見出し画像

せめぎあい

本日はぐんまにて歴史的な講演会が催されるということで,しかもハイブリッド式で開催されるらしく,オンラインで参加!!

傍らで,昨日のつづきも考えていく

弁護士が足りない,司法の脆弱さという課題に向き合い,司法改革が進められ,裁判員制度,法テラス,ロースクール,ADR推進といったことが,実現していき,市民にも知るところ(選挙名簿に載る方は,裁判員に選ばれ,重大事件の裁判に関与することがになったので,一般的にも他人事で済まなくなった),とはいえ,その全貌を正確に知る市民がどこまでいるのか,裁判員として呼び出されたらめんどくさいなーくらいの認識にとどまっているかもしれず,まして,司法試験の変遷に思い馳せることもなかったろう

弁護士を選ぶにあたって,旧司組か,新司組かにこだわるようなことが起きているとも感じにくい

市民のための司法改革

今でこそ解消されたというが,地方によっては,弁護士がいないという弁護士不足の状況が当たり前のように聳え立っていた

そんなに古い時代ではない

ついこの前まで,リーガルサービスにアクセスできない現象が身近にあった

弁護士の自己紹介において見られるのは,「法律相談の敷居を低くしたい」といったフレーズが飛び交うように,弁護士に相談すること,まして,裁判所を利用することが,よほどのこと(しかも高い)というイメージが刷り込まれていた

その結果,自律的解決力で済んでいるのであればまだしも,実際は,それゆえの泣き寝入りが蔓延していると捉えられる面も見られた

人権侵害があっても,リーガルアクセスが確立していなければ,その人権は救済されない

司法改革を必要とした背景の分析はシンプルに正しいといえよう

日弁連の意識改革にとどまらず,法改正を含め制度の実現という大きなミッションを果たしてきた以上,その理念に正しさがあったからこそである

利権のようなもので簡単に変わるようなものではないものを実現した

それは正義をもった弁護士が自身の利益に捉われず,市民のためになる司法に成るよう理想を描き,そのために尽力するという取り組みであった

裁判員制度が始まったし,法テラスがあるから,弁護士費用の用意に不安があっても,まずは法律相談ができること,依頼もできること,しかも,あらゆる地方に法テラスの法律事務所が開設され,アクセスしやすくなり,弁護士が身近になった(はずである)

司法試験について

未だに旧司法試験に戻せばいい,という意見も強い

ロースクールは失敗だったという声も大きい

だが,旧司法試験は痛ましい事態を招いていたと思う

合格率は3%にも届かない超難関,合格すれば超エリートな一方で参入規制がないため,気軽に参入したはいいが,結果が出ないために何年も予備校でバイトを続けるといった状況も見られた

新司法試験は,ロースクールを卒業しないと受験資格を得られないという参入規制と,受験資格獲得後5年間しか受験できないという制限を設けることで,受験生を絞り,すでに選抜された中での競争にするので,合格率向上に貢献した

努力を裏切らない仕組みに緩和したといえる(ある程度の努力は最低限必要)

市民のためになる司法改革を果たすには,法曹増員が必須で,単純に司法試験の合格者数を増やすだけなら,質の維持が悩ましく,そのために司法試験そのものも変えていくし,それに耐えられる教育の機会を維持するためにロースクールによるトレーニングに意義があるだろうという発想になっていく(結果,大学教員という雇用が生まれたことの本音はなんだったか,疑わしくなるというのもわからなくもない)

法務省が用意してきた司法試験に関し,文科省管轄の大学院が巻き込まれ錯綜していく

大学院は受験指導をしてはいけないというルールもあって,真に受けていると,合格率は散々なことになる・・・わが母校は,初代卒業生が初挑戦した2008年新司法試験では,まさかの合格者0ショックに見舞われることになってしまった

しかしながら、この「合格者0」については、冷静に分析する必要がある。当時の全法科大学院の入学定員が約6,000人であるにも拘わらず、合格者は約2,000人にとどまるとすると、毎年約4,000人の不合格者が輩出されることになる。当初は修了後5年のうち3回しか受験できないというルールがあり、単純に4,000人の増加にはならなかったが、2007(平成19)年に4,607名だった受験者は、2008(平成20)年には6,261名に増えていた。合格者はかわらないのに、受験生がこれだけ増えるということは、単純に考えても合格はより困難になる。わが第一期生が司法試験に挑戦したのは、そのような状況においてであった。
 考慮しなければならないのは、この厳しい状況において、一年遅れの開設で3年コースのみという条件は不利であったということである。多くの法科大学院には、前年、前々年の修了生がいたのである。また、未修者よりも既修者の合格率が高いことは、その後、しだいにはっきりしていくことになる。直近の3年コース修了生という条件でみれば、合格者が0人の法科大学院は、9校あったのである。それにもかかわらず、新司法試験がはじまって最初の合格者0人ということもあり、社会的にも大きく注目されてしまったのは、信州大学法科大学院にとって不運なできごとであった。

