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リレーに映る親心

────エッセイ

地下鉄に乗って仕事に向かっているとき、ラジオから懐かしい曲が流れてきた。No.1にならなくてもいい、もともと特別なonly one ──。「世界に一つだけの花」、オリジナルではなくて槇原敬之が歌うセルカバーバージョン。数えきれないほど聞いたことがある名曲だけど、あらためていい歌詞だなと思う。きれいごとをいうな、という批判もあるみたいだが、それならば愛を語る歌のほとんどはきれいごとではなかろうか。

閑話休題、今日書きたかったのは文化論ではなくてもっと身近な小さい話し。子に対する親の願望は果てしないなぁという話し。

保護者会などで親同士が会話すると出てくる決め台詞がある。「まぁ、健康でいてくれるのが一番ですよね……」、何回も聞いたし何度も言ったことがある。でも、その言葉はウソである。真っ赤なウソではないし、90%以上はそう思ってるのだけど、頭の片隅にある雑念はぬぐえない。「もっと勉強しなさいよ」とか、「もっと前から練習しておけばよかったのに」という願望を消すことができない。同じクラスのお母さんが、「テストで3つも赤点取ってさ、全部足しても100点いかないんだよ? すごくない??」と笑顔で吹き飛ばす姿を見ると羨ましくなる。なんというか、人間としての器が大きいなぁと、親として負けているような錯覚を抱いてしまう。

「世界に一つだけの花」に話しを戻せば、親が子に望むのはNo.1かもしれない、と思ってしまう。だってもともと特別なonly oneなんだもの。その子にNo.1になって欲しいと思うのは普通のこと。しかも、日本一みたいな大きな願望じゃなくて。クラスで一番、学年でトップ!みたいな手の届く目標ならなおさら。

ここ2週間ほど、春の運動会に向けて子どもが早朝登校していた。リレーの選抜メンバーに選ばれたとのこと。日に日に黒くなっていく肌が頼もしかった。予行練習では2位だったらしい。多分、あのクラスとの一騎打ちになると子どもは息巻いていた。

本番当日、選抜リレーは最後の競技。応援席のボルテージは最高潮。大歓声の中、選手たちが入場してくる。うちの子はタスキをかけて列の最後に座った。ピストルの轟音で第一走者がスタートする。レースが始まると、子どもの言う通り2クラスのデッドヒートの様相になった。子どもがアンカーのバトンを受け取ったとき、先頭との差は5Mほどだった。時間にしたら1秒にも満たない僅差。第2コーナーを曲がってバックストレートに入ると差がジリジリと詰まってくる。ビデオカメラを持つ手が震えて画面が揺れる。第3コーナーでの差は1Mくらい。もつれあうように2人はコーナーを曲がり最後のストレート勝負。並びかけた瞬間、相手の子がゴールした。結果は予行練習と同じ2位に終わった。

ビデオカメラに映る子どもの横顔が、見たことないくらい残念そうで、こっちまで悔しくなった。最後のストレートがあと5M長ければ、バトンパスがもう少しうまくいったならばと悔しい思いが止まらなかった。

閉会式、校長先生の挨拶があった。

暑い中の競技でしたが、ひとりも体調を崩すことなく運動会をできたことが一番嬉しいです。

そうなんだよ、健康第一なんだよね。それ以上に望むことがないのはわかってるのだけど。選抜メンバーのアンカーに選ばれただけでも凄いことなんだよ、という妻の言葉も頭ではわかっている。でも、1位になって欲しかった。悔しい顔じゃなくて喜ぶ顔が見たかったな。今夜のビールはいつもよりほろ苦い。




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