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法制審議会家族法制部会第24回会議議事録を読む2~柿本委員・水野委員・石綿幹事・大石委員・菅原委員・青竹幹事・池田委員・佐野幹事

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  柿本委員、水野委員に御意見を言っていただいた後に、石綿幹事、大石委員という順番にさせていただきたいと思います。

意見続々

○柿本委員

 柿本でございます。私もおおむね落合委員の意見と重なるかと思いますが、父母が成年に達しない子を養育する責務を負うこと自体に異論はございません。私も従前より申し上げているように、親のみが子を養育する責任を負うというのではなく、社会全体でこどもを育てるということが必要ではないかと考えております。この件に関しましては、北村幹事より更に検討を進めると回答をいただきましたが、私からも申し上げさせていただきました。以上でございます。
○大村部会長 ありがとうございます。その前に少し戻りますと、赤石委員からは、責務を権利・義務というのに変えるというのが直ちによいというわけではない、もう少し議論をしたいという御意見を頂いたかと思います。
 そして、柿本委員からは落合委員の、社会的支援ということについて何らかの形で触れることに賛成だという御意見を頂戴しました。

社会の責任としての共同養育・・・なんだけど

○水野委員

 水野でございます。落合委員の御意見についてですけれども、社会学的に見たときに、日本の社会がかつては群れによる育児ができていた、つまり周囲の社会が関与して皆で育てていたのが、育児が孤立化していったという経緯はそのとおりだと思いますし、それが社会学的にはもちろん実際に、日本の子育ての現状として問題であることは確かです。ただ、民法学的に申しますと、どうして日本民法に親の特別な権利・義務が書かれていなかったかといいますと、明治民法の起草者たちは、家制度を立法し、家でまとめて生活している中で育っていると考えていて、それを扶養という形の中に落とし込んで戸主に扶養義務を負わせたという経緯です。それ以外の扶養義務ももちろん書き込んだのですが、それを裁判所で権利・義務として請求するようなことを現実問題として考えていない時代に書いた条文です。それから、大正時代に民法改正の議論をしたときでさえ、裁判所に扶養を請求することは我が国の醇風美俗から考えてあり得ないと言われていました。そういう状況で、西欧の民法だと一番基本的なものとして書かれている条文が日本法から落ちてしまっていました。私は社会がきちんと関与しなくてはならないということでは、落合委員とまったく同じ問題意識を持っていますけれども、ここで条文として、親の責任を書き込むのは、社会が育児に関与する基本的かつ伝統的方法の一つだと思いますし、日本法に今まで落ちていた部分を補うという意味で、必要だと考えております。
 あと、もう一つ、例によってこどもの意見表明権についてなのですが、また後でその点は発言させていただきます。
○大村部会長 分かりました。水野委員の方からは、明治以来の立法の経緯との関係で、やはりこの点を明らかにしておくということが今日必要なのではないかという御意見を頂戴いたしました。

