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法制審議会家族法制部会第31回会議議事録読読む3~棚村委員・菅原委員・池田委員

昨日の法制審で!

報道もあり

慎重にも歓迎したい

一昨日のことから大展開

しかし、裁判所は恐ろしいよ

今週は議事録読んでます!!専門過ぎるのでマガジン追加は控えて過去記事からセレクトしていたのだけど、この話題は、ぜひ一般周知にもいいかな、と思って、今日は追加させていただきまーす

共同親権民法改正、ぜひご注目ください~

では、議事録読み、続きから

○棚村委員

 

早稲田大学の棚村です。原田委員からも大石委員から今、監護者の定めを必須にするか、それを決めておくべきかどうかということで御意見がありました。前にも少しお話をしたのですけれども、親権者に誰がなるのか、監護者に一体誰がなれるのか、そして、その法的地位というのですか、中身はどんな権限や責任を負うのかということについて、これまで一応の整理もしてきたのですけれども、どうも十分はっきりしていないところもあると思います。もちろんある程度内容を絞っていくことで、前にも言いましたけれども、パッケージとしてそういう親権を持つ者、あるいは監護権を有する者という人たちが何を主としてやるのかということについての大枠というのですか、それを決めておいて議論を進めるということは非常に重要だと思っています。
 この問題については、決定の場面では誰が責任を負っていくとか、あるいは一緒になって関与して話し合っていくとかというようなことで、私たちは基本的にはこどもの利益というかこどもの幸せになるために、どういうようなルールなり基準を設けるのがいいのだろうかということで考える必要があると思います。親権者とか監護者という言葉も大分古い明治以来の言葉ですから、それもやめている国もあるのですけれども、取りあえずはそこをまたシャッフルすると、落合委員からもあったのですけれども、議論やいろいろな意見交換が難しくなるというので、一応定義的なものを定めた上で、従来の親権・監護という言葉を使いながらやっているということです。
 私自身は結論としては、親権者が例えば共同で親権を持つという選択ができるときに、監護者をどうしても定めておかなければならないかというと、物事が早く決まった方がいいだろうと、責任の所在がはっきりしていた方がいいという御意見はよく分かるのです。だけれども、他方で十分な話合いと適切な相談をすることで共同で関わって、この問題については双方で話し合って決める、こういう問題については迅速な決定がどうしても必要だから、あるいは日常的なことで常に出てくることだから、いちいち話合いをするのは適当ではないというので、かなり個別的に決めていくという組合せの在り方というのも、両極でいうとあり得ると思うのです。その中で一番適切なのはどういうものかという時に、選択肢が全くなくなってしまって、親権者を共同にした場合には監護者を必ず決めなければいけないということになると、ある意味では、その監護者というのはどこまでどういう責任を負っていくのかという問題がまた出てくると思うのです。
 ですから、その辺りのところはかなり慎重に進める必要があると考えています。先ほどから大石委員からも出ましたように、また原田委員も述べられましたけれども、教育の問題とか進学とか、例えば医療とか、あるいは社会保障で手当が出る場合にどちらが受け取るかということについても、本来、海外なんかを見ていると、監護者を定めたからその人が一律にもらえるとか、そういうシンプルなものではなくて、医療とか教育とか、そういうところの具体的な状況の中で、誰がそれを決めていくことが一番こどもにとっても当事者にとってもいいのだろうかということで、ルールを決めてくわけです。それが教育の問題、医療の問題、社会保障の問題、それぞれの趣旨とか目的とかいろいろな、争いになったり意見対立が出てくる状況も少し異なってくる問題があると思うのです。それを、逆に言うと、監護者と定めた人に全部を集中させるという発想自体は、こども家庭庁とかいろいろなところにお聞きしたいわけですけれども、それぞれの重要な問題について誰が責任を負って、誰が主としてやるのかということについて議論した上で、その取扱いを決めていくということが非常に重要だと思うのです。民法で、監護者を一律に定めて、教育、医療、社会保障の現場で、本当にふさわしい人を決められるかは疑問です。
 もちろん本人たちが話合いができればいいのですけれども、話合いができないときには、事務局の御提案の中に、共同親権のところにあるように、親権を行うことができない、こどもの利益のために急迫の事情があるとか、それから、これまでも出てきていますけれども、日常的な行為について、あるいは緊急のもの、それから重要性の高いことについて、どういうふうに個別的に決められるかのルール作り、いろいろな問題が出てきたときに一番迅速でこどものためになるようなルールを作っていくことが重要であると思います。前にも言いましたけれども、インパスオーソリティー(Impasse Authority)というのは、正に意見の対立があって行き詰まっているときに誰がきちんと決めていくのだという決定権を事前にきちんと合意をしていくというか、決めておくということで、紛争の予防とか、紛争が起こったときの、意見対立が起こったときの解決策というのは出てくると思うのです。
