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法制審議会家族法制部会第21回会議議事録8~原田委員・青竹幹事・井上委員・今津幹事・佐野幹事・武田委員<T.S.参考人>・<M.K.参考人ヒアリング>

本日頑張る


議事録も読んどく


それでは、ただいまのT.S.参考人からのお話につきまして御質問があれば、お願いを致します。なお、御質問がある場合には、これまでと同様、まずお名前をおっしゃった上で御発言をお願いしたいと思います。20分程度を予定しておりますけれども、前の方と同じように、まず1問だけ質問していただきまして、時間に余裕があるようであれば2問目を出していただくということにしたいと思います。
 それでは、どなたからでも結構ですので、お願いを致します。

T.S.さんへの質問

○原田委員 

今日はどうもありがとうございました。先ほど、親によるこどもの一方的な連れ去りはなくしてほしいというお話でしたけれども、一番の主眼は、こどもの意思を尊重してほしいということをおっしゃっていたのかなと思うのですけれども、いろいろなケースがあって、お母さんなりお父さんなりが、出ていくけれども付いてくるかと聞かれて、付いていくお子さんもいるし、嫌だという人もいるし、きちんと状況をこどもさんに説明して、こどもさんの意思を尊重してほしいというのが一番の主眼なのかなと思ったのですけれども、それでいいですか。

連れ去りもなくそうよ

○T.S.参考人

 そうですね、こどもの意見を尊重してほしいという点ではそのとおりなのかなと思うのですけれども、こどもの意思が出るところって別に最初の1回だけではないと思うので、会いたいときに父に会える、母に会えるという状況が望ましいのかなとは思っています。
○原田委員
 ありがとうございます。
○大村部会長 ありがとうございました。

子どもはパパにもママにも会いたい

○青竹幹事

 T.S.さん、今日お話しいただいてありがとうございました。大変参考になりました。
 質問なのですけれども、お母様がT.S.さんをお父様に会わせたくなかったということをお話しされていたと思うのですけれども、T.S.さんから御覧になって、何かこういうことが理由なのではないかということはありますか、それとも、理由は分からなかったけれども、お母様は会わせなくなかったというふうに御覧になっているでしょうか。お答えになれる範囲で、お願いいたします。

父に会わせなかった母とは

○T.S.参考人 

 どういう理由があって会わせたくないという話をされたことはないのですけれども、父関係の話になると、すごくやはり機嫌悪くなったりして、お父さんと関わってほしくないのだな、みたいな雰囲気はこどもながらに感じていたので、そういうところから、お母さんは父に自分のことを会わせたくないのではないかなと思うようにはなりました。大丈夫ですか。

雰囲気でも伝わっちゃう

○青竹幹事

 分かりました。ありがとうございます。
○大村部会長 ありがとうございます。
 ほかにはいかがでしょうか。御質問があれば伺いたいと思いますけれども。

質問続々

○井上委員

 委員の井上と申します。今日はありがとうございます。先ほどお話の中で、お母さんから逃げていったときに、裁判所からお母さんのところに戻るようにとか、何も聞いてくれなかったという話がありました。裁判所でT.S.さんにいろいろなお話をされる裁判官、家裁の人たちというのは、例えば大勢いたのか、それともずっと同じ人が関わって、戻るようにお話をされていたのか、御記憶があれば教えていただければと思います。

父に会わせない母から逃げた

○T.S.参考人 

その点なのですけれども、裁判所に行って自分が話を聞いていたとか、そういうわけではなくて、父が戻せと言われたという話を父から聞いただけなので、誰が関わっていたかは分かりません。
○井上委員 ありがとうございます。
○大村部会長 ありがとうございます。

子どもから見た裁判所のイメージ

○今津幹事

 幹事の今津です。今日は非常に貴重なお話、ありがとうございました。11歳でおうちを出られたというお話、すごく驚き、また、そこまで行動力があって、非常にしっかりしたお子さんだったのだなと思って伺っていました。
 11歳で東京のおうちを出られた後のお母様との関わりについて、少しお伺いしたいのですけれども、しばらくは親権がお母さんにある状態で争っていらっしゃったということなのですが、その後、お父様に親権が移った後に、お母様の方から、例えば面会交流であるとか、そういった働き掛けというか、あったのかどうかということと、それから、実際にお会いになったり、交流はあるのかということを教えてください。

子どもに頼ってどうする

○T.S.参考人

 会いたいという話はありました。ただ、少し自分の方も母におびえているというような状況ではあったので、それを受け入れることはできなくて、顔を見るというだけでもすごく怖かったので、自分は会わなかったのですけれども。そうですね、会いませんでした。
○大村部会長 ありがとうございます。
 そのほかに御質問ありますでしょうか。

母子断絶?