家制度に寄りかねないのよね~

○石綿幹事

 幹事の石綿です。窪田委員らと同じく、第2の方向性については賛成いたしますが、2点、細かいですが、意見を述べさせていただければと思います。
 1点目は、②と③に関連してということですが、こどもの利益の考慮や子の意向等を配慮するということにつきましては、5ページの(注)に記載があるように、現行民法でも第820条と第821条で既に親権者については一定の規定が設けられているところかと思います。今後どのような形で文言化していくか、子の意見・意向をどのように考慮していくか検討する際には、現行法との整合性ということも一つの考慮要素になるかと思います。その際には、親権者についてこれらの規定があるということを前提に、親権者である場合と、ある者が親権者でなくても親であるという場合で同様に考えられるのか、考えられないのか、あるいはそこに何らかの差異があるならば、それは何で、どうしてそのような差異があるかといったような視点から検討をしていくということが、議論を進めていく際に有益なのではないかと思います。その結果、例えば現状の③のように意見、意向という文言ではなくて、新しくできた第821条のように、子の人格を尊重するといったような形の方が妥当だという結論も十分にあり得るのではないかと考えております。これが第1点目です。
 第2点目は、①と④に関連してということですが、私自身は①の子を養育する責務というのは、窪田委員もおっしゃられたかもしれませんが、扶養を行う義務があるのだということを強調するという点で意味があるのだと思います。第2の①と④併せて、なぜ子に対する扶養義務というものが重視されているのか、後に扱う第3の養育費等の定めについての話とも関わってくるかと思いますが、なぜ養育費について法が他の債務に比べて優先的に支払を促すことができるかという点についての実体法上の根拠を決める必要があるということも重要かと思いますので、そのような意味で、①や④の方向性の規定が置かれるということに意味があるかと思います。
 落合委員のおっしゃる、国家の支援が必要なのだといったようなことも十分に理解をしておりますが、ここでの①と④というのは、親に責任を押し付けるということではなく、私人間の、様々な私人がいる中で、なぜ親が子に対して負っている責務というのが重要か、それを履行するために国がどのような支援体制を整えていくかということを定めるために重要なものかと思いますので、何らかの規定は設けた方がよいかと思います。
 最後に一言だけ、権利・義務という文言をという御提案があったかと思いますが、それはもう少し慎重に、親がこどもを養育する権利があるのかというところ自体議論があるところかと、例えば、そもそもこの部会で親権という語を改めた方がいいかというような議論も最初にあったようなことかと思いますので、権利という文言を使うかどうかということは慎重に考えた方がいいかと思います。
 長くなりましたが、以上です。
○大村部会長 ありがとうございます。石綿幹事からは大きく2点、御指摘を頂いたかと思います。①から④までございますけれども、②と③については、親権者については既に第820条、第821条という規定がありますので、これとの整合性を考える、親権者と親権を持たない者がどういう関係に立つのかということを検討する必要があるだろうということ、それから、①と④については、後で問題になる養育費についての優先的な取扱いを根拠付ける規定が必要だという観点から、検討することが必要ではないかという御指摘を頂いたかと思います。

養育権が議論に?あまりポジティブには伝わってこないけど。。。


○大石委員

 ありがとうございます。大石です。基本的に窪田委員、それから石綿幹事の御意見に私も賛成だということをまず表明させていただきたいと思います。扶養という言葉に置き換えるというところが重要だと思っておりまして、何回か前に私も省庁横断的な対応が必要だということについてこちらで意見を申し述べさせていただきましたけれども、今後、税制ですとか社会保障その他、様々な制度について他省庁と協調して制度を構築していく上で、その根拠となりますが、参照するときに扶養という言葉をここで書いてあるということは、やはりとても重要なことなのではないかと思っております。
 権利という言葉を入れるかどうかについては、私も石綿幹事がおっしゃいましたように、少し慎重になるべきではないかということ、それから、国家あるいは公的な支援ということですね、それについてはもし可能であれば、この法案全体を作り上げたときに、前文ですとかそういった理念について書くときに、これは親子関係について定めるものではあるけれども、決して国家の役割などを軽視するものではなく、また、こどもを養育していく上ではそういったものは非常に重要であるということをどこかで書き込むことができればよいなと思っております。
 ありがとうございました。
○大村部会長 ありがとうございます。3点御意見いただいたかと思います。扶養について書き込んでおくことは、いろいろな観点から必要なことだろうということ、それから、権利という書き方についてはやはり慎重な検討が必要だろうということ、そして、落合委員がずっとおっしゃっている公的支援については、先ほど水野委員もおっしゃったかもしれませんが、民法典に規定を置くというのは難しいとしても、我々がそれを軽視しているわけではないということ、この点については多分御異論はないところだろうと思いますが、それをどこかで強調しておくということが考えられるのではないか、こういう御指摘だったかと思います。