 ですから、私自身は結論的に言いますと、監護者の定めを置いて、主としてこういう問題についてはこの人が決められるのだということをパッケージとして置いていくということ自体は非常にいいことだと思うのです。それを合意、要するに協議をした場合に、協議で決める、協議ができないときには家庭裁判所が、調停でもいいですし、それから審判みたいな形でこどもの利益の観点から最終的には判断するというのは、民法の基本的な建て付けはそうなっているので、共同親権や共同監護だけ、監護者を一律に定めなければならないとは思えません。話合いでまずやるそれが難しければ第三者が入って裁判所での調停等で解決をする、それでも駄目だったら審判ということで、裁判所が最終的にはこどもの利益の観点から総合的に判断をして、自分たちで解決できない問題をこどものために解決をしてあげる。そういう民法の基本的な構造の中で考えると、ここだけが監護者の定めをしなければ駄目だというのであれば論理的にも筋が通らないように思います。協議離婚のときにも監護者の定めをしなければ離婚できないという提案のときは、協議離婚のハードルが上がりすぎるのでやめようというお話がありました。養育費だとか、監護者もそうですし、親権者とかもそうですけれども、なぜここだけ一律にしないと問題の解決ができなくて、こどもにとってはマイナスになるということなのか理解が困難です。私はどちらかというと、家族の関係もいろいろなケースがありますから、多様なケースに対していろいろなルールや手立てを用意するということが大事だというので、選択肢を一切認めないという御意見には賛同しかねます
 それから、第2にハーグの返還拒否事由のお話をしましたけれども、先ほど共同親権にするかしないかというようなところで、その判断基準としてハーグを持ち出すのは場違いであるという御意見もございました。ハーグ条約も実は、返還が原則だとかいうのですけれども、返還の事由というのがあるわけです。例えば、こどもが16歳未満である、国境を越えたこどもの移動がある、それから監護権の侵害があるとなっています。常居所地に、こどもが元々住んでいたところに返すということで、一応返還のプラスの事由というのはあるのです。しかしながら、実際には返還拒否事由というのが定められているのは、プラスのものは、できるだけ客観的で余り争いがないものについて定めておくことができますが、積極的な要件の主張・立証よりも、消極的な要件、これは問題があるという事柄の方が主張・立証がしやすく分かりやすいということがあるので、日本でも海外でも、子の利益になるという積極的要件の定めより、子の利益に明らかに反するという消極的要件の方が定めやすいのだと思います。若干争いはありますけれども、そのときに私が言っていたのは、要するに立証の責任を誰が負っているのかという話と、立証の程度の問題がかなり重要だと思います。そして、証明の程度。そのときに、マイナスの方がどちらかというと割合と立証責任とか証明の負担との関係で、やりやすいから、日本でも海外でも消極的要件を重視してきたのだと思います。ですから、この問題は、実は共同親権と単独親権のどちらが原則になっていくのかという議論と非常に裏腹の問題だと思うのです。
 共同親権についても、私たちは、それができるケースとか望ましいケースというのはあると考えています。事実認識の違いかもしれませんが、どのくらいあるとか、それがどういうような数になるかという話でいうと、それぞれに争いがあると思うのですけれども、やはり理想的なのは、婚姻中も、ある意味ではできるのであれば父母は共同でこどもに対して責任を負っていくということが望ましいと思います。離婚をした後であっても、離婚によって夫婦は他人になるけれども、親子というのは、こどもにとっては親としては変わらないのですから、共同でやれるなら共同でこどもに責任を負う。しかしながら、婚姻中とは違って、かなりいろいろな葛藤があったり対立があったり、いろいろなことが予想されるにしても、そのときに理想としては、父母が本当に話し合って協力して、こどものための責任を共に果たせたら一番いいのだろうという理想の話は、考えておくべきだと思うのです。
 そうでないと、共同親権が原則なのか、それから単独親権が原則なのかという、中間試案でも出された中で、いろいろな御意見があったわけです。最終的には、共同親権みたいなものは、私たちは理想的ではあるけれども、なかなかそれが難しい場合には、正に単独親権、つまり共同親権がふさわしい場合というのはどういう場合だという原則を挙げつつ、要するに共同親権では難しい、単独でなければ無理だろうというものを挙げておくことによって、それが返還事由と返還拒否事由というので、ハーグの審議会も参加させてもらいましたが、私自身は例えとして言ったわけです。要するに、どちらがこどもにとっては望ましいかというときに、その評価みたいなものを入れると、もちろん単独親権がいいのだ、それから共同親権がいいのだということが入ってくると思いますけれども、理想的な形はどういうものがいいのだろうかという議論をしていくときに、こどもにとって両親が協力をして責任を負ってくということは非常に重要なのだということでは争いはないと思うのです。そういう点では。ただ、現実にはそれは無理だろうとか、難しいケースがあるだろうということで、我々としてはルールとしてどういうような置き方をしていくかというので、どちらかというと、そのプラスの要素を立証しろとか、それを証明しろとかというときに、結構難しいのです。そのため、材料を集めてそれを言うことについて、かなり問題があるとか、これは無理だろうというものを一般的に、全部を列挙して挙げるというのはなかなか難しいので、そういうことになると思います。