○佐野幹事

 幹事の佐野と申します。本日はお話をありがとうございました。先ほどの話の続きで、親権が移った後、お母さんと会わなかったということでしたが、その後、今まで一回もお会いになっていないということでしょうか。
○T.S.参考人 それは、会っています、今は

今は会ってる!

○佐野幹事

 今は会っていらっしゃる。それはどういうきっかけでお会いになったということなのでしょうか。

続けて質問

○T.S.参考人 

きっかけとしては、自分が18歳になった頃かな、だったと思うのですけれども、やはり母がどうして自分のことを連れ去ったのかという原因のところは気になるところはあって、そこで、父の話も聞きつつ、自分の中で、何が本当なのかなというのを知りたくて話を聞くという意味で、少し会いに行ってというのが始まりです。それがきっかけで、18の頃に1回会ったと思います。
○佐野幹事 1問ですね。ありがとうございました。
○大村部会長 ほかにいかがでしょうか。
 それでは、佐野幹事、2問目どうぞ。
○佐野幹事 ありがとうございます。今の話で、お母さんとお会いになられて、結局どのようなお話をされて、それについてどのように思われたのですか。

子どもは親に会いに行く

○T.S.参考人 

そうですね、中身の方は少し伏せさせていただきたいのですけれども、結果としては、どちらが言っていることが本当という結論は自分の中で出てないのですけれども、自分の中では、両親がどういういざこざがあったからといって自分がどちらかと会えなくなるのはおかしいよねという結論に自分の中で落ち着かせていて、その原因のところについては二人で解決してくれればいいかなとは思いました。
○佐野幹事 ありがとうございました。
○大村部会長 ありがとうございました。

父母のいざこざは子どもに関係ない

○武田委員

 親子ネット、武田でございます。頑張って話していただいて、本当にありがとうございました。T.S.さんに辛い思いを経験してきていろいろ伝えたいこともあるだろうと思って今日は改めて聞かせていただきました。これは私の理解ですが、多分、離れて暮らす親と会うとか会わないとか、どちらと暮らすというより、やはり一番T.S.さんが言いたいことは、自分の意見を聴いてくれということかなと改めて感じました。あと、私はあなたの国連子どもの権利委員会での発言も拝見しているので、そのときのメッセージは、僕は親の所有物ではない、そういうメッセージを伝えたかったのだろうなと私自身は理解をしていました。今日は正に日本の法制度をどうするか熱心に考えていただけている皆さんに向けて、改めて伝えたいことを一言で表現いただけるとうれしいです。

え、その子だって特定しちゃったの?いいの?

○T.S.参考人

 そうですね、うまく……所有物ではない、そうですね、こども、僕ら、今は僕らと言わせてもらうのですけれども、当事者という意味で、僕らの主張、権利というのが、もっと自分らの権利というのですか、こども、僕らの権利というのが少しないがしろにされているというか、きちんと認められていなかったのかなということを思うので、こどもが選択できる権利というものをきちんと見直してもらいたいということですかね。所有物という話に絡めると、親がこどものことを決める権利は少しおかしいのかな、自分のことなのだから、こどもだって自分のこと決めたいよねという、そういうことなのかなと思います。すみません、少し長くなってしまって。
○武田委員 ありがとうございます。ごめんなさい、変な質問をして。
○大村部会長 ありがとうございました。
 ほかにはいかがでしょうか。よろしいでしょうか。
 それでは、ここまででT.S.参考人についてのヒアリングと質疑を終えたいと思います。T.S.参考人におかれましては大変お忙しい中を当部会の調査審議に御協力を頂きまして、誠にありがとうございました。それからまた、お答えのしにくい個人的なことについてもお答えを頂きまして、その点についても大変感謝をしております。本当にありがとうございました。
 それでは、ここでT.S.参考人には御退席を頂きまして、次の参考人に入室をしていただきたいと思います。本当にありがとうございました。
○T.S.参考人 ありがとうございました。

あちこちでの行動力がすごい、T.S.さん

○大村部会長 それでは、参考人のヒアリングを続けさせていただきます。
 次は参考人としてM.K.さんにお越しいただいております。M.K.参考人の方からこれからお話を頂きたいと思っております。
 M.K.参考人、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、M.K.さん