あ、これは完全にマイナスな

○菅原委員

 ありがとうございます。窪田委員が述べられた扶養と養育について一言だけ申し上げます。発達心理学の領域からいいますと、養育には育むという言葉が付いていますので、英語ではペアレンティングとなりこどもの発達を親が促すというニュアンスがありますが、扶養の方は助ける、面倒を見るということで、英語だとケアしか残りません。世界的に見ますと、こどもの養育というのはケア・アンド・エデュケーションとより積極的に考えてきているので、扶養だと発達のサポートとかこどもを育むというニュアンスが消えてしまい、英語に訳したときケアだけが日本の親の権利義務となってしまうおそれがあり、その辺のところは少し検討していく必要があるかなと思います。
○大村部会長 ありがとうございます。菅原委員からは、今まで養育と扶養について、扶養の方がいいのではないかという意見が多かったと思いますけれども、扶養とすると切り捨てられてしまう要素があるのではないかということで、もう少し検討が必要なのではないかという御意見を頂きました。

扶養と養育について

○青竹幹事

 父母が子を養育する責務の規定について、養育とか責務といった文言について、先ほど多数の御意見がありました。パブリック・コメントでも、既に親子間の扶養義務の規定があるので、新たに規定を置く必要はないという意見があったようです。確かに養育する義務を新しく置く規定と、現行法の扶養義務の規定はかなり重複する面があると思われます。しかし、公的な支援を受けてということですけれども、父母の離婚後の子の養育の問題に対策を図る必要があるという認識が共有され、子を養育する責務、扶養する責務を特に強調する必要がありますので、やはりここで子を養育する、あるいは扶養する責務について、改めて規定を置くことは望ましいと思われます。
 ただ、その規定を置く第一の意味というのが、親権者とならなかった親も子を養育する責務、義務を失うことはないことを強調することにありますので、これによって公的支援を受けずに父母にのみ養育義務を負わせようとする意味はありません。この点をより明確にするために、例えば、父母は親権の有無にかかわらず子を養育する責務を負うといったような規定にするのがよいのではないかと考えております。
○大村部会長 ありがとうございます。青竹幹事からは、規定を置くということに賛成である、そして、それが様々な社会的支援を排除するというようなものではないことが分かるような書き方が可能なのではないかということで、具体的な御提案を頂いたと受け止めました。

意外に、日本的には、義務を強調した方が大変なんです~支援してくださいーになるのかな?

○池田委員

 弁護士の池田でございます。第2の①から④の解釈となり得る一般的規律を設けるという大きな方向性については、賛成いたします。ただ、①から④の解釈の根拠となり得る一般的規律といいますと、要は決め打ちをしないということなのかと思いますけれども、そうしますと規定としては相当抽象的なものになるのではないかと思います。ただ、余りに抽象的になってしまいますと、理念しか語っていないか、あるいは結局何も語っていないという規律になってしまう危険もあるのではないかと思いますので、その検討作業はなかなかに困難になるのではないかとも思います。そうしたことを考えますと、一般的規律とはいいながらも、やはりある程度一定の方向付けをするという必要性も出てくるのではないかと思っています。
 この点、日弁連が本年の2月16日に出しました中間試案に関する意見書におきまして、この②と③については、既にある児童福祉法第2条第1項やこども基本法第3条第4号を参考に、次のような規律とすることを提案しています。少し御紹介申し上げますと、「父母は民法その他の法令により、子について権利の行使及び義務の履行をする場合や、現に子を監護する場合には、子が示した意見をその年齢及び発達の程度に応じて尊重し、子の最善の利益を優先して考慮しなければならない」というものです。日弁連としましても、今申し上げた②と③以外の①と④を含めて、どのような規定とするのがよいのか、引き続き検討していきたいと考えています。
 それから、少し加えまして、扶養と養育ということについて窪田先生から御意見がありました点に関して、一言だけ申し上げたいと思います。実務家としての何となくの印象ではあるのですけれども、扶養といいますと、やはりお金の問題というイメージが先行しているように思いまして、やはり扶養も含め、いろいろな実際のこどもへの関わりというものを含めたものが養育という感覚で受け止めることが多いのかなという印象は持っています。特に、親子交流などもこの規律の下に考えていくとなりますと、やはり扶養というよりも養育という言葉の方が適切なのではないかと感じています。
○大村部会長 ありがとうございます。池田委員からは2点御指摘を頂きました。1点目は、窪田委員がおっしゃったこととも関連するかと思いますけれども、全体として一般的な規定を置くという方向はよいとしても、どのくらいの抽象度のものを置くかということが問題になるのではないかということ。具体的な案もおっしゃっていただきましたけれども、少し立ち入った形で書いた方がいいのではないかという御指摘だったかと思います。それから、もう一つは、扶養、養育につきまして、先ほどから御議論がありますけれども、養育の方に賛意を示されるということだったかと思います。
 そのほか御発言も、随分ありますね。たくさんいらっしゃるので、手短に、皆さん、お願いします。

