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インターネットやめさせられた

先日「インターネットへ、た、くそー!」という記事を書いた。

「インターネットはしょーもねえ」というテイストの記事で、結局何がいいたいのか全くわからないやつだったが、何はともあれ「インターネット、や、め、ろー!」を連発するだけの駄文の山。内容は気にしなくてよろしい。
深夜に駄文を量産してスッキリすることが好きで、それをそのまま書いた文章。だから別にインターネットを今すぐやめろとか、ネット依存はしんどいとか、フィルターバブルとかなんとかかんとかとか、いわゆる「お気持ち表明」をするつもりはあまりなかった。言葉を選ばなければ自慰行為みたいな記事である。

でも、「多少SNSとの付き合い方は考えてもいいな」と書いている最中は思っていた。それでも正直これからもインターネットをやめるつもりはないし、超てんちゃんが歌うように「インターネット、さ、い、こー!」があの記事の裏テーマでもあるので、結局色々書いたはいいけれど、のんべんだらりとお気持ち表明のヘドロの海をこれからも泳ぎ続けるんだろうな、と前向きに諦めていた。

そんなことを思っていたらツイッターが壊れた。

API制限でタイムラインが更新されなくなった。
イーロンが「こんなスマホを投げ捨てて家族と話せ」的なことを投稿したらしいが、マジで「こんなSNSを抜け出して、二人で海を見に行こう」ということを言われるとは思っていなかった。言ったのはインターネットエンジェルじゃなくてインターネット大富豪という決定的な違いはあるが、それはそうとしてインターネットをやめさせられた。私だけでなく世界中の誰もが。

ここでいうインターネットは『インターネット』であり、別にネット回線が消えたとか、ギガが消えたとか、そういう意味ではない。いわゆる『インターネット』である。平成のヌクモリティ的なそういうやつだ。令和のこの時代に該当するのはまあぶっちぎりでツイッターだ。
だから、私も罵倒しながらもこのインターネットを「さ、い、こー!」と思っているところはあったので、突然にそこが爆発すると、まあまあ困惑するというか、どうすんのこれ?となったのが正直な感想。最初は何かのエラーだと思っていたけれど、全容がわかった時は「え、どうすんのこれ?」だった。

どうやら多くのユーザーがそのような感じで、移住先をどうしようとかレターパックは詐欺だとか、やれmetaのSNSがやってくるとかてんやわんやである。割とAPI制限は落ち着いたような気がするようなしないようなだが、未だにその影響と、突然依存していたものを奪われた恐怖感から、どうもツイッターに安心してどっぷり浸れなくなったという気持ちが残っている。

恐らく1〜2週間くらいで戻る気がする。
そもそもツイッター社の収入源の多くが広告だとすれば、今回のAPI制限はその閲覧機会を圧倒的に減らすものだから、結果的にえげつない減収になるので、まあ戻るでしょう。でも、あのインターネット大富豪が何をしでかすかわからないので「正直このままなのでは」という不安も拭えていないし、また今後も何か起こる危険性は非常に高い。メンヘラが何しでかすかわからないようなそれに似ている。イーロンはインターネットエンジェルかもしれない。

私は取り急ぎ「リアルを除く接点はツイッター」な友人とLINEを交換した。そしてSNSを閉じて自分のホームページの運営に注力したり、デッキをいじったりゲームをしたりして過ごしてみた。割とそれが快適だった。
強制的にSNS断ちをしたことで、自分が『インターネット』と思っていたものは別にそうではないのかも、という疑問が湧いてきた。今回のドタバタは、インターネットとの接し方を見つめ直す、よい機会になった。

今日の日中はAPI消費の意識もあったし、自分のコンテンツが大炎上しないかという不安が大きかったので、仕事時間帯はなるべく意識してSNSから離れていた。勤務中も仕事柄私有スマホが使える(とされている)ので、離れるには意志の力と業務的な不便さもあったけれど、ちょっとデジタルデトックスをしてみると、結構快適だった。
素直に仕事に向き合えるし、ちょっと手が空いた時にツイッターではなく、例えば組みたいデッキのことを考えたり、気になっていたニュースを読んだりと、気持ち、ほんの気持ち有意義に使えているようないないような、という感覚があった。つか真面目に働けに尽きる。

ただ、「自分の中に湧き出たものを排泄的に書く」場所が無くなることへの影響のほうが大きいので、そこは何らかの代替手段を見つけなければいけない気がしている。
noteにもつぶやき欄があるし、友人や家族にLINEを送るでもいいし、メモ帳にどばどば書き出すでもいいが、そういう「排泄的な執筆」は、やはりツイッターが一番適切だなあと痛感している。「見られたくないけれど構ってほしい」という矛盾した承認欲求を孕んだ言葉の吐き出し先は、やはり青い鳥の形をした『インターネット』が適切なんだなあと、今日1日を悶々としながら過ごしていた。
取り急ぎ会社の自分のPCのtxtファイルに「らくがきちょう」を作って、気持ちの整理をするような文字を書いているし、だから珍しくここにどばどばと書いている。

自分のコンテンツが読まれることはもちろん大事だし、それを前提として書くものもたくさんある。
でも、それ以上に「なんか書きたい」という欲求のはけ口は見つけておかないと、いつかまたこじらせて黒歴史量産マシーンになる気がする。すでになっているけれどもっと酷いことになる、間違いない。

とりあえず移転先とか引越し先のことは考えずに、SNS依存から脱却していければなあという気持ち。
ツイッターがなかった頃に戻るとなると、恐らく高校生の頃になるわけですね。毎日1500字だ2000字だぶちまけ続けていたあの頃。それはとても好きな時間だったので、まあそれもいいかな。

おしまい。

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