成果が出なければ,厳しい評価を受け,維持することが困難になる

弱小ロースクールは淘汰されていく

母校も早々に廃校が決まった

しかし,小規模ロースクールだからこそ分析可能なカタチで,合格までの必要な指導,有効なプログラムが見えてくる

改革後の成果が評価される前に廃校が決まってしまったけども,廃校後こそ,合格率を伸ばしている特殊な実績を個人的に知ることができるが,統計的に評価するのは難しいことも知っている

信州大学は,地元で活躍する法曹を地元で養成する理念のもと,弁護士会が導引して,ロースクールを創設した経緯がある

初年度の0合格を除き,毎年合格者を輩出するようになっても,少数にとどまっているように見える事実からも存続が難しかったが,信州にロースクールがあった歴史的意義を評価できるはずである

法科大学院制度を構想するときに、その目的を司法試験合格のみに特化しすぎたのではないかという問題を指摘しておきたい。信州大学法科大学院の修了生の多くは公務員になっている。これも、地域の法文化の発展におおいに寄与しているのではないだろうか。また、民間企業への就職という道も、おおいに考えられるべきであったし、実績も生まれている。せっかく作った法科大学院を、さらに社会に根付かせる方向での進み方がなぜできなかったのか。これは、司法改革に対する大きな疑問として歴史的に検証されるべきだろう。

数字からは見えにくいが,体感としては,この弱小ロースクール内であっても私の周りは,同級生,先輩・後輩含め,よく合格したと思う

一定の方法で一定の努力をして,正しく理解すれば合格する試験になったのである

余力があれば,働きながらの挑戦も許されるし,育休中を利用してキャリアアップの一環として挑戦して果たせるものになった

これは,社会として歓迎されるはずである

幼少期から高度な教育環境に恵まれたエリートによるエリートのための司法でよいのか,という疑問がどこかにあってこその司法改革だったはずだ

エリートたちは,お金にならない離婚事件を扱わない

DVの問題も,離婚という法的身分関係に関する問題を扱うのに法曹のサポートが不可欠なのに,リーガルアクセスが困難なために,離婚ができないまま,自己肯定感を阻害され続ける家族が放置されていたという問題が実際にあったと思われる

DV問題に向き合う必要があり,そのために立ち上がって取り組んできた諸先輩方は,決して利潤追求を狙っていない

真に人権救済のために取り組んできたのである

法テラスを利用して弁護士に依頼しながら離婚協議を実現すること,その担い手になり得る弁護士の養成にも取り組みがあり,DV専門相談という窓口も創設されていく

行政との連携により,相談者がたらいまわしになることなく適切に救われるための仕組みへと育っていく

DVに悩む被害者を救いたい,そのために利益は度外視して取り組むという気概である

まず,DV相談は通常30分の法律相談と違って,長時間かかることも覚悟して受け入れる

経済的に困窮している場合があるから,法テラスの扶助があっても30分分しか援助は出ないが,熱心に聞き入り,自尊心を激しく傷つけられている相談者との信頼関係を築いていく

ここでセカンドハラスメントになるようなことをしてしまっては,結局,救いの道を閉ざすことになり,家族に悲劇をもたらしかねない,と本気で考えて一生懸命向き合う

DVの放置は,DV被害者のみならず,その子どもや配偶者(加害者?)も追い詰めることになりかねない

ありがちなのは,「離婚できない」と思い込んでいる場合もあり,がんじがらめにDV家族構造に陥っていて苦しんでいることが明らかなのに,抜け出そうという意思が本人にはその時点にないことで,問題解決が難しいことになっていく

適切に伴走し,自尊心を取り戻させ,回復とともに生活の立て直しをはかり,前進させていく

DV被害者支援の取り組みは,画期的な人権救済活動そのものである

場合によっては,背景に貧困があり,財産分与するもの,養育費も収入がなければ算定されない,慰謝料を基礎づける事由が証拠とともに明らかに認められたとしても,結局無資力者からは回収できない案件を法テラスの扶助というなけなしの報酬だけで全うしようとするのだから,ビジネス目的と対極にある活動である