日弁連の意見書登場!

○佐野幹事

 手短ではすまないかもしれません。幹事の佐野と申します。私は①から③の、未成年者の父母の責務ということで抽象的な規定を置くということに必ずしも反対ではない、方向性としては、反対はしていないのですが、懸念しているのは、それに④が引っ掛かってくるというところです。というのは、先ほどの窪田先生のお話にも関係あるのかもしれないのですが、実務家としては、やはり未成年者のみ生活保持義務の対象となると、大学生の方のところまで生活保持義務が及ばなくなるのではないか養育費の終期が前倒しになってしまうのではないかということを非常に懸念しています。実務家としては、この養育費の終期、かなり争われるところと感じているところでもあります。特に成人年齢引下げのときに、あれほど養育費の終期には関わらないと言っていたにもかかわらず、実際、大学生になった方で、この影響により養育費を18歳で打ち切られたという話も聞きました。生活保持義務を未成年の子に限定するようなメッセージを出すことによって、ひとり親の家庭の方が大学に行けないというようなことになるというのは、この法制審のそもそもの目的というものが、離婚後の子の利益の確保の観点から関連する法制を検討するというところにありますので、実務の中でこどもの高等教育機関への進学を後押ししてきたというところを後退させるようなことになるというのは、どうしても看過できないと思っています。
 ここで重要なのは、後の一般先取特権のところにも関わってくるのかと思うのですけれども、生活保持義務の範囲を明確にするということがやはり必要なのではないかと思っています。それは今までの実務で考えると、未成熟子や配偶者に対する生活保持義務ではないか。この点を明記するとか、もう少し追求できないのかなと思っております。
 最近法務省の大臣官房司法法制部の方で翻訳してくださったドイツの家族法、ここにいらっしゃる先生方も関わっていらっしゃるのではないかと思うのですけれども、その第1603条の方で、これは生活保持義務のことをいっているのか分からないので、教えていただきたいのですけれども、その第2項の方で、「両親は未成年の子に対し、処分可能な全ての資産を自分たちとその子らの生活維持のために均等に用いる義務を負う」とあって、その後で、「21歳に満たない未婚の成人の子は、両親又は親の一方と世帯を同じくし、かつ普通学校教育を受けている限り、未成年の子と同様に扱うものとする」という規定も置かれているようなのです。こういうような形で、少なくとも大学に行くお子さんたちが、安心して進学できるような、生活保持義務というのを設定できないのかと思っています。
○大村部会長 ありがとうございます。佐野幹事からは、一般的な規律を設けることには反対しない、あるいは賛成するという前提の下で、①から③と、④を区別されて、④について御意見を頂戴したと思っております。④について、現在の実務上の取扱いが維持されるような配慮が必要ではないかという御意見だったかと思いますが、これは先ほどから問題になっている、どういう書き方をするか、どのくらい詳しく書くのかということにも関わってくる問題かと思って伺っておりました。

大学費用の無償化とセットにしないとだわね


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