○M.K.参考人

 皆さん、こんにちは。M.K.と申します。私が5人目だと伺っております。お疲れだと思うのですけれども、重い話とかいろいろあったと聞いています。最後は皆さんの気持ちが少し軽くなるようなお話ができたらと思っていますので、よろしくお願いします。
 皆さん、離婚をしてこどもをめぐって争っている両親に対して、どういう印象を持っていらっしゃいますでしょうか。葛藤が高すぎて手に負えないとか、そういったところ、確かにそうなのですけれども、実は私もその一人でした。7年前に係争を始めまして、非常に争ったのですけれども、今現在は共同養育というのができている、私はそういう人間です。今日はどういう過程を経て私が回復できたかということを主にお話しできたらなと思っております。
 今、スライドの方に映していただいていますのが私の家族構成です。7年前、こういう状態だったのですけれども、典型的な日本の家族といっていいのではないかと思います。私がIT系のサラリーマンで、フルタイムで働いて、残業当たり前、土日もゴルフに行ったりという夫だったのに対して、妻は専業主婦やパート勤めをしていて、家事、育児は妻が担って、こどもが2人いるという、どこにでもいる家族でした。
 それが、7年前のある日、家に帰ると誰もいない、奥さんがこどもを連れて家を出てしまっていたということが起きました。その頃の私の感情というのは、悲しみ、あと怒りでした。なぜ自分にこんなことが起きてしまったのだろうという気持ちになりました。当時、家にはこどものランドセルとか、寝ていた布団とか、そのまま残っていました。家に帰るとそのにおいが漂ってくるのですね、家でただじっとしているのもつらくて、当時のことは思い出すだけでつらい、そういう記憶になっています。そして、当時、相手に対する怒りが強かったです。100%相手が悪い、裏切りだ、何でこんなことをしてくれたのだと考えていました、その頃はです。そして、当時、裁判所を通して、何とかこどもとは会えるようになりましたが、なかなかこどもとの面会、うまくいきませんでした。
 次のスライドをお願いします。私は当時、裁判を非常にたくさん争っていました。争いながら会ったこどもは、私のことをひどく罵りました。以前は父ちゃんとかダディーとか、僕は呼ばれていたのですけれども、別居してからは呼び捨てです。「M.K.、お前、お母さんにこんなひどいことして、探偵までつけて、とんでもないやつだ、お前なんか親ではない」と、3時間の面会交流で私を罵り倒して帰るという状況が続きました。その頃に娘が書いてきた手紙がこちらです。「学校に絶対来るな、来たら110番する、先生にも言ってある」、こういうことが書かれています。
 次は、7歳の息子が書いた手紙です。やはり「クリスマスプレゼントとお年玉、図書カード要らねえよ、学校に来るな、110番するぞ」、そういうことが書いてあります。出ていく前の週までは、一緒に釣りをしたり、ハイキングに行ったり、仲よくしていたはずのこどもがこんなことになってしまった、これは母親による洗脳ではないか、私が絶対取り戻して自分で育てないとこどもが駄目になってしまう、そういう気持ちで親権争い、たくさんの裁判を私はやったわけです。
 そうした係争を1年間繰り広げた挙げ句、私は大きな決断をしました。今振り返れば人生で最良の選択をしたと振り返ることができるのですけれども、当時5、6件係争していたものを全部取り下げました。これをなぜやめたか、決してこどものために身を引いたとか、葛藤を下げてこどものためにやったという、そんな見上げた気持ちでこの選択をしたのではありません。当時、私は裁判所が全く自分の気持ちを酌んでくれていないではないかと感じていて、何かおかしいと、そして、区役所に行っても警察に行っても、みんな能面のような顔で私を見るのですね。理屈で言えば、法律にのっとれば、裁判をしなければ親権を取れません。しかし、自分は本能に従って、裁判を全てやめたのです。諦めとか、尻尾を巻いて逃げるとか、そういう非常に情けない気持ちで裁判をやめました。
 そこからは私は非常につらい時間を送ります。それまで書面を書くのに掛けていた時間、これはもうなくなりましたし、係争中は仕事も手に付かず、会社からは責任の伴う仕事を任されなくなっていたので、時間が余ってしまって、家に帰ると一人、ランドセルとか学習机に囲まれて過ごす生活、布団に潜って、自分の心臓の音が聞こえるぐらい静かな時間、本当につらかったのですけれども、そのときに私は決めたことがあります。
 次のスライドをお願いします。当時私は、時間が有り余って仕方がないので、何かやりたいとか、友人が誘ってくれたとかあれば、全部そのチャンスをつかもうと考えました。当時始めたのが趣味であるランニングですとか副業、ボランティアといったことになります。
 私はこどもが出ていく前は、実はぽっちゃりした体型だったのですね。こどもがいなくなって、心労であっという間に体重が落ちまして、体重が落ちるというのは走ることにはすごくいいのです。膝の負担がなくなって、見る見る速く走れるようになって、時間もありますから、練習をして、やがて海外の大きなレースとかも完走できるようになっていきます。