それにもかかわらず,離婚ビジネスといった批判を浴びることがあるというから失笑がこぼれることになる

離婚事件がお金になることがある場合もあるらしい

たしかに,経済格差のある夫婦間の財産分与請求で回収できれば,それなりのまとまった金額が動くため,連動して弁護士の報酬が一定額になることもある

熟年離婚におけるパート就労にとどまっていた妻が依頼者となる離婚事件であれば,利潤になるかもしれないと目をつけられるのも自然だろう

だが,いくら面会交流の交渉のために骨を折ったところで,お金は沸いてこない

面会交流事件が近年こそ増加傾向ではあるけども,ベテラン弁護士であったとしても取り扱いに慣れているとは限らない事態が起きている

また,そもそもの弁護士不足からの弁護士偏在(地域的な問題は解消傾向にあっても,分野的な解消はまだ到達していない・・・「男性側離婚案件」という分野を掲げるだけでも珍しがられるのが実情だし,共同養育については,ニーズがあるにもかかわらず,担い手は乏しいブルーオーシャンが広がっている)のために,弁護士も依頼者を偏らせても仕事が余る現実にある

離婚事件の当事者には,男性も女性もいるのに,女性だけをターゲットにすることができる(男性を敵対視して顧客ターゲットから排除しても利益確保に支障がない・・・女性側の方が利益になるからという見方もあるのかもしれないけど,いわゆる経済的弱者層の市場がどれほど潤沢かとも限らない)

女性・・・同居母側だけの依頼を引き受けていれば,弁護士の思想も寄らざるを得ない

本気で面会交流は負担であり,子どもにとっても負担になるものと思い込んでいる

その景色しか見ていないから当然だろう

代弁していく使命感もあるのかもしれない

問題は,弁護士の偏在であって,離婚ビジネスという言い方は明らかな誤りということになる

共同親権弁護士は,男女問わず問合せがあるし,同居親からの相談も続く

ニュートラルに正しく子どもの利益にも沿う発信をするから当然だろう

相手方からの信頼も得るという奇跡が起きることすらある

DV被害者を救わなければならないという使命をもって取り組んできた先輩方には想像できない景色かもしれない

人権救済のための取り組みが,依頼者以上に相手方当事者から恨まれ敵対視される世界と全く違う

それでいて,依頼者の利益に直結するのが,相手方との信頼関係構築のお手伝いというサービスである

これが,共同養育ビジネスとして確立すれば,離婚ビジネスを一気に塗り替えることになるだろう

父母双方,子どもにも,そして,早い利益率という弁護士にとってもメリットあふれる共同養育ビジネスは,周知されることによって瞬く間に広がっていくことと思われる

分断をあおり,疲弊する係争状態を長引かせかねない離婚ビジネスよりも健全だし,選択肢を知れば自ずと選ばれていくのである

問題は,経済力のある場合にのみ共同養育ビジネスを買うことができるといった,ぜいたく品として放置されてしまうと,一般市民には手が届かないものとなってしまって,格差の固定を招いてしまうことになってしまう

共同養育の選択肢は広く知られるべきだし,一般にも手にいれやすくするように,行政が責任をもってサポートする必要があるだろう

それを叶えるのが共同親権制ということになる

一方で,DV被害者の場合,共同養育が負担になることも想像できる

適切に峻別して,負担のない形に整えるのは,やはり弁護士の使命なのだとも思う

専門家として高度な技術が必要になり,そのために適正に養成することが必要である

事案を受け止めて,裁判所の利用が望ましいか,ADRの活用による方がいいか,適切な情報提供を駆使して選択肢を示すこと,自尊心を取り戻した当事者が選択することそのものが大切だろう

自律的解決力の支援が求められるのである

さて,整理しよう

以上の経過をたどり,今なお反省とさらなる革新が求められる司法改革の歴史を正しく知った上で,法曹増員=質の低下=離婚ビジネスという文脈の使い方である

この文脈の源流は,司法改革反対の立場にある

ロースクールに反対し,法曹増員を抑止する声は,ロースクール制度が進む中でどんどん大きくなっていった

結果が出ないことについては,細かく非難を続けていく

その背景にあるのは,法曹増員に伴う,若手弁護士の困窮に対する懸念と相まって,結局弁護士の収入環境が全体的に下落していくことのおそれそのものだったのではないか

弁護士が品位を保つには,年収600万円を下回るわけにはいかず,そのためには,適正な人員に絞る必要があり(←なぜ?),合格者数抑制,ということにたどりつく

その声が束となって,今は,1500人程度の合格者数にとどまることになった

その結果,すでに,刑事事件の担い手不足が懸念されている

元々弁護士は足りず,増やそうとしたのに増やし方を抑止してきた

東京はじめ一部の都心こそ,弁護士が余るほど存在し,働き方を選ぶことができる

組織の企業内弁護士が増えているし,自治体に所属するパターン,あるいは,いわゆる街弁として,老舗の事務所に所属する方法,気の合う仲間と独立することも,オフィス機器の進化によって果たしやすくなったし,夫婦事務所というのも多い

子育て時代のワークライフバランスに配慮した働き方も,弁護士が多いおかげで実現する

しかし,地方の弁護士不足が改善しきっていないため,地方の弁護士は多重会務(ボランティアに近い)を担い,刑事事件も引き受けることが義務に近い,所属会の人数が,顔に見える程度なので,会務活動に参加できていないと,とたんにプレッシャーにさらされて,「弁護士」でいることができない=登録を抹消することも現にある

