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昔の自分を整える

────エッセイ

4月が始まりましたね。桜も咲いて、新年度が始まって。今日、入学式と思われる真新しい制服を着た学生たちを電車で見かけました。あぁ、春だなぁと思いました。

進学、入学、入社式。環境が大きく変わる人にとっては、新しい日々の始まりですよね。ぼくにとってこの4月は、日常を取り戻す時間になりそうです。仕事的には大きく環境が変わるわけでもない。ただ、1-3月が慌ただしく過ぎていき、自分が自分じゃないみたいな時間が多かったので、マイペースを取り戻す期間にしたいと思っています。

なにをしようかな…… と考える時間が生まれてきたのが大きな変化ですね。先月は自分の時間がないような感覚でしたから。あぁ、結局午前中はなにもできなかったぁ、と悔やめるのが心地いいくらいです。

昨日の夜、お風呂あがりに何をしようかと考えて、ふと昔の文章を読み始めたんです。2、3年前の自分の文章を。

ちょうど感染症がピークの頃だったのだと思います。自由に外に出られなくてね。ランニングするときもマスクをしてないと睨まれるくらいでした。いま考えれば異常なことなのだけど、当時の心情を踏まえると仕方ないことなのかな、と。

読みながら、当時のことを思い出してね。「あぁ、こんなことを考えてたのか」、とか。「そうそう、このときは大変だったよね……」とか。ぶわぁっと記憶が蘇ってくるんです。これが写真のアルバムなら懐かしいなぁ、と見返すだけで済むのだけど。文章だとそうもいかない。

なんでここに読点置いてるの!?
ここは主語を後ろにしないと……!

昔の自分の文章のアラが見えてくるわけです。ただ、いまの方が文章がうまいかというと、そんなことはなくて。その時々で、自分が心地いい表現が変わってるだけなんですよね。だからきっと、今日書いてるこの文章も数年後の自分が読んだら、ひゃーー!って穴に入りたくなる表現があるかもしれない。

だから、昔の自分の文章を見返しても基本的に直しません。その時の自分らしさを消すのは勿体ないですから。

でも、それでもなお。どーーしても恥ずかしくて堪らない表現ってあるわけです。なんでこんな表現を公衆の面前にさらけ出してたんだろ?と100回自問自答したくなる表現を見つけちゃうときがあるんですよね。

そんなとき、誰も読み返さないであろう数年前の文章をそっと直します。わぁ、恥ずかしいなぁ……。でも愛おしいなぁ、と自己陶酔しながら推敲する時間ってたまらなく楽しいですよね。

あれ? 自分だけかな……?

今日の文章も、いつの日かの推敲対象になるかもしれないけど、久しぶりに楽しく文章が書けたので満足です。


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