 ですから、私たちは、もう1回確認しておきたいのは、こどもの利益の観点から、父母双方が関わるという、あるいは責任を負ってくということは、総論の規定の中にも一旦置こうというふうな議論もあったわけです。だけれども、なかなかそれは置き方の問題でいろいろあるので、ただ、共同親権については選択ができるという考え方と、それから、共同親権みたいなものを理想として原則として示しておこうと、むしろ法律というのは原則があって、やはり例外があるというような形で、その例外が広がってしまう場合もあり得なくはないと思うのですけれども、その辺りの議論は、もう1回確認をしていく必要があるのではないかと思っているところです。
 いずれにしても、3番目ですけれども、親権者の離婚だけは成立というか合意はできたのだけれども、親権者とかこどもの問題をめぐって争っているという場合に、離婚ができないということになると、正に社会保障なんかでいうと、手当みたいなのが出なかったり、いろいろなことで紛糾する場合もあると思いますし、それから、私なんかが扱ったところで、やはり離婚自体については争いがほとんどないのだけれども、ほかの問題をめぐっていろいろ争っているというときに、一括解決というのも大事かもしれませんけれども、特にお子さんの問題はかなり重要ですし、早く別れたいということで落ち着きたいというような場合は、やはり親権者を早く決めるという制度自体も、これもいろいろ議論があるところだと思いますけれども、あってもいいのかなということを考えています。
 三つ、少し言わせていただいたのですけれども、共同親権なんかを選択した場合でも監護者の定めを必ず置かなければいけないという考え方については、もちろん置いてもいいと思いますし、それを選べるというような形にして、もしそれがなくてもいいというケースについては、それはそれでよろしいのではないかと思います。従来どおり、紛争になれば家裁の関与とか、いろいろな形でほかの人に、ほかの機関というか、公正で中立で判断をしてくれる機関にお願いせざるを得ないということもあってもいいのではないかと考えます。
 それから、2番目のところではやはり、プラスの要因を入れるなという意味ではなくて、原則がどこにあるのかということをしっかりと議論した上で、例外的に共同親権がふさわしくないとか、単独親権でやるべきなのだというところを挙げていくという意味では、マイナスの事情の挙げ方は、海外もそうですけれども、正にこれはふさわしくない、DVとか虐待なんかは正にそうですけれども、そういうような一般的な事情を挙げていくことが通常なのではないかということで、ハーグとは場面が違うとおっしゃったのですけれども、ハーグに対比させるというよりは、どちらかというとプラスの要因とマイナスの要因の立証の責任とか立証の程度の問題を考えると、マイナスの方が、つまり、養子縁組でもそうですけれども、この子と養子縁組を養親がすることによって幸せになれるという、そこを証明しろという話と、いや、何か大きな問題があっていろいろなことが起こり得るという事情の方が、どちらかというとチェックがしやすいということを挙げただけであります。
 最終的にはその三つについて、御意見を申し上げました。
○窪田部会長代理 ありがとうございました。3点について、御意見を伺いました。既に棚村委員御自身が整理をしてくださいましたけれども、第1点目は、監護者の定めが必要的なものかということについては、共同親権だとした上で監護者を定めるということで合意がある場合、それが非常に望ましい場合ということがあるのも当然だろう。ただ、共同親権の共同の関わり方というのも非常に様々な形態があって、個別事情によって変わってくるのではないか。その意味では選択肢を残すということが必要ではないかということであったかと思います。また、これに関連して、監護者を決めれば、それによって教育、医療等の問題というのが自動的に解決されるわけではないのではないかという御認識も示していただいたかと思います。2点目は、ハーグ条約との関係は、それ自体を抽象的に議論するというのは多分今ここの役割ではないのだろうと思うのですが、ただ、ハーグ条約の方も返還事由という形で積極的要件を定めており、それに対する返還拒否事由という形で消極的事由が定められている。共同親権をめぐる問題においても基本的には同様のことが考えられるのではないかということを踏まえつつ、父母双方が責任を負うということの重要性というのを踏まえて考えると、また、それを踏まえた上でプラスの要素の立証というのが必ずしも簡単ではないということを考えると、マイナスの要素、不都合なものを挙げていくという定め方の方が適当ではないか、ということであったかと思います。3番目については、私は十分理解できたかどうか分からないのですが、親権者を決めないまま早く離婚するというニーズはあるだろう、親権者をその上で素早く決めていくということも必要性としてあるのではないかという御意見だったかと思うのですが、よろしいでしょうか。ありがとうございました。