ある程度高収入という弁護士はまだ多いが同時に,長時間労働の代表でもある

ということは,まだ弁護士が足りないし,仕事が多すぎて,丁寧な配慮ができないというのが現実だろう

子どもの利益に配慮してられない

それが本音だろう

あえて配慮するなら,早期離婚をして解決すること,というところだったりする

結果,条件として疑問が残る子どもの将来への配慮を置き去りにした離婚が量産され,せめて,養育費を確保するためには熱心になってきたのかもしれないが,そのための合理的な方法が,とにかく親権を確保する(そのために連れ去る),養育費を決める,それが正義であると信じているように想像する

裁判所も似たようなところがあり,法曹増員はイコール弁護士増員にとどまらなかったはずなのに,結果として,任官者(裁判官・検察官になるもの)は増えなかった

相変わらず裁判所が抱える事件はパンクしていて,適切に処理されているとはいいがたい(エイやと現状維持でとにかく解決したことにする)

ADRという裁判外の紛争解決機関の登場を踏まえて,弁護士が適切に活用していけばいいのかもしれないが,まだ過渡期にあると思われる

子どもの利益を考えるために

忙しい弁護士・裁判官,多くは男性・・・家族はいても,子育ては妻に任せきり(感謝は述べる)といった極めて男社会の特化した業界がこの現実を作ってきた(放置していた)

DV被害者のために採算度外視で取り組んできたのは,女性のための家事事件を担ってきた女性弁護士であり,なぜ採算度外視ができたかというと,夫が同業者でよく稼いでいる場合には,子育てと両立できる範囲内で数少ない事件を儲けを気にすることなく取り組むことが叶ってこそ,という面がある

そうやって一生懸命女性弁護士が女性のために作り上げてきた分野に声をあげることは,その分野については疎い男性弁護士(弁護士会全体の中での多数)にはムリである

その分野を担当してこなかったから,口出しできないのである

本当の問題の構造には気づけないまま,お互いの分野についてはお互いに尊重する会務におけるマナーもあって,今の形がある

旧態の弁護士不足状態が解消していないからだろう

司法改革を文字通り貫徹させ,ワークライフバランスの余裕があるくらいに,法曹を充実させ,子どもの利益にも丁寧に配慮できるくらいの余裕をつくり,かつ,どの立場の市民においても平等にリーガルアクセスが確立するほどに弁護士の偏在を解消することこそが,子どもをめぐる悲劇が放置されている現状を改善するために不可欠だろうと確信する

それにもかかわらず,弁護士増員に伴う離婚ビジネスという切り取り方は,真っ向に反するわけである

子どもの利益について学び,そのために活動する(たとえ,父母のどちらかから依頼を受ける立場であっても,親から独立した子の利益への配慮を忘れず,それでいて,依頼者との利益相反にもならない工夫ができるようにするという高度な技術を要する活動・・・だが,子の利益は,子を思う親の利益でもあると気づくと,実は難しくなくなる)弁護士を養成することが喫緊の課題であり,そのためには,実は法改正を必要ともしない

弁護士の年収が下がったということは,かつて見向きもしない案件でも引き受けるかもしれなくて,特に子育て世代弁護士(ママ・パパ)になると育児を通じて子の利益の考え方が自ずと醸成され(かつて,子どもはいても子育てに携わることもなかった弁護士ならば,母親が子育てすれば大丈夫だし,それが正義だと思い込むだろう),丁寧な配慮を尽くしてくれるかもしれない

利潤追求のための早期解決ではなく,子どもの成長段階に配慮したサポートへの期待もできる

子育て世代の悩みは子育て世代弁護士が支える

弁護士は増えた

子育て世代の弁護士が増えているのである

独身あるいは子なし時代には,離婚事件の面会交流について,月1か月2で対立することに全く共感できなかった弁護士も,実際親になれば,月2回会いたい気持ちがわかるようになる

裁判官も同様で,パパ裁判官に当たることで,月2回半日の面会交流が実現できる解決と導いてくれる場合もある(エリート裁判官で転勤だらけ,親子の時間少なく妻に任せっぱなし,単身赴任もしていただろうベテラン弁護士が多くいると思われる高等裁判所で面会交流の判断をさせては,簡単に月1数時間が量産されていくのと大違い・・・)

親子を救う弁護士を養成するのに,離婚ビジネス批判は意味をなさない

ぐんまでの学びが盛会となる傍らでたどりつくのは,

共同親権弁護士を養成していく,という提言である




親子に優しい世界に向かって,日々発信しています☆ サポートいただけると励みになります!!いただいたサポートは,恩送りとして,さらに強化した知恵と工夫のお届けに役立たせていただきます!