思う。自分で有給を取ったのか、記憶が曖昧だけど月曜日も家族4人で家に閉じこもった。会社に出たのは地震から4日後、火曜日の朝。出社したメンバーは半分もいなかった。電車の復旧が遅れ、出社したくてもできない人がほとんど。ぼくもいつもと違う通勤経路で2時間半かけて出社した。PCを立ち上げ、祈る気持ちでメールを開く。新着メールは数通しかない。日に何通もくる展示会や技術情報のメルマガさえ来ていない。上岡さんからのメールも、ない。
年度末に向けて仕事は溜まっていた。加えて出社できるメンバーも少ない。忙しさに追われ仕事に没頭すると集中力が増していくのが分かる。いつもの1.2倍速で仕事が進んでいく。でも、ふとしたとき我に返ってしまうのだ。
デザインしていて、いいのだろうか?
ほかにやるべきことがあるんじゃないかと考えてしまう。余震で眠れない日々。睡眠不足の頭は、良くない方、良くない方へと考えを加速させる。デザインをすることに罪悪感を感じたのは、このときが初めてだと思う。
◆
翌週の月曜日になると、ほぼ全てのメンバーが出社していた。カレーしか出せなかった社員食堂もうどんと蕎麦がメニューに加わった。日常がほんの少しだけ戻ってきた気がした。メールは完全に日常を取り戻し、受信BOXの新着メールの数は三桁になっている。その三桁の数字の中、日曜日に大量に送られてくるメルマガに紛れて、上岡さんのメールがあった。
!!!!!!!!
開くまでもない。件名なしのそのメールは吉報でしかない。開いたメールはとてもシンプルだった。
ありがとうございます
生きてます
「上岡さんからメール来たぞーー!」
ぼくの声に周囲が沸いた。みんな口には出さないけど心配してたんだ。
メールから更に一週間後、上岡さんから電話がきた。まだまだ大変な状況だけど、奇跡的に従業員全員無事でしたと連絡をもらった。従業員の親戚含めるとアレなんですけどね……。かける言葉がなかった。それを察してか、上岡さんがいつも以上に大きい声で言った。
「落ち着いたらご挨拶にいきますから!」
◆
上岡さんが挨拶に来てくれたのは、2011年が終わろうとする12月だった。1年ぶりに見る人懐っこい笑顔。少し痩せたかな?と思う。仕事の話は一瞬で終わり、話題は自然に震災の話になった。いまだに工場は100%復旧していないこと。復興の建築ラッシュで市内のビジネスホテルが建築業の人ばかりなこと。避難所から自宅に戻り、停電が続くなかノートPCの充電池が切れる寸前までメールの返信を続けたこと。
そういえば…… と上岡さんが切り出した。
「こげちゃさんへの返信はぎりぎりでしたよ。充電池の残り3%!」
わっはっは、と打ち合わせコーナーに響く声で笑う。そんな会話が嬉しすぎて、思わずツッコミを入れたくなった。
「上岡さん、ぼくのプライオリティが低すぎません? 3%って。せめて二桁のときに書いて欲しかったなぁ」
「だって、こげちゃさん一緒にキャバクラ行ってくれなかったじゃ~ん」
「だ・か・ら、上岡さん、声デカイんだって!」
さっきより大きな声で笑い合った。
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