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キャンペーンに賛同しつつ、思い出したこと


友人や家族を自死でなくした経験のある方は読まないでください。
フラッシュバックの可能性があります。

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18のとき、人と会えなくなる経験をした。

19,20と続くにつれて、入院した経験のある友人が増えた。

「自死」という形を持って人が伝えたいことはさまざまだということを知った。

被害を明るみに出されたことで、表に出ることができず、その選択をした子。

逆に明るみに出したいがために、その選択をした子。

〈未遂〉だったら、理由を聞くことができる。

でも、〈完遂〉してしまったら、直接聞くことはもう、できない。

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https://twitter.com/riekoga0328/status/1243770204787597313?s=19

このキャンペーンに賛同したとき、色んな友人の顔が浮かんだ。

被害の告発や、誰かの何かを背負っていること、この人も何度も言おうとしたし、もしかしたら既に何度も言ったかもしれない。

その声を本当に届けたかった人に届けられなかった、、死を持ってでも伝えたかったことはなんだろう?

彼の周りの人がそれを知りたい場合、探る権利があると私は思う。

(あの時あぁしていたら?)
(この人をそこに行かせなかったら?)

思っても後悔しても仕方ないことを、残された人たちは、夜も眠れず思うことを、私も痛いほど知ってるから、できることは少ないけど、賛同した。

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「声を上げることは無駄じゃない。」

18の頃より、30になる今は、それを自分の口で、自信を持って言える。

そういう経験をたくさん詰めたおかげでしかない。

周りや社会に諦めるとき、生きるか死ぬかの選択しかないと私は思う。

そのとき、少しでもそこからその人を引き離せるような存在になる。

小さな声であっても、「言ってよかった」と思ってもらえる経験を増やす。

私が「世の中そんなに悪いもんでもないで。」と引き離してもらったように。

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