見出し画像

心を映す鏡みたいに

────エッセイ

我が家で一番の早起きは下の子。休日でも6時には起きて、リビングでテレビを見たりゲームをしたり、一人時間を満喫している。ちくわ(犬)を起こすのは下の子の役目。ケージから出してもらったあと、お気に入りのソファのアームレストの上でペタンとしてる。

ぼくが起きるのは2番か3番目。妻が先のこともあれば、ぼくのときもある。階段を下りてリビングの扉を開け、おはようと声をかける。下の子は画面から目を離さずにおはようと返す。ちくわはチラっとこちらを見る。ぼくはしゃがみこんで目線を合わせ、頭をなでながらもう一度おはようと言う。このとき、ちくわの表情で自分の心が見えてしまう。

仕事のことや家のこと、ぼくがモヤモヤした気持ちでいると、ちくわの顔も浮かない。いくら声色を柔らかくしても、笑顔をつくってもダメ。ちくわにはバレてしまう。

逆にぼくの心が穏やかなときは、何もいわずともちくわの顔も優しい。ぼくのちょっとした表情を見てるのか、撫でる手の力加減なのか、はたまた “機嫌の匂い” がするのか。どうやって感じているかは分からないけど、ちくわにはぼくの気持ちが筒抜けのようだ。地震を予知したり、動物には不思議な力があるというが、ひとの気持ちに気づくのもそんな力のひとつなんだろうか。

そんなちくわだが、こちらの状況にはおかまいなしで身勝手なときもある。在宅勤務、オンラインミーティングが始まると、ちくわは決まってぼくの膝に乗りたがる。誰かとおしゃべりしてるから暇だろうとでも思ってるのかも。最初はお行儀よく、ぼくの右隣りにお座りの姿勢で上目遣いにじっとこちらを見る。気づかぬふりをしてると座ってるぼくの前にまわりこみ、股の間からぴょこんと顔を出し、「さぁさぁ、抱っこしてくださいな」と言わんばかりの表情をする。それでも無視し続けると、後ろ脚で立ち上がり前脚を回転させてぼくの太ももをこれでもかと掻きまくる。猫ほどではないが、犬も爪をたてるとまぁまぁ痛い。右ももの次は左ももへの連続攻撃。根負けして、PCカメラの角度を上げ、ちくわが画面に映らないようにしてから膝に乗せる。

よしよし、それでいいのよ

そんなアフレコが聞こえそうな表情でぼくを見る。ご満悦なちくわを見てると、ぼくの気持ちも和む。あぁ、そうか。きっとこんな気持ちなんだな。ちくわがぼくの心を読めるように、ぼくもちくわの気持ちが分かる瞬間があるんだ。まるで合わせ鏡みたいに。

不思議と、ちくわが膝の上にいる会議はスムーズに進むことが多い。ぼくの気持ちに余裕が生まれるからか、もしくは画面の向こうにも癒し電波が届いているのかもしれない。親バカみたいなひとりごとだけど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?