 ある方が私を事業に誘ってくれました。ほかの家族の面会交流を支援するというお仕事です。当時、私が支援した3歳の男の子、実のお父さんに対しておじさんと呼びました。その衝撃を私は忘れられないです。それだけではなくて、いろいろな学びを私はこの事業で得ることになりました。
 国連にこどもの声を届けるというすごいことをやっていらっしゃる先生がいて、M.K.さん、少し手伝ってよと言ってこられたので、当時私は何せ時間だけはあるので、やりますということで、そのお手伝いでジュネーブまで行ったりしました。当時の写真がこちらなのですけれども、見ていただいてのとおり、もう私、笑っているのですね。このとき決してこどもとの状況はよくありませんでした。月1回、3時間しか会えていませんし、こどもは私をずっと罵っている。しかしながら、片時でもこどものことを忘れて、夢中になれることができたことで、私は少しずつ回復を始めていきます。これが別居から3年たった頃になります。
 次をお願いします。当時の面会交流の様子です。娘が私にパーを向けているのですけれども、これは何だとお思いでしょうか。これは、あと5万円分、服を買えというパーなのです。私もそれほどお金ありませんから、話をずらして、韓国のアイドルの話とかをして、何とか3時間場を持たせて、2万円ぐらい買ってあげるというようなことをやっていました。娘は、「何だM.K.、お前、本当にけちなおやじだな、もう二度と会わねえぞ」と言って帰っていくのですけれども、それを見たとき私は内心拳を握って、よしと思っていました。なぜなら娘の背中に楽しそうなオーラが漂ってきていたからです。右側は息子との面会の様子です。10歳前後のこどもたちが遊んでいる中で、40過ぎのおっさんが一人、だるまさんが転んだを必死こいてやっていると、こういったことをやっているうちに、こどもはこのおやじには何を言っても大丈夫なのだなと思えたそうです。私のこどもに対する見方も変わってきます。なぜ私を罵るのか、考えてみると、母親のところに住んでいるわけなのですよね。パパと会いたいとか、パパのこと好きなんて気安く言えるはずがないのですよ。だから私のところに来て、けちょんけちょんにけなして、母親のところに帰っていくというミッションをこどもが勝手に作って、私に会いに来てくれているのだなと考えると、もう来てくれるだけ有り難いではないかという気持ちになって、私も全力で面会交流に打ち込めるようになります。
 この月1回、3時間の面会交流を5年間続けました。最初の1年間の係争のダメージはとても大きくて、回復していくのに5年掛かったと私は理解しています。5年たってようやく元妻とLINEとか電話ができるようになりました。そして、それまで監視付き面会交流というのをやっていたのですけれども、その付添いも要らなくなって、子育てに関しては元妻と直接相談できるようになります。
 次をお願いします。関係が回復した後の娘からのLINEです。「父の日のプレゼント、送ったから受け取ってねd(≧▽≦*) 届いたら教えてね~(*^^*)」と書いてあります。先ほどの「110番するぞ」と言っていたのと同一人物の娘がこういうLINEを私に送ってくるようになったわけです。
 次をお願いします。これが今の私の家族です。別居から6年たって、娘が私と暮らすようになり、7年たって息子も私と暮らすようになって、今は3人で暮らしています。元妻からは、来る前にきちんと連絡が来まして、今から行く、あなたも少し子育ての苦労をしたらどうかと言われました。そこから、毎日弁当を作ったり、夕飯を作ったり、掃除も洗濯も私がやるという生活をやっております。
 私は元妻のことは、同居中はとてもおとなしい人だと思っていました。余り自分の意見を持っていない人だなという印象だったのですけれども、今は言いたいことを言う関係になっています。すごく風通しがよくて、何なら同居していたときよりもいい関係になれたのではないかなと常々感じています。そして、振り返って、なぜ妻が出ていったのかということも考えるようになりました。当時、私はサラリーマンで、しっかり稼いで役職を上げて、家にお金を持ち帰ることが自分のミッションだと考えていたのですけれども、今思えば、きっと元妻は、ありがとうとか、一緒に御飯食べて、おいしいねとか、そういう言葉を求めていたのではないかなと今は振り返ることができます。
 ここまでが私の来歴になります。私は決して取り立てて特別な人間ではないと思っています。なぜ自分がここまで回復できたのかということは、質疑の中でもお伝えできればと思っているのですけれども、環境が私をそうさせたと考えています。今日は法律を考える場所だと理解していますので、是非そういう環境を整えることを考えていただけたらうれしいなと思っております。
 私からの報告は、以上です。御清聴ありがとうございます。
○大村部会長 ありがとうございました。

M.K.さんでしたー

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