とはいえ、原則共同親権の理想を語ってる~

○菅原委員

 ありがとうございます。委員の菅原です。今の棚村委員の御発言に基本的に賛成なのですけれども、これまでにこの部会でも既にたくさん議論してきたことなのですが、乳児期から青年期までのどの年齢のこどもであっても、両親が虐待せずに適切に養育を行ってきた場合には、こどもからすれば、その親はやはりこどもにとっての愛着対象となっています。そういうケースが非常に多くあるということは既に事実だと思うので、別居、離婚の前後でもその親と会えること、ペアレンティングに関わってもらえるということは、こどもの健やかな発達にとっても必要であることは一致した見解かと思います。ですので、私もできるだけ離婚、別居後であっても両親がペアレンティングに関わる余地というのを狭めすぎずにできるだけ広く余地を残しておくべきと考えております。
 したがって、全体的なこともたくさん話し合ってきたわけですけれども、その方向での議論をやはり進めていくべきではないかと思います。
○窪田部会長代理 ありがとうございました。菅原委員からは、今の棚村委員の意見に賛成するということで、DVや虐待がなければ、基本的には両親に愛着を持っているということが通常の場面であって、そして、別居後、離婚後においてもこどもの養育に関わるという余地をできるだけ広く残しておくべきだという御意見だったかと思います。

原則共同親権

○池田委員

 池田でございます。監護者指定を一律に要求するかどうかという点について、意見を申し上げたいと思います。
 今の御意見を伺いながら少し考えたことで、うまく整理して話せるかどうか自信がないところですけれども、私自身は日弁連の意見書で書いておりますとおり、監護者指定を一律に要求すべきだ、必須にすべきだと考えていますが、それは監護者指定という制度しかないからというところもございます。監護者指定を必須とするというのは、離婚した夫婦は夫婦としての信頼関係はもう失われているという前提で、にもかかわらずこどもとの関係では対等なパートナーシップを築いていけるというふうに、そこを理性的に区別できるというのはなかなか難しかろうという現実認識の下に、離婚後のこどもの養育については、共同親権であったとしても、一方がメイン、他方がサブというふうに、一応その責任の所在をはっきりしておいた方がいいのではないかというところが主たる眼目でございます。
 その観点からしたときに、では一方を必ず監護者指定しなければいけないのかというと、その方法だけでもないような気もしているところです。例えば、何を懸念するかというと、同居して日常監護しているのは一方で、一方がずっとそうしているのに、他方がその日常の監護に対してもいろいろと口出しをする、あるいは決定に関与したいというふうに入ってくるということの一つのデメリットを懸念するわけですので、同居親の日常監護を優先させるというか、監護者指定すれば監護者の監護が他方の権限よりも優先するということを3(3)のところで書かれていますけれども、それと同様のことを、監護者指定がなくても、同居する親に日常の監護について一定の優先的な権限を与えるという方向性の議論もあり得るのではないかと考えています。
 具体的に言いますと、第2の1(2)のところで、親権を行う父母は監護教育に関する日常の行為を単独で行うと書いてありますけれども、ここの主語を、例えば同居する親はとするとか、あるいは、一方が子と同居する場合にはその親は、というふうな形で、同居親に一定の特殊の地位を認めるという方向性でも最低限、あり得るのかなと考えております。
○窪田部会長代理 ありがとうございました。池田委員からは、監護者指定を必要的なものとするということについて、基本的にはそちらの方向性に賛成であるということをお示しいただきました。その場合、離婚した夫婦の状況というのを考えて、メイン、サブという形で決めていくことの重要性ということも御指摘いただきつつ、ただ、それでは監護者を必ず指定しなければいけないという仕組みしかないのかというと、池田委員からは別のアプローチとして、同居親の日常監護を優先させるという仕組み、これについては先ほどの親権を行う父母は、という第2の1(2)の部分の修正等によって対応する可能性があるのではないかという一定の方向をお示しいただいたものと思います。

監護者指定必須論からの転生が・・・言葉